今、古着の世界が何度目かの転換期をむかえている。古着にもヒエラルキーがあって、その頂点に長年居座っていたのは、ヴィンテージと呼ばれる70年代以前のアイテムだった。そこには、まだアメリカで本格的にものづくりが行われていた時代、という明確な線引きが存在する。その頃の洋服や靴のつくりを見ると驚くほど手がかかっていて、化学繊維が一般的になる前だから素材もオーガニックが大半。「今これを作ったらものすごいコストがかかる」というのは古着屋さんで飛びかうウリ文句だが、それは厳然たる事実だ。
そして、マルタン・マルジェラが、ヘルムート・ラングが、あるいはラフ・シモンズが大胆に引用したことでも脚光を浴びたヴィンテージは、90年代からずっと偉大な存在であり続けた。古ければ古いほど、珍しければ珍しいほど良いという価値観が生まれ、アイテムの価格は遠慮なしに高騰しつづけた。新しいラグジュアリーの誕生。
だが、時代とはつねに移りゆくもの。2000年代中盤から後半にかけて、CANDYやBOYのような新しいショップが古着に対して新しい視点を導入し、アメカジやアメトラに縛られないスタイルを提唱しはじめた。上の世代から見れば邪道に映る新しい“着方”だったかもしれないが、それは日本らしいミックスカルチャーを見事に体現していた。
ここ1〜2年では、企業ロゴやビッグサイズなど“いなたいもの”を好むトレンドと呼応して、90年代以降のアイテムがさらに脚光を浴びるようになった。洋服の背景に無頓着になったというわけではない。ただ、かつて田舎のスーパーで売られていたアホみたいにデカくて妙なパッチのついたデニムが、今から半世紀以上前に炭鉱労働者が履いていたリーバイスと同じように扱われるようになったということだ。
だが、“偏見をなくす=何でもあり”ではない。その時代ごとに然るべきスタンダードは存在する。クールなものはクールだし、ダサいものはダサい。そして、真にクールなものは、時代のド真ん中を射抜かず、時代の0.5歩先をいくのである。
さて、ここでは「古着ニューフロンティア」と題して、勇気をもって古着の新しい解釈を打ち出しているショップを、雑誌『STUDY』編集人の長畑が紹介していく。まず取り上げるのは、北海道出身で元カメラマンの佐藤祐哉さんが手がけるnumber3。いきなりUSA製のリーバイスを70本放出したかと思うと、今度は初期のシュプリームがヴィンテージの中にチラホラ混ざっていたり、あるいはメジャーリーグのトレーニングシューズがナイキの横で堂々と居座っていたりするようなお店だ。中目黒の目黒銀座商店街にオープンしてから3年近く、中華の名店「高伸」から徒歩10秒のところに移転してから半年。静かに古着の概念を更新しようとしている。
お店に入ると、一番奥のレジに佐藤さんが立っている。この時期、後ろの壁には私物のアウターがかかっているのだが、私はいつもそれが欲しくなってしまう。すると、佐藤さんはそれがいかに念願の代物であったかをカジュアルに話してくれる。そのあと私は順番にラックの洋服を見ていき、「このノースの色はええですね」とかいちいちコメントを入れていく。だいたいはそんな流れ。
店内はけっして広くない。洋服の点数も絞られている。チャンピオンやパタゴニアなどオーセンティックなアイテムも多いが、配色やワンポイントに佐藤さんならではの一癖が表れる。メンズでもレディースのような配色があるし、レディースでもメンズのようなディテールがある。しかし、意外に前合わせはきちんとラックで分けられている。細かい話で申し訳ないけれど、そういうところの心くばりがお店のクオリティを左右する、と私は強く思っている。ファッションにおける“ユニセックス”とは、単にレディースの洋服をメンズが着るということではなく、感覚をシェアするということだから。
裏原のストリートブランドから入って
アンユーズドとかフィグヴェル、
ノンネイティブに流れ着いた
—佐藤さんは北海道出身なんですね。
大学まで北海道にいました。
―大学の学科は?
人文学科です。
―そういえば佐藤さんってまわりから巨匠って呼ばれていますが、それって何でなんですか?
昔カメラマンをやっていたので、飲み会の席で先輩にそう呼ばれたのが最初です。
―大学生の頃から写真を志していたんですか?
まったく考えていなかった。おれが大学1年の時に、たまたまスポーツカメラマンの会社がアルバイトを募集していたんで、応募してみたんです。そしたら、カメラやったことないのに受かっちゃって。
―最初の現場は?
小学生のバスケの試合です。
―撮れるもんなんですか?
撮れないです(笑)。アシスタント制ではなく、現場で撮りながら覚えるスタイルだったから。
―それで、そのままカメラマンの職に就いたと?
実は就活もやってみました。某無印良品は社長面接までいったんですが、それまで話していたようなことを話したら、『君の人生設計、大丈夫?』って言われて。そこで言い合いになっちゃった。
―何でそんなこと言われたんですか?
たしか『すべての商品がこの会社の色になっているところがすごいと思います』と言ったら、『いろんなジャンルに手を出しているのはただのリスクで、会社の強みじゃない』と。それで、『じゃあ強みは何ですか?』と訊いたら、『君、何も勉強してないね』と呆れられて。それで『あ、就活は向いていないな』と。
―その判断、早くないですか?(笑)
顔色伺ってやるのも何かなと(笑)。
―勉強は実際にしてなかった?
してなかったですね。
―そもそも、よく社長面接までいきましたね。
センスが良かったのかな? 冗談です(笑)。
―とにかく就活が合わなかったと。
大学4年の春で、就職のことを考えるのをいったん止めました。ただ、このまま札幌にいてもやりたいこともないし、まだ22だしダメだったら戻ってくればいいやくらいの感じで上京した。ちょうど、バイトやってた会社から、東京の事務所の人が足りないから来いと言われていたんで。田舎者だったんで東京は暮らすところじゃないと思っていたんですけど。
―その頃から服は好きだったんですか?
