渋谷・並木橋のサンドイッチ屋「BUY ME STAND」 | 02

ヤバいところに来てしまった。

さらに運の悪いことに、僕がその場所に着いたときは、それまで晴れていた空には分厚い雲がかかり、雨がぽつぽつと降り始めていた。


(前編はコチラから)


並木橋のサンドイッチ屋「BUY ME STAND」の店長にもらった1枚の名刺。それを頼りにここまで来たが、まさか“こんな場所”だったとはまったく想像もしてなかった。

割れたガラス、錆びたBBQコンロ、ナイフやノコギリといった工具類も散乱している。狂犬病にかかった野犬が出てきてもおかしくない。奥へ進むのに少し足がすくんだが、ここまで来て引き返すわけにもいかなかった。

冷たい風が吹くたびに電球があおられ、錆びた柵がキイキイと嫌な音を出す。90年代のタランティーノ映画はいつもこんな場所から始まっていた気がする。

敷地の奥には「SON OF THE CHEESE」と書かれたプールがあり、隣のトレーラーハウスには明かりがついていた。

中にいた人物が僕の存在に気づいたらしく、トレーラーハウスの扉がゆっくりと開いた。眼鏡をかけた背の高い男が姿を現した。


「君は……、誰?」

「おどかせるつもりはなかった。Johnから聞いた」

「ああ、Johnね。で、俺になんか用?」

「アップルチークス。あれ、最高のサンドイッチだと思う」

「BUY ME STANDの? 俺もそう思うよ」

「あのホットサンド、僕に作り方を教えてくれないか?」

「はあ? 教えるわけないじゃん」


彼があまりにもハッキリと断ったため、僕は返す言葉が何も浮かばなかった。「雨が止むまで、中にいれば?」彼はそう言い残すと、トレーラーハウスの中へ再び戻ってしまった。

交渉は一瞬にして失敗に終わった。同時にここにいる理由も消滅した。しかし、どこかで彼の誘いに乗ってみたい自分がいた。この空間には不思議な魅力があったし、彼が何者なのかも知りたかった。

僕は雨が降ってきたことを言い訳にして、トレーラーハウスの中に足を踏み入れてみた。


「ねえ、いくつか質問してもいい? ここのこと」

「ああ、別にいいよ。ちょうど休憩してたところだし」


僕はいつものようにiPhoneの録音ボタンを押し、彼との会話を記録することにした。

彼の名前は山本海人。ファッションブランド「SON OF THE CHEESE」のデザイナーであり、サンドイッチ屋「BUY ME STAND」と、同じマンションにある紹介制バー「SON OF THE BAR」のオーナーである。

このトレーラーハウスは彼の事務所として使用しているそうだが、もともとは彼の住居として5年前にここへ運び込んだものらしい。目黒通りの側でトレーラーハウスに住んでいた? なぜそんなことを思いついたのだろう。


「このトレーラーハウスは中古で100万ぐらい。でも、車だから自動車ローンが組める。100回ローンにすれば月1万。ここの土地は月7万。だから合わせて8万。目黒でトレーラーハウスとプール付きで、家賃8万円。そうなったら、ちょっと住みたいと思わないか?」


庭にあるスケート用プールは、彼がスケーター仲間といっしょに手作りしたもの。当時は洋服の下請けで生活費を稼ぎながら、毎日ここでスケートを楽しんでいたという。

ところが、そんな生活を「あまり生産的じゃない」と思いはじめた彼は、ある日プールの中に水を入れて、スケートをできなくしてしまった。


「一度スケートから離れたかった。俺だって生活費を稼がないといけなかったし、毎日スケートばかりしてる場合じゃなかったんだ。

でも、水を入れてプールにしたことで、今度はスケーター以外の人が集まるようになった。初めは写真家が来て、ここを撮影で使いたいっていいだした。次にモデルが遊びに来るようになり、それから雑誌の人たちが集まりだした。

