その日の取材はクソだった。
それでもライターとして金をもらっている以上、必要最低限の仕事をこなしながら、いつものように「お疲れ様でした」と深々と多くの人に頭を下げた。
取材で訪れた中目黒のハウススタジオを出た後、僕は駅まで歩いて帰ることにした。中目黒の駅までは歩いて約15分。地元の人以外ほとんど足を踏み入れることのない静かな住宅街を歩いていると、緑地公園の側に少し変わった“ある店”を見つけた。
壁には「waltz」と書かれている。たぶんワルツと読むのだろう。
大きな鉄扉を開けると、目に飛び込んできたのはメタリックで異様なまでに存在感のある「カセットデッキ」だ。
コンパクトで持ち運びできそうなものから、スパイク・リーの映画に出てきそうなギラギラしたものまで…。
「ふぅん、いまどきラジカセねぇ」と少しバカにしながらも、店内を少し見渡してみた。
店は大きく4つのゾーンに分けられていた。入って左側はアナログレコードのスペース。中央はカセットテープやラジカセ、ウォークマンが展示され、右側には60年代頃からのファッション、音楽雑誌がずらりと収納されている。奥には、レコード、カセットが視聴できるスペースも用意されていた。
昔のモノを売っている店。
それが、僕がこの店を見て抱いた第一印象だった。流行に浮かれた街にいけば、誰もが目にするであろうスノッブなアナログレコードの店。普段はネットラジオとAppleMusicで音楽的欲求が満たされている僕にとっては、いま最も興味のない店のひとつかもしれない。
とりあえず店内を一回りしたのち、僕はすぐに立ち去るつもりだった。ところが、結果的にはしばらく店から出ることはなかった。なぜか? その理由は「カセットテープ」が妙に気になったからだ。
アナログレコードやCDに見慣れていると、カセットテープはとても滑稽なサイズをしている。ジャケットのアートワークを楽しむにはミニチュアのように小さすぎるし、ときどき文字がつぶれて何が書いてあるか読めないものもある。
いまの時代、テープに存在価値はあるのだろうか…。
「テープ。好きなの試聴していいからね」
声をかけてきたのは、メガネをかけた40代半ばの男性だった。カジュアルな服装で、やたらと聞き取りやすい声質をしていた。彼ならどれだけ騒がしいレストランでも、すぐにウエイトレスを呼ぶことができそうだ。
「いや、やめときます。だって、テープなんて音質が悪そうだし」
僕がそう答えると、男性は少しキョトンとした表情になり「君はなぜテープの音がよくないと思っているの?」と質問をしてきた。そのトーンに特別な敵意は感じられなかった。だから僕は正直に答えた。
「だって、CDのほうが音がクリアだし、音域も広いし、聞き比べたら全然違うことぐらい子供でもわかるよ」
彼は「そっか」と短く言葉を漏らし、こう続けた。
「僕はテープの音が劣っているなんて思ったことがないな。何と比較して音を評価しているかということがポイントだと思うんだけど、当時はデジタルメディアと比較してカセットは劣っているとか、日本製のテープと海外製を比べると日本のほうがいいとか、そういうことを言っている時代もあった。
いまのデジタルミュージックとアナログメディアを比較すると、音が全然違うのは確かにそうだと思う。ポイントはクリアという基準以外に、音の柔らかさや、中音域の厚さ、それぞれに特徴があるってことだと思う」
彼は店に並べられているカセットデッキを指さし、さらに話を続けた。
「どういうプレーヤーで再生するかで、カセットは音の鳴りが全然違ってくる。80年代という時代は、電機メーカーがオーディオで技術を競っていた時代だった。ソニー、ナショナル、シャープなんかは特にそうだね。だから、当時のカセットデッキにはいいスピーカーが入ってるし、世界的にも人気なんだと思う。
実際にこういうラジカセで、ヒップホップを聞くとやっぱりいい。デジタルとは比較にならない魅力がある。君も聞いてみるかい?」
僕は少し考えたけど「やっぱり、いい」と首を横に振り、「ヒップホップはあまり好きじゃないから」と答えた。
彼は特に表情を変えるでもなく「どういう音楽が好きなの?」と聞いてきた。
「ジャズは割と好き」
「そうか。ちょっと待ってて」
そういうと、彼はカセットテープのジャズコーナーで何かを探しはじめた。僕はその姿を眺めながら、自分の対応は冷たすぎたのではないかと少しだけ後悔した。
昔を生きた人は「昔は良かった」と口をそろえ、今を生きる僕たちは“So Fucking What ?”と頭の中で繰り返す。
昔がそんなに良いなら、なぜ新しいテクノロジーは生まれた? なぜ人々は、より便利な生活を求め続けた? なにか不都合なことがあったから、世の中は変わったんじゃないのか? そんな青臭いことを口にしたところで、青臭い自分に嫌気がさすことも知っている。
しかし、目の前の男は何かが違った。アナログ好き特有の湿っぽさもなければ、回顧主義的なウザさもない。それはなぜなのか? この店を始める前、彼はいったい何をしていたのだろう…?
「俺、ライターなんだけど、ここを取材したい。いいかな?」
「取材? いいよ、時間ならいくらでもあるから」
そう言いながら、彼は1本のカセットテープを棚から取り出し、展示していた古びたラジカセにセットした。
ガチャガチャと機械が絡み合い、しばらく間の悪い静寂が訪れた。そして、突然スピーカーからChet Bakerの“Well You Needn't”が流れ始めた。1944年にThelonious Monkが作曲したものだ。
もともとは倉庫して使われていたという店内は、シンプルなつくりでどちらかといえば近寄りがたい印象だった。
しかし、ラジカセからChet Bakerの曲が流れ始めた途端、まるで魔法にでもかかったように陽気で乾いたウエストコーストの空気が店内を包んだ。言葉にならない感覚だった。
「どう、テープも悪くないだろ?」
僕は返事をするのも忘れるほど、Chet Bakerの軽快なトランペットに心を奪われてしまった。
(後編へ続く)
Photographer : 石田 祐規 / YUKI ISHIDA
0コメント