⑨『逃げ恥』のテーマは「自宅で米を使って焼くパン」という会話に隠されていた

ここまではドラマ『逃げ恥』が扱っているトピックは、雇用と結婚という人類が生み出した二大契約システムだ、という視点を前提に進んできましたが、ここからの会話は主に謎解きです。

もし良かったら、まずは以下のリンクからこれまでの会話にも目を通して下さい。


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それにしても、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を観ていて思いませんか? 何故、みくりの考えることはあんなに素っ頓狂で、すぐに突拍子もない行動に出るのか。何故、みくりには「小賢しい女」というキャラ設定がされたのか。これにはきちんと理由がある。何かをあぶり出し、描き出すための理由が。

それ以外にも、『逃げ恥』のあらゆる設定、あらゆる台詞、あらゆる舞台装置、あらゆるディテールは、きちんとした意図があった上で、配置、構築されています。これは見事と言うしかない。このパートではそれについて事細かに見ていこうと思います。

もちろん、「眉唾だなー」と思ってもらっても構いません。ただ良かったら、もう一度、『逃げ恥』を観てみて下さい。そこから読者の皆さん、ひとりひとりの正解をみつけていただければ、と。


小林「じゃあ、『逃げ恥』の製作者たちが、このドラマに社会的な問題を盛り込んでるっていう風にタナソウさんが考える一番の理由は何ですか?」

田中「何よりも、すべての登場人物の属性の設定だよね」

小林「そこはわかります。主人公の二人以外のキャラクターには、ゲイもいるし、典型的な家庭人、結婚不要論者、40代キャリア未婚女性とか、いろんな立場を意識的に配置してますしね」

田中「その通り。これだけいろんな社会的な立場をきちんと配置してるっていうのは、やっぱり今の時代を描こうってことに意識的だってことでしょ。主人公二人だけのドラマじゃないってことじゃない?」

小林「その上で、結婚と雇用のあり方を再定義しようという意図がある、と」

田中「ほら、第4話だったかな。みくりと平匡の食事中の会話に、小麦じゃなくてお米を使って作るパンの話が出てきたじゃん?」

小林「そんなの、ありましたっけ?」

田中「あそこ、すっごい重要な会話なのに!!!」

小林「最近はパンが焼ける機械があるとか、そういう話でしたっけ?」

田中「そうそう」

小林「あれがなにか?」

田中「あの何気ない二人の会話って、ドラマ全体のテーマをこっそり忍び込ませてる名シーンなんですよ」

小林「そうなの?」

田中「まずゲイで、シングルの沼田の話になるじゃん。彼が自宅でハーブを栽培してるっていう」

小林「ああ、ありましたね。みくりの家でもハーブの自家栽培に挑戦したことがあるんだけど、虫がびっしりついちゃって、うまく行かなかったっていう」

田中「で、そもそも沼田っていうキャラクターが『逃げ恥』の全体の中心にいる、もっともフラットな存在で、もっともさりげなく知的で、自立したインディヴィジュアルな存在として描かれてるわけじゃん」

小林「かなりコミカルではあるけど。でも、それってむしろ視聴者に、彼の知性や自立性が押し付けがましく映らないようにするための仕組みなんですよね」

田中「しかも、彼はゲイであり、シングルなわけじゃん。旧態然とした価値観からすれば、マイノリティとして阻害されたり、逆に同情されたりする社会的な立場なんだけど、彼自身はそうした逆境を屁とも思わず、しっかりと自立して生きてるっていうキャラ設定なわけでしょ」

小林「ですね。たまにさりげなく寂寥感を漂わせる程度で」

田中「で、その彼は仕事をきちんとこなしながら、料理っていう趣味の領域でも一角なわけですよ」

小林「ブログで、クックパッドか何かのレシピを公開して、人気を博してるらしいって話を二人がしますよね、確か」

田中「そのレシピが本格的な料理じゃないってところもスパイスが利いてるわけですよ」

小林「というと?」

田中「要は、ありものを使った簡易レシピっていうのは、コロンブスの卵的な発想の転換を表象してるわけじゃん」

小林「なるほど。つまり、さりげない知性、しかも実用的な知性という沼田のキャラ設定を匂わせているんだ、と」

田中「現実を世知辛いものとして位置付けず、カジュアルな知性とユーモア、発想の転換で飄々とサーフしてる人物だってことがさらりと示されてるんだよね。このたった一言、二言の平匡とみくりの会話だけで」

小林「まあ、よくよく考えればね」

田中「てか、そういうディテールがちぐはぐだったら、台無しでしょ? そのくらい脚本がきちんとしてるって話なのよ」

小林「しかも、ステレオタイプなゲイ観とも違う。そこも大事かもしれないですね」

田中「その通り。すごく大事。『逃げ恥』のすべてのキャラに言えることなんだけど、それぞれ一見ステレオタイプな設定に思えても、きちんとステレオタイプから食み出ていくプロットが用意されてる。これもさりげないメッセージなんだよ」

