田中「まずざっと言うね。確認を兼ねて」
小林「どうぞどうぞ」
田中「みくりと平匡の共通点というのは、形は違えど、どちらもとても理性的で論理的、かつ合理性を追求する性格だよね? 堅苦しいくらい」
小林「そこはわかります」
田中「雇用形態を取った契約結婚という、常識やモラルからはあり得ない契約システムをみくりが考え出し、平匡がすんなり受け入れたというのは、つまり、二人が理性や論理性、合理性を何よりも尊重する性格からなわけですよ」
小林「感情よりもね。普通の人間なら、好きでもない相手と生活して、世間に夫婦だって公表するなんて、常識やモラルの問題だけじゃなく、感情的にも受け入れられないアイデアですからね」
田中「で、その合理性から出たアイデアが現実にぶつかって、右往左往することになる。だよね?」
小林「ドラマ前半のすったもんだは、要するに、そういうことですよね」
田中「で、二人ともずっと自らの感情を押し殺してきた人間なわけですよ。どんな不条理な現実にぶつかっても、理性で自分自身を納得させ続けてきた」
小林「わかります。二人ともすぐに論理や理性で自分の感情を押さえつけようとしちゃう」
田中「それがどうにも健気でしょ? チャーミングでしょ?」
小林「まあね」
田中「泣いちゃうでしょ?」
小林「まあね」
田中「で、そんな共通点を持ってる二人が、理性や論理では律することの出来ない恋愛という感情に翻弄されることで成長する、それこそが『逃げ恥』の主たるプロットなんですよ」
小林「一気に説明しましたね」
田中「ただ、そもそも感情とか、欲望というのは、生きる上ではもっとも厄介なものなわけじゃん」
小林「まあ、そうですね。それが世の中をややこしくもしてるわけだし」
田中「今年2016年のアメリカ大統領選にしたって、倫理や思想、アイデアの対決ではなく、感情や欲望の対決になっちゃったわけでしょ。特に最後は」
小林「まあ、今も昔も、世の中全体が感情と欲望に左右されているってことの一端を表象してはいますよね」
田中「で、例えば、石田ゆり子が演じる土屋百合は、40代のキャリア未婚女性だよね。彼女って、恋愛感情を自分自身のアイデンティティを揺るがしたり、ともすれば、邪魔をする、煩わしいものとして意識してるでしょ」
小林「ですね。まあ、原因は世間にはろくなオトコがいないからなんだけど」
田中「と同時に、彼女がそう決めつけてしまってる」
小林「で、恋愛の問題から目を反らそうとしてる、と」
田中「平匡の場合も、恋愛感情に対しては、彼が何よりも大切にしている合理的で平穏な日常を脅かす煩わしい現象だと位置づけている。そこは百合ちゃんと同じだよね?」
小林「わかります。彼の場合、百合ちゃんとは逆で、自分自身に性的な魅力を見出せないっていうのが原因ではありますが」
田中「だからこそ、積極的に恋愛からも結婚からも遠ざかろうとして、ずっと生きてきた。自分自身の心の平安を保証する、孤独だけど合理的な生活を追求するために」
小林「偏見かもしれないけど、ちょっとエンジニアっぽい発想ですよね。でも、論理的な考え方ですよね」
田中「つまり、平匡の合理性というのは、社会が無言のうちに強要する『恋愛/結婚=幸福』っていう不条理な考え方から自分を切り離して、逃げ込む場所だっていうこと」
小林「なるほどなるほど。でも、同時に、誰かに必要とされたい、愛されたい、と猛烈に感じているんだけど、その感情を押し殺している」
田中「でも、みくりの合理性はまた別なのよ」
小林「というと?」
田中「平匡の合理性というのは、かなりカリカチュアライズされてはいるけれども、わりと共有される感覚じゃん」
小林「まあ、ありがちなオタクっていうか」
田中「でも、その切実さっていうのは、確実に彼のチャームでしょ?」
小林「まあ、そうですね。それこそが『逃げ恥』の魅力の中心なんだろうし」
田中「それに対し、みくりの行動原理というのは、かなり素っ頓狂でしょ。普通の人間からは理解しがたい。すぐに突拍子もないことを考えたり、行動したりする。だよね?」
小林「そもそも自分の雇用の問題を解決するために、契約結婚なんてアイデアを考え出す時点で、間違いなく素っ頓狂ですよね。発想としてはあまりに飛躍しすぎてるっていうか」
