日本より海外の方が遥かに知名度があるのもあって完全に気持ちが腐り始めている気鋭の音楽家ボーイズ・エイジが、カセット・リリースされた作品のみを選び、プロの音楽評論家にレヴューで対決を挑むトンデモ企画!
>>>先攻
レヴュー①:Boys AgeのKazの場合
定額制ストーリミング配信サービスの勢力の成長度合いが凄まじい。作り手としては、喜ぶべきか嘆くべきか。ユーザー側の経済格差による出会いの機会の差は確実に埋まるだろうから――それはとても良いことだけど、音源の販売が重要かつ致命的な収入源のマイナー勢にとっては面白くないことだ。iTunesが隆盛した時もそうだったけれど、収益の分配率がアーティスト側にとっては完璧に不利なんだ、こういうのは。bandcampみたいな独自にデータ販売出来るサイトのおかげでなんとかなるかもと思ったらこれだもの。益々「音楽以外」で勝負しなくてはならんわけだ。
近い将来、物理的音源はほぼ息をしていない時代が来るかもしれない。カセットやレコードがブームなんていうが、こんなもの一過性に決まってる。ソニック・ブームなんてとても呼べないそよ風だよ。そうなるならば、グッズやチケット販売のためのプロモーションとして音源を作る日々がやってくるのか、胸が熱くなるな。いや、私はガリガリだよ。180cm近くあるのに体重は50キロ切る時もままあるからね。とにかく、音楽家の主戦場はやはり演奏に移行するかもな。そういう意味では、19世紀以前のリヴァイヴァルかな? 勿論、全く同じにはなるはずもないね。映像やファッションなど、五感の中でも情報量の多い視覚を支配するというプロモーションが大事になるな。情報過多の21世紀、高速で流れる情報の中で人々の目に止まるにはよりキャッチー(笑)でセンセーショナル(笑)じゃないと。プロデュースの仕方も根本的に変わるかもね。一個でどかっと稼げないなら薄利で物量投入になるだろうし。今までとは段違いに人的消耗資源になるね、我々。食料物資や化石燃料に続き人間も大量消費の時代か、地球が熱くなるな。
そういや、第五回だっていうのにカセットテープで聴く意義を本当に定義してないな。まあ、この連載のタイトルはタナソー氏が名付けで私はノータッチだから、その辺のクレームは受け付けておりません。改めてカセットの話をすると、データとかレコードとか色々な音楽媒体あるけどあえてテープを選ぶ最もな理由は存在しないんだよ。最近の女優で例えると、「綾瀬はるか・長澤まさみ・広瀬すず」(みんなファースト・ネームが平仮名だな……)さあどれが良い?! って問いに好みを答えるのと同じだから。第一回とかもしかしたら第二回でもちこっと触れたけど、音の感触が好みなだけで、中身の価値が変わるわけじゃない。ちょっとよく聴こえたり悪く聞こえたりするだけだよ。それも好みでしかないよね。あとは物理的に手にとって眺めたり、ドミノにしてみたり、クレジットカードのCMごっこ遊びみたいに懐から取り出してみたり、そういう遊びも出来るけどカセットである理由がないな、ビーダマンのターゲットにでもしてみるかい。
ハッキリ言って、無理にカセットをプッシュするのも主義に反するし、カセットで聴く、とかの前にまずもっとちゃんと音楽を聴けよと。もっと音楽を知り、もっと音楽を調べ、自分だけのプレイリストを作りなよ、と思うのだよ。ブログやニュース・サイトのチェックもいいけどさ、こんなに簡単に情報にアクセス出来る時代なんだよ。「ググる」なんて単語もあるぐらいだしさ、まずは調べてみなよ。適当にコロンビア大学あたりのラジオのプレイリストを盗み見たり。次回から(もうコレも全然新しいことじゃないけど)「Bandcampで探さNIGHT」でも勝手に連載しようかな。
あー、テレヴィジョン? 説明いるかね? 似た感触のバンドでも有名どころにダイヴ(ただし〈KEXP〉を代表とするライヴ演奏)がいるしね。リアル・エステイトもちょっと似てるか? ウェザー・プロフェッツとか。バンドのリーダーのヴァーラインはドアーズが好きだったらしいから、そうなると『モリソン・ホテル』を聴くと良いかもね。ヨ・ラ・テンゴも好きって言ってたかな。
