「あれは世界一のサンドイッチだ」
そう話してくれたのは、某ライフスタイル誌で編集長を務める50代の男。彼の話では、渋谷の並木橋近くにビンテージマンションを改装した「世界一のサンドイッチ屋」があるという。
彼との打ち合せが終わったあと、僕はそのまま並木橋へ向かった。彼がいう「世界一」を自分の目でも確かめてみようと思った。これでもし普通のサンドイッチ、もしくは少しうまいぐらいのサンドイッチだとしたら?
それは、彼の人生がその程度だということだ。
店は少し不便なところにあった。渋谷と恵比寿のちょうど中間地点。並木橋の交差点を代官山方面へ少し歩いたところだ。
ガラス張りのファサードには「BUY ME STAND」と書かれていた。ときどきこの道を通っていたが、こんなところにサンドイッチ屋があったなんてまったく知らなかった。
店に入ると、まず注文カウンターが目についた。キッチンにいた店長らしき男が僕に気づき、カウンター越しに声をかけてきた。
「何にする?」
「すごくお腹が空いている。何かおすすめはある?」
「だったらアップルチークスがいい。りんご、豚肉、たまねぎ、それにカマンベール。ベジじゃないだろ?」
「じゃあ、それで。あと、コーヒーも」
「OK。そこのマグカップ使っていいよ。お代わり自由だから」
僕はマグカップを手に取り、古い機械で温められているポットから熱々のコーヒーを注いだ。強い酸味のある香りがした。
アメリカのダイナーもそうだが、時間がたったコーヒーはいつもこんな香りがする。ジム・ジャームッシュの映画「Coffee and Cigarettes」に出てくるIggy Popが飲んでいたコーヒーも、おそらくこんな香りだったに違いない。
「煙草と珈琲、これがコンビネーションってやつだ」
そんなIggyの台詞を思い出していると、久しぶりに煙草が吸いたくなってきた。そういえば最後に煙草を吸ったのはいつのことだろうか……。
僕はカウンターに腰を下ろして店内を見渡した。内装は思った以上にシンプルだ。壁と天井はペパーミントグリーンに塗られ、オールドアメリカンの雰囲気を漂わせていた。店内にはNAIJEL GRAPHによるアートピースが飾られている。
客席は2人テーブルが2台、カウンターが3席の小さな店。しかし、空間自体はそこまで狭くない。良くいえば解放的なつくりで、悪くいえば無駄なスペースが多すぎる。特にキッチンはやたらと広い。なぜそんなに広くする必要があったのだろう?
そんなことを考えていると、さっき注文を取った男が僕に話しかけてきた。
「どうした? そんな深刻な顔をして」
「たいしたことじゃない。なぜここのキッチンが広いかを考えていたんだ」
男はまわりを気にせず笑った。彼のチャームポイントが笑顔だということは、今日初めて会った僕にでもすぐにわかった。
「答えはイージーさ。取り付ける位置をミスった。それだけのことさ」
「やり直さなかったのかい?」
「俺は気に入ってるよ」
彼は僕との会話をつづけながらも、野菜を切ったり、ホットサンドの火加減をみたりと、テンポよく仕事をこなしていた。
キッチンの奥に目をやると、レザーパンツをはいたスタッフらしき女が音楽にあわせて軽快なダンスを踊っていた。横にいる別のスタッフはスマホに向かって何語かわからない言葉を話しつづけている。
「ここは日本じゃないみたいだ」僕がそういうと、彼はコールスローを作りながら「名誉のためにいっとくけど、もし店の評価をするならサンドイッチを食べてからにしてくれ」と冗談半分にいった。
ホットサンドが焼きあがると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
彼は焼きあがったパンをすばやく開き、薄くスライスしたりんごを中に並べた。そして再びパンを閉じ、ナイフで勢いよく半分に切った。
カウンター越しにサクッという軽い音が聞こえ、中から湯気が立ち上がった。
皿に盛りつけたサンドイッチからは、カマンベールチーズが溶け出していた。喉が鳴った。そういえば今日は朝から何も食べていない。
それでも、まずは冷静をよそおい「ありがとう」と彼に伝え、水を口にふくみ焦る気持ちを落ち着かせた。
熱々のサンドイッチを持ち上げ、美しくカットされた断面を見た。食べるまでもなく、このサンドイッチがおいしいことは容易に想像できた。
あとは、想像している味にどれだけ近く、どれだけ遠いか……。
僕は少し前かがみになり、大きな口を開けてサンドイッチを思いっきり頬張った。
食事をしている間、僕はキッチンの男といろんな話をした。彼はサンドイッチへの想いを次のように語ってくれた。
「うまいものは食べた瞬間にわかる。そのシンプルなところが面白い。例えば、洋服だとこうはいかない。服を買って、着て、外へ出る。そして友だちに『それ、どこで買ったの』とか『似合ってるじゃん』といわれて初めて満足する。でも、食事の場合は口に入れた瞬間に結果が出る。食べたものがうまかったらまた来るし、うまくなかったらもう来ない。そうだろ?」
食事に満足した僕は、彼にある提案をしてみた。
「ひとつ頼みごとがあるんだけど、いいかな?」
「頼みごと?」
「このホットサンドのレシピを教えてほしい。僕のためじゃない。雨が降った日の朝、恋人のためにこれを家で作ってあげたいんだ」
僕は財布から5千円札を取り出し「もちろん金は払う」と、テーブルに置いてマグカップを乗せた。彼は少し驚いた顔をしたが、どこかで僕とのやり取りを楽しんでいるようにも見えた。
「そういわれても、このレシピは俺が考えたわけじゃないんだ」
「でも、君はここの店長だろ?」
「このホットサンドは、この店のオーナーがニューヨークのダイナーで食べたものなんだ。それがあまりにおいしかったらしく、彼は店員に20ドル渡してレシピを教えてもらったそうなんだ」
「20ドルのレシピが5千円になるんだ。オーナーもきっとよろこんでくれるさ」
彼をあまり困らせたくはなかったが、一度出した金をしまい込むのも格好が悪い。僕があとに引けなくなっていると、彼はレジの奥から一枚の名刺を取り出してきた。
「ここにオーナーがいる。直接聞くのが早い」
名刺には「Kaito Yamamoto」という名前が書かれていた。場所は目黒。リノベホテルで有名なクラスカの近くだ。
「Johnからの紹介っていえば、話ぐらいは聞いてくれるだろう」
「オーナーはどういう人なんだ?」
「それは秘密だ」
「君はいろいろと秘密が多すぎる」
「この街の奴らはみんなそうさ」
彼はそう言い残すと、再び注文の入ったサンドイッチづくりに戻った。相変わらずテンポのいい動きをしている。
僕はマグカップに残ったコーヒーを飲み干し、テーブルの5千円札を手に取った。よく見ると、札には丸いコーヒーの痕が残っていた。その形が結構イケてたので、何か良いことが起きる前兆のようにも思えた。
「ヤマモトカイト……。いったいどんな人なんだろう」
僕は店を出ると、名刺に書いてある住所へと向かった。
photographer : 井上 圭佑 / KEISUKE INOUE
(後編へ続く)
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