⑧イスラーム社会に生まれていたら恋愛格差社会の犠牲者=『逃げ恥』平匡は幸せだった?



田中「平匡の35歳童貞、独身のプロっていう設定は、間違いなく『逃げ恥』っていうドラマの社会的なアングルを象徴してると思うんですよ」

小林「就職難民っていう、みくりの設定だけじゃなく?」

田中「ミシェル・ウェルベックの『闘争領域の拡大』っていう小説読んだ? グローバリゼーションが行き届いて、新自由主義的価値観が優勢を極めたことで、世の中の人々が経済的な勝者と弱者に二分されただけじゃなくて、恋愛や結婚っていう領域においても完全にその格差が及ぶようになったってテーマの小説なんだけど」

小林「なるほど。で、『闘争領域の拡大』ってタイトルなわけなんですね」

田中「で、実際に日本でもそういうことになってるじゃん」

小林「なるほど。で、平匡もまさにそういう事態に直面してるキャラクターだし、『逃げ恥』はそういう時代を描こうとしてる、と」

田中「原作にしても、ドラマにしても、そうなんじゃないかな」

小林「実際、ウェルベックの祖国フランスって、結婚制度が完全に破たんしてますからね。婚姻率の低さに対する離婚率の高さとか半端ないですからね」

田中「ほんの何十年間か前の西欧社会では、キリスト教が離婚や不倫を抑制してたんだけど、今はそれが瓦解しちゃったからね」

小林「大戦前後のイギリスの王家なんかでも、離婚経験のある人間と結婚しようとした王族が国を追われるなんてことが普通に起こってましたからね」

田中「でも、そういう価値観というのは良くも悪くも過去のものになりつつあるわけじゃん。ところが、日本はむしろ逆行してるところない?」

小林「というと?」

田中「今のイギリスの女王のエリザベス二世いるでしょ」

小林「ああ、よくピンクの服着てる人?」

田中「大戦から10年ほど経った頃の話なんだけど、彼女の妹のマーガレット王女がさ、離婚経験のある男と恋に落ちたのよ」

小林「聞いたことあります」

田中「で、宗教的な理由から、イギリス国教会やその影響下にあるイギリス政府は二人の結婚を阻止しようとしたんだけど」

小林「まあ、そうでしょうね」

田中「でも、むしろイギリスのメディアやイギリス国民は二人の許されざる恋愛を応援してたところがあるわけよ」

小林「市民やメディアの意識の方が遥かに進歩的だったわけですね」

田中「でも、今から60年くらい前の話だから、大昔の話よ」

小林「あー、なるほど。そういうことか。でも、今の日本はそういうイレギュラーな恋愛や結婚に対して不寛容だ、と」

田中「そうそう」

小林「今の日本って、不倫に走った公人に対して、メディアも一般人もホント容赦ないですもんね」

田中「すぐにゲス扱いでしょ。こぞって袋叩きじゃん」

小林「でも、それも闘争領域の拡大がゆえなんじゃないですか?」

田中「どういうこと?」

小林「要するに、『俺はまだ童貞なのに、こいつは何人ものオンナとやりやがって。ふざけんな!』てことなんじゃないですか」

田中「そうなの?」

小林「中にはそういう輩もいるでしょ。嫉みですよ、嫉み」

田中「容赦ないね、あんた」

小林「でも、そういう傾向っていうのは、むしろ世界的な潮流って気もしますけどね」

田中「持たざる者が富める者に対して牙を向くっていう?」

小林「そうです。トランプ政権の誕生がまさにそのことを証明したっていうか。まあ、実際はそこまで単純な話じゃないけど」

田中「でも、やっぱあらゆる領域で格差が広がってるのは確かだもんね」

小林「ただ、今のゲス叩きって話も、モラルの問題であると同時に、結婚というシステムに対する盲信がもたらした惨劇ではありますよね」

田中「結婚なんかせずに、独身ライフを満喫すりゃいいのに。ホントあの時代が懐かしいわ」

小林「いやいやいや、だから、それ以前に恋愛さえ出来ない人がたくさんいるっていうことですよ」

田中「つまり、個人の問題じゃなくて、むしろ社会の問題って考えるべきだってことでしょ? やっぱそうでしょ? でしょ?」

小林「まあ、実際、ここ日本でも20代の童貞率の高さたるや、すごいらしいし。『逃げ恥』の平匡にしても、そういう意味からすれば、その代表のひとりなわけじゃないですか」

田中「でもさ、平匡みたいな恋愛という局面における『自尊感情の低い男』っていうのは、今どの程度、この国で優勢なんだろうね?」

小林「いや、そういうのばっかりなんじゃないですか」

田中「わからんなー」

小林「まあ、自尊感情が過剰に高すぎる人がそんな風に言うのはよくわかります」

田中「俺にはそもそも常に自分が世界一だと思ってるから」

小林「それはそれなりに生き難い世の中でしょうな」

田中「でもさ、少なくとも、そもそも結婚っていうシステムそのものが必要なのか? そのシステムそのものが人を不幸にしているんじゃないか? っていう議論自体は、ある意味、共有される時代になったわけでしょ?」

小林「だからこそ、『逃げ恥』の平匡にしても、『恋愛や結婚というのは自分とは関係ない世界の出来事なんだ』って風に従来の結婚や恋愛っていう価値観から自分を切り離そうとしているわけで」

田中「そう、その通り。不倫したゲスを叩くやつらみたいに自分の価値観を他人に押し付けたりしないのよ、平匡は」

小林「確かに」

田中「偉い、平匡!」

小林「平匡の場合、彼の恋愛/結婚における報われなさは、闘争領域が拡大した社会自体の問題でもあるんだけど、あくまで自分の問題として内面化しちゃうんですよね。『自分に性的な魅力がないから仕方ない』『悪いのは自分なんだ』って」

田中「自分のせいだと考えてて、納得しようとする。そこがあまりにも健気なわけですよ」

小林「でも、みくりにもそういうところありますよね。雇用という問題にぶつかった時に、社会の問題を内面化しちゃって、『悪いのは自分なんだ』って納得しようとするっていうのは」

田中「もちろん、それはそれで否定するつもりはないよ」

小林「アートの役割は受け手を励ましたり、癒したりすることですからね。特にエンターテイメントの場合」

田中「と同時に、受け手が目を反らしてる問題を突きつけて、思考に向かわせるのもアートの役目じゃん。しかも、『逃げ恥』が最高なのは、ウェルベックの小説と違って、それをホントさりげなくやってるところなわけでさ」

小林「しかし、にもかかわらず、それを事細かに解釈して、説明しようとする我々って何なんですかね?」

田中「お節介であり、エゴでしょうな」

小林「でも、やらずにはいられない、と」

田中「なので、ここからはさらに余計な詳細な解説をしたい!」


<続く>

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