あえて言うなら、以前レコード・ストア・デイでリイシュー・リリースされた彼らのライヴ盤、あれは良いものだった。いや、でもこれを書いてる時の青春世代はもう聖飢魔II、いや世紀末生まれだからそうなるとテレヴィジョンどころか、ずいぶんシンプルながらも初期に比較されてたストロークスですらクラシックどころかヴィンテージになるか。よしわかった。次回がないかもしれないから今日は暫定最終回ということで少し真面目にやろう。
テレヴィジョンちゃんはね、73年にアメリカのニューヨークで結成された、今でいうポストパンク/ニューウェイヴ・ミュージックの先駆け的バンドだったんだよ。その頃はそんな名前当然なくてね、多分パンク・ロックだったんだ。文学的/詩的な歌詞と切れ味するどいリード・ギターのメロディやジャズっぽいドラムだとかに偏重した音楽性は独創的でみんなが思うパンクとは違うと思うよ。でも、その少年漫画並みの熱量の演奏や詩は紛れもない彼らだけのパンク・ロックだった。ま、少なくともニューヨーク・パンクは芸術性や音楽的こだわりが強かったから皆々結構独特で変なことやってたんだけどね(スーサイドとか)。
今では面影もない〈エレクトラ〉からメジャー・デビューしてリリースした『マーキー・ムーン』は喝采と絶賛を受けて世界に羽ばたいていった。ただ、その後2ndアルバムが腐れカス呼ばわりされた挙句、発表年に解散しちゃったんだけどね。むしろ2ndアルバム『アドヴェンチャー』は地味なだけで名盤だよ(評論家の耳が腐れてただけなんじゃない?)。それから14年後に再結成して3枚目のアルバム出したけど、単曲ならまだしもアルバムとしては、個人的にいただけない出来だったよ。で、また活動休止して、最近もちょこちょこ活動してるよ。もうすっかりジジイになっちまって、最初の頃の胃がキリキリするような緊張感の演奏はないけど、老獪さの情緒に溢れた演奏は当時とは違った味わい深さがあるよ。
好きなバンドの中には、「あと30年遅く出現してくれてたらなあ」って思うのも結構いるんだけど、一作目『マーキー・ムーン』に関しては、あの時代だから良かった。あの時代に作っておいてくれてありがとう、と感謝の極みだよ。私のギター・プレイに影響を与えたミュージシャンの一つで、今まで聴いた最高のギター演奏の一つだね。パンクとは姿勢であり、それは豊かな心のこもった演奏で表現することであり、(初期のパンクはどちらかというと無気力系主人公だったんだけど)叫び声や過激さではなく静かに揺らめき燃えるもの、という一つの完成形を提示した偉大さを備えた英雄だよ。
ディスクユニオンでCDが500円ぐらいで買えるから、聴いてみなさいな。演奏に感情を込めることの意味を確認出来るよ。彼らは上手いけど、超絶ってわけじゃないし、パワフルでもなんでもないけど、とっても雄弁。
まあ……英語がわからない私が英会話を理解出来ないように、音楽がわかってない人間にその声が届くことはないんだろうけどね、仕方ないね。ま、嫌いってなら仕方ないが、古いってだけでバカにするのはよしたほうが良い。まあ……先駆者ってだけで神格化するのもダメだけどね。フォロワーって大概フォローしてるバンドを超える気、ないよね。すげー目障り。
【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】
★★★★★
非常によく出来ました。カズくんの先輩のトム・ヨークくんが定額ストリーミング・サービスに対して苦言を呈した時には、彼が世界中からフルボッコに合ったのを知っているにもかかわらず、こんなハイリスクな作文を書いてくれた勇気に先生は感動しました。しかも、本題以外の文章にこんなにも分量を費やしても原稿料は変わらないのに。しかも、本題の部分では、この作品の形式的な特徴や長所をきちんと指摘しながら、時にはフラットなファン目線から作家さんの不甲斐ない活動を容赦なく切り捨て、時には同じ演奏家の立場からその気持ちのこもった演奏の大切さについても指摘する。批評家の鏡のような作文です。頑張ったね!