田中「当初は特に平匡に対して恋愛感情を持ってたわけでもないし、アイデアとしても世間的なモラルや常識からは見事に食み出てる」
小林「ですね」
田中「でも、彼女の中では、ロジカルなプログレッションっていうか、ただの論理の帰結なんですよ。合理的な判断の結果」
小林「そういう意味では、筋が通ってる、と」
田中「つまり、みくりの合理性というのは、解決に向かうためのメソッドなんですよ」
小林「解決に向かうためのメソッド?」
田中「彼女はひたすら論理的に考え、ひたすら合理的に行動しさえすれば、道は開かれると考えてる。まあ、ナイーヴすぎる考え方だよね。でも、これまでもずっとそうしてきたわけじゃん」
小林「あー、なるほど。でも、その度に小賢しいと言われ、これまでも何度も挫折してきた、と」
田中「彼女の論理性、合理性というのは、雇用の問題にしても、コネや情に振り回されたり、女性よりも男性が重用される世の中の不条理さを克服するための剣と盾なんですよ」
小林「でも、往々にして、それが誰にも通じない、と」
田中「まったく通じない。でも、論理と理性で合理的に考えて、行動することを絶対に諦めないわけじゃん」
小林「何度も手を変え、品を替え、トライし続けますよね」
田中「その懸命さがどうにも不憫で、どうにもチャーミングなわけじゃないですか」
小林「なるほど」
田中「ちょっと俺っぽくない? みくりって?」
小林「帰着点、そこ?(笑)」
田中「これまでの人生で、『あたしはあなたみたいに賢くない』『あなたみたいに強くない』と何度言われてきたことか!」
小林「知りませんよ。まあ、口が達者で、常に小賢しいことばかり考えてるのは確かですけど」
田中「で、必ず失敗すんじゃん、俺」
小林「なんですよねー」
田中「世の中は感情や欲望で動いてるのに、いつも論理的に考えて、合理性を追求し、世間の知性とか、聡明さとか、良心に訴えかけようとするでしょ。ホント懲りないわけよ」
小林「いつも何かアイデアをひねり出して、それがうまくいかなくなる度に『また策士策に溺れるパターンか!』とか言ってますよね」
田中「成長しないんですよ」
小林「そのせいで迷惑してますよ、いつも」
田中「すいません」
小林「でも、やっぱりみくりにしても、あまり周りにはいないタイプかもしれないですね」
田中「でも、小さい頃から可愛くて、ずっと周りからチヤホヤされ続けた女子にたまにとんでもなく素っ頓狂な女の子いるじゃん」
小林「容姿でのみ判断されて、まったく中身を見てもらえないっていう体験がずっと続くと、そうなっちゃう場合もありますよね」
田中「それはそれでひどい話じゃんか」
小林「でも、さすがにみくりみたいな女の子はそんなにいない気がしますけどね。ファンタジーですよ」
田中「でも、リアリズムなんてクソ喰らえだからさ。現実を描くにはファンタジーの方が適してるわけだから」
小林「じゃあ、みくりのかなりレアなキャラ設定は、どんな現実を描くためのものだ、と?」
田中「そりゃあ、最初から言ってるように、この格差社会だし、何よりもブラック企業に代表されるように、雇用の現場が血も涙もない契約にのみ縛られてるっていう現状なんじゃないの?」
小林「でも、そんな描写、ひとつもないじゃないですか?」
田中「いやいやいや、そこが『逃げ恥』というドラマの優れたところなんですよ」
小林「というと?」
田中「そういうブラックな雇用の現場を克明に描くことで何かしらの批判とか疑問を投げ掛けても、誰も観ないじゃん」
小林「つまり、『蟹工船』の時代ではない、と」
田中「だからこそ、ラヴ・コメディっていう設定の中に、雇用の現場における理想的な形をこっそりと忍ばせてるんですよ」
小林「もう少し具体的に言って下さいよ。例えば?」
田中「百合ちゃんを安心させるために二人が理想の夫婦を演じたりするっていうプロットがあるでしょ? あそことか」
小林「は? それが理想の雇用の現場の描写ですか?」
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