好きでした。昔は古着よりも新品を着ていて、アンユーズドとか、ノンネイティブとか、フィグヴェルとか。
―本格的に古着を好きになったのは?
上京してから。こっちで出合った先輩たちに教えられて。古着屋さんもカメラマンとして働きだしてからまわるようになりました。
―その頃はやっぱりレギュラーよりヴィンテージが好きでしたか?
メイド・イン・USAの信仰がありました(笑)。
―お金もけっこう使っていた?
仕事は2週間に1回休みがあればいい感じだったんですが、給料はほとんど古着に使う感じで。そうやってお店に通ううちに仲良くなった人も多いです。
―会社を辞めたきっかけは?
会社に入ってちょうど3年が経ったころに震災がおきて、それでいろいろと考えることもあって、まわりに相談していくなかで、ある先輩から『会社に不満があるなら自分で会社を変えるしかない。でもそれには一生を費やすくらいの労力がかかるし、その労力をかけるほどの会社なのか考えたほうがいい』と言われて、『うーん、そこまでじゃないかな』と思って、次は自分の好きなことをやってみようと。
―そんなに明確な目標があったわけでもなかったんですね。
正直、若いころに夢なんてなくても別にいいんじゃないかって思うんです。1日1日頑張ってやっていくしかないんだし。就活にしても、22で夢とか目標とか、すごく窮屈だなと。
―とはいえ、辞めるときに古着をやろうとは思っていたんですか?
まあ、そうです。
―最初はどこで働いていたんですか?
DROP(中目黒の古着屋さん)です。上京してからずっとお世話になっていたカリフォルニアストアの秋山さんからの繋がりでオーナーのりょうさんに顔を覚えてもらっていて、自分からお店に履歴書を持っていきました。本当は女の子が欲しかったらしいんですが、採用してくれて。それで、DROPで働きながら、今度はevergreen(同じく中目黒の古着屋さん)の中島さんに出合って、そこでもときどきお手伝いさせていただいたんです。初めてアメリカの買い付けにも同行させてもらって、そこで買い付けのノウハウを学びました。
サイズとか年代とかじゃなくて
バックボーンの違う
1点1点を楽しんでもらえればと
ーDROPで働き出したころお店を出す計画はすでに固まっていたんですか?
何となく『将来やりたいな〜』くらい。まとまったお金があったわけでもないし、場所をリサーチしていたわけでもなかった。だけど、DROPを辞めたあと、ずっと掛け持ちしていたラーメン屋のバイトに入りすぎて、もうラーメン屋になるんちゃうかとちょっと焦っていたときに、中島さんから『服やりたいんだったら、その世界に少しでも寄っておいたほうが良いよ』と言われて。それで、アパレルの求人を見たりしながらフラフラしていたら、たまたま前のnumber3の店舗があった場所を見つけたんです。
―古い家屋の一階が雑貨屋さんになっていて、number3は2階に入っていたんですよね。
その一階のお店の方を、the MIX(中目黒の目黒銀座にあるヴィンテージショップ)のオーナーに紹介してもらえることになって。そこでの立ち話で全部決まったような感じです。何のプランもなかったけれど、今やらなきゃ後悔するなと思って。
―商材はどうしたんですか?
自分で買い集めていたものもあったけれど、それでは足りないからさらに集めて。1ヶ月くらいで準備しました。
―こういう古着屋にしようっていうビジョンはありました?
いや、何もないです(笑)。
―それでは、やりながら理想の古着屋像は見えてきましたか?
ジャンルはどうとかのこだわりはなくて。古着だし、メンズとかレディースとかサイズとか年代とかそういうことじゃなくて、バックボーンの違う1点1点を楽しんでもらえればと。
―カテゴリはまったく気にしない?
自分の目の前に出てきたものにただ良い悪いの判断を下しているだけで。自分の感性で勝負したいとは思っています。
―その感性とは具体的に?
具体的にいうのは難しくて、今の気分というだけ。個人的に凝り固まったファッションというのがずっと好きじゃない。自分の背景にあるのは何年代、みたいなこともないし。
―今は何が面白いのかっていう話が、服をきっかけにしてできれば良いということですか?
たとえば、ピンクのロカビリーシャツをロカビリーっぽく着てくれということではなくて、今はこれが良いですよね、というだけ。ボロボロを着ている=グランジでもない。だからこのお店にはシュプリームもパタゴニアもヴィンテージもあるんです。
―それでも、ヴィンテージはやっぱり必要ですか?
やっぱり古着好きなのでヴィンテージのデニムを見たら興奮するけど、それを前面に出すお店ではないかなと。
―仰るとおり、number3は時代とジャンルをミックスさせるスタイルですが、あくまでスタンダードな古着の背景があるような気がします。
自分の“円”はあります。逆に、そこからはみ出ることはしていない。
―外部からの影響はそんなに受けないということですか?
ここのセレクトは100人いたら90人に伝わるものではない。でも、僕の円にピッタリはまってくれる人もいる。こっちに移転してからはとくに若い人が増えて。服を通して『これがいいよね』っていう会話を楽しめるのが最高だなと思って。
―感覚の話から、ヴィンテージやストリートの歴史に繋がる可能性があるところが、このお店の魅力だなと。
自分たちだってそういう経験をしてきたじゃないですか。洋服に詳しい販売員に教えてもらって、自分でさらに調べて、実際に買ってみるっていう流れがあった。自分もけっこういい歳になってきたから、そういう役割を担っているのかもなって。