もともとは自分の夏休みのために作った場所だったけど、いつの間にか人のための夏休みをここで過ごすようになっていった」


僕は小さな窓から外をのぞいたが、ここに人が集まるとは思えなかった。しかし、僕が質問するまでもなく、彼がその理由を口にした。


「ここは今年の5月で閉鎖する。長かった夏休みは、そろそろ終わりということだ」

外はまだ雨が降っていた。

「BUY ME STANDのホットサンド、あれは本当においしいと思う」僕がそう言うと、彼は少しばかりうれしそうな顔をした。


「本当は、サンドイッチ屋は老後にやるつもりだった。それまではここを店にしたかったんだけど、保健所の許可が下りなかったんだ」

「レシピを20ドルで買ったという話は?」

「ああ、あれは本当だ。でも、いま店で出してるのは本当のレシピじゃない。俺が食ったアップルチークスは、もっと女の子っぽい食べ物だった。カマンベールチーズも生だったし、ホットサンドじゃなかった」

ナーバスな雰囲気をまとった彼は、決して社交的なタイプには見えなかった。しかし、初めて会ったはずの僕に、彼はいろいろなことを話してくれた。

特に印象的だったのは、僕が「普段はどんな音楽を聴くのか」という質問をしたときだ。彼は「なんでも聞く」と答えたあと、このように自分のことを語ってくれた。


「自分は“スーパーニュートラル”であることを意識している。俺はプロフェッショナルではなく、いろんな角度から勝負するタイプだと思う。だから、いろんな人と関係を持てる方が、自分にとっては勉強になるし、そのためにもニュートラルな状態を保っていたいんだ。

趣味趣向を押し付けることはしたくない。その方がいろんな人とも付き合えるからね。大切なことは、自分の中に選択肢をいくつも作っておくことだと思う」

ニュートラルな状態を保ち、不特定多数な人たちと付き合う。意地悪な見方をすれば、まわりから八方美人に思われないのだろうか。


「関係ない。誰かが思い描く自分になる必要はない。だって、すべては自分のためだから。無理をしてまで、そこに付き合う必要はない。そう思わないか?」


洋服にもそういう思想が影響しているのか? 僕は彼に尋ねてみた。


「洋服を仕掛けるとき、みんなは“世界観”が必要っていうけど、俺らは“物件”をつくるんだ。洋服は、世界観を持った“物件”を構成するパーツ。この世に洋服だけが存在することなんてあり得ないんだから」

「マンションの部屋で世界観を考えるか、世界観を持った物件を本当につくるかの違い。今年のSSは、BUY ME STANDから派生させて洋服をつくった。リアリティとの連動。まあ、そう簡単にいっても、物件をつくるのは大変だけどね」


トレーラーハウスの中は、お世辞にもきれいとは言い難いものだった。ソファにはサンプル帳が転がり、デスクには書類が山積みされていた。不思議なオブジェが並ぶ棚を見ていくと、“FUCK”という文字を発見した。

手に取ってみると、それは小型のドローンだった。

「これ、飛ぶの?」僕は聞いた。

「飛んだのは、最初の1回だけだ」彼はあきれた様子で答えた。「あとは電源すら入らない。まさに“ファック”なドローンさ」


外はすでに暗くなっていたが、雨はいつの間にか止んでいた。僕たちはドローンを庭で飛ばせてみようと試みた。しかし、本体への充電がうまくいかないらしく、やはり電源を入れることができなかった。

「そろそろ帰るよ」僕は言った。「ここがなくなる前に来れてよかった」

「今度は、バーのほうへ遊びに来なよ」

「そしたら、レシピを教えてくれるのか?」

「それはまた別の話だ」


彼はそう言うと、僕を見送るでもなくさっさとトレーラーハウスの中に戻っていった。

雨上がりのせいか、外は昼間ほど寒く感じなかった。あれほど不気味に感じた景色も、いまでは電球のあたたかい光で、どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせている。

敷地を出たあと、僕は大通りを歩きながら最寄り駅まで向かった。あたりはすっかり暗かったが、LEDの街灯が煌々と夜道を照らしているためまぶしいぐらいだった。


「誰かが思い描く自分になる必要はない」


駅に向かう途中、彼の言葉を何度も思い出した。僕は誰かが思い描く自分ではなく、自分が思い描く自分になれているのだろうか。


通りかかった公園で、ひと足先に花を咲かせた桜の木があった。まわりの桜と種類が違うのか、そこだけ太陽がよく照りつけるのか、僕にはその理由がわからなかった。しかし、その桜はまわりとの調和なんてクソくらえとばかりに、見事なまでに堂々と咲き誇っていた。


僕はその間抜けさが少し可笑しくもあり、同時にうらやましく感じた。




photographer : 井上 圭佑 / KEISUKE INOUE

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