>>>後攻
レヴュー②:音楽評論家 岡村詩野の場合
今、このアルバムはどういう耳で聴けばいいのだろう。実は……もしかすると10年、いや、ちゃんと通して聴くのは15年ぶりくらいかもしれない……と前にターンテーブルに乗せた時のことを思い出しながらこのカセットをデッキに放り込んでみる。いやほど聴いたアルバムだ。ある時期までは「生涯の1枚」に挙げていたこともある愛着限りないアルバムで、ヴォーカルも担当するトム・ヴァーレインとこのバンドのアンサンブルを決定づけているリチャード・ロイドによるツイン・ギターのコンビネーションは自分の中でロック・バンドの一つのお手本、というか、理想であり続けてきた。
だが、おそらく2000年に入る頃……いや、もしかするともっと前かもしれないが、とにかくとんと聴かなくなってしまった。なぜかはわからない。ただ気分じゃなくなった、と正直に告白すべきかもしれない。ただ、敢えてその理由を探してみるなら、そして、やや酷い言い方をしてしまうことを許してもらえるなら、あんなに理想的だと思えていたツイン・ギターのアンサンブルが古臭く思えてしまった、というのが本音かもしれない。『マーキー・ムーン』の大事な大事なイントロのギターを間違えてやり直すという最もやってはならない失態を見せてしまった再結成来日コンサートのような出来事が、テレヴィジョンというバンドと従順な聴き手であってきた私との良い緊張関係を崩してしまっていたというのも距離を置くことになった一つのきっかけかもしれない。
というわけで、大昔つきあっていたものの、これと言った理由もなくなんとなく自然消滅していた元彼に再会するような気分で再生ボタンを押してみる。1曲目“シー・ノー・イーヴィル”。大好きな曲だ。ハーモニックなリチャード・ロイドのギターのトーンが耳の中でツーンとクる。なぜこんなに滑らかでしなやかで高潔なんだろう! 最初に聴いた時の興奮が少しだけ蘇ってくる。サビのコーラスが「ああ、詩野」と聞こえることにドキドキした最初の出会い。トム・ヴァーラインとパティ・スミスがつきあってたこともあるんだって、私だってあの頃のニューヨークにいたらトムと恋に落ちてたもん……そんなアホな妄想をしていた中学の頃。思い出す、思い出す、思い出す、思い出す、思い出す……このアルバムが表情一つ変えずに、でも情熱的にこちらに迫ってきたあの頃を。
けれど、である。トムの歌もハーモニックなツイン・ギターもどちらもトーンが高い。このアルバムは、いやテレヴィジョンというバンドは低音がいやに薄い、というか押さえ目なのだ。この異様に耳にツーンとクるような高音気味の音作りが、恐らく15年くらい前の耳にはしんどくなっていたのだろうとジワジワ思い出してきた。これでもかとばかりに、でも猛烈に凝ったギターのリフをあれこれ繰り出してくるギター・アルバム然とした構成にも少し疲れてしまったのかもしれない。
だが、その頃から15年ほど経過した今、あらためて向き合ってみたらどうだろう。確かに最初に聴いた時のような情熱を今一度覚えることは確かに出来た。でも、今、私の耳を捉えるのはそこではない。例えば、1拍目にアクセントが置かれながらキラキラしたアルペジオが続く“ヴィーナス”のドラム・ロール。ややファニーなヴォーカルが聴ける“プルーヴ・イット”の飛び散るようなスネア……そう、ドラム。ビリー・フィッカのスネアをメインにした、限りなくオカズの少ないドラム。この素朴で飾り気もないのに突如鋭いフィルを入れるドラミングに、どこかしらジャズの素養を感じてしまう。ロバート・グラスパーやケンドリック・ラマーといったアーティストの作品に現代的な気風を感じる今の耳にフィットするのはバンド一寡黙な男、ビリー・フィッカのドラムだった。
ジャズ、ソウル、ファンクの要素を巧みに取り入れたヒップホップやハウスのレコードに慣れてしまった今の体でもこのアルバムは楽しめた。そんな聴き方が出来ることに、自分でも少し驚いている。今、私はビリー・フィッカと恋に落ちたい。
【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】
★★
詩野ちゃん、ちょっとおませすぎるぞ! 恋は大人になってから。じゃないと、先生の好きな前田敦子さんが演じてる「毒島ゆり子」みたいになっちゃうよ。なので今回は大幅に減点です。でも、今回の作文は詩野ちゃん自身の気持ちがよく伝わってきました。ただ「ああ、詩野」と聞こえると詩野ちゃんが書いているパートは、先生には「ああ、死ぬ。足のイボ」と聞こえました。今度、タモリ倶楽部にお手紙を書いて、どちらが採用されるかやってみましょう。楽しみだね!
勝者:KAZ
ということで、ついにKAZが5つ星の大傑作レビューを放ち、初勝利!
波乱万丈?となるかもしれない次回以降の展開は、続報を待て!
〈バーガー・レコーズ〉はじめ、世界中のレーベルから年間に何枚もアルバムをリリースしてしまう多作な作家。この連載のトップ画像もKAZが手掛けている。ボーイズ・エイジの最新作『The Red』はLAのレーベル〈デンジャー・コレクティヴ〉から。詳しいディスコグラフィは上記のサイトをチェック。
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