小林「そこはわかります。平匡の同僚の風見涼太にしても、最初はいかにもステレオタイプな、調子のいいだけのモテ男風に描かれていたと思ったら、きちんと別の側面を描いてあげるっていう。敢えてステレオタイプを使いつつ、それを反転させる逸話がきちんと用意されてるんですよね」

田中「で、本題はここから」

小林「話、長いな!」

田中「そこから話題がパンに移るわけですよ。で、平匡が『家でパンを焼けるんですか?』って尋ねると、みくりが『ご飯でパンを作るマシーンもありますよ』って答えるじゃん」

小林「でしたっけ?」

田中「この『パン』っていうのが重要なんですよ」

小林「え、そうなの?」

田中「平匡が『ご飯でパンを?』って驚くと、みくりが『小麦粉ではなく、お米を使うんです』って嬉しそうに答えるじゃん」

小林「よく覚えてますね」

田中「で、平匡が『パンの定義が脅かされていますが』っていう風に返すと、『ですね』って、みくりが本当に嬉しそうに笑う」

小林「ああ、確かその会話で、それまで緊張感のあった食卓の空気が一気になごんだものになるっていう。そこは覚えてます」

田中「あそこの会話って、つまり、これまでパンというのは小麦を使ってベーカリーが焼くものだと相場が決まってた、でも、別にお米を使ってもいいし、自宅で焼いてもいいんだって話でしょ」

小林「今やそういう時代になった、って会話ですよね」

田中「つまり、この会話というのは、以前の常識からすると、ありえないと思われていた形やプロセスだったとしても、それはそれで新しい愛の形なんだ、っていう仄めかしですよ」

小林「あー、なーるほど。要するに、平匡が口にしたパンの定義というのは、幸せの定義のメタファーだってこと?」

田中「その通り。もはや『結婚=幸せ』という定義が脅かされてしまう時代になった、でも何の問題もないんだ、ってこと」

小林「う~ん、ホントかなー」

田中「小林くん、原作読んだんでしょ? あそこの会話、原作に出てくるの?」

小林「いや、脚本のオリジナルだと思います」

田中「やっぱ意図的だよ。そもそも原作が圧倒的に優れてるんだけど、もう脚本がとんでもないのよ、『逃げ恥』は」

小林「そこまで意識的だったら、ホントすごいですね」

田中「でさ、この『逃げ恥』ってドラマって、とにかく食のシーンがたくさん出てくるじゃん」

小林「ですね」

田中「これも『日常の営みを誰かとシェアすること=幸福』の象徴だと思うんだよね」

小林「だからこそ、いろんな人間がいろんな組み合わせで、リビングだけじゃなく、バーや屋外で、食にまつわるシーンがいくつも出てくるっていう?」

田中「つまり、コミュニティの形、日々の営みの形というのは本当に様々なんだ、どれが正解でどれが間違ってるってわけじゃない、ってことを暗にほのめかしてるんだよ」

小林「ホントかなー。だったら、脚本の隅々まで、まったくの隙もないってことですよね」

田中「きっとドラマ全体のテーマやメッセージを受け手に押し付けたくないんだと思う。ウェルベックみたいに」

小林「製作者側としては、とにかくさりげなく伝えたい、気がつかなくても全然構わないっていうアティチュードだってことだ」

田中「でも、そのためには、とにかくディテールが重要になるわけじゃん。で、それを『逃げ恥』はやってる」

小林「しかし、果たしてタナソウさんみたいな見方してる人、いるんですかね?」

田中「そこはわかんない。俺の視点は完全に職業病だしさ。それに、別にそんな風に観る必要は1ミリもないわけだし。でもテクストってのは、すべての解釈に開かれてるわけだから」

小林「それぞれが好きなように観ろ、俺はこう観る、と」

田中「でもって、解釈というのは、今日の俺みたいにとにかく素っ頓狂な方がいいんだよ」

小林「まあね」

田中「だって、そもそも批評というのは、それを読んだ人に『え?マジ? ホントかよ?』って思わせて、そのテクストにもう一度向かわせることが役割だから」

小林「読んで、納得されて、おしまい、というのはご免だ、と」

田中「批評は、また自分自身で実際のテクストに向き合ってもらって、もう一度考えてもらうためのお節介だからね。だからこそ、究極のプロモーションでなけりゃいけない」

小林「じゃあ、そろそろ、さっき少し後で話すって言ってた話をして下さいよ」

田中「何だっけ?」

小林「主人公の2人、みくりと平匡って、それぞれ別な意味で理性的な性格で、合理性を重んじるキャラクターとして描かれるじゃないですか。タナソウさん、『それこそが二人のキャラクターの魅力なんだ』って力説してましたけど」

田中「そう、そうなの! そうなんですよ!」

小林「はいはい。じゃあ、出来るだけ具体的に話して下さい」


<続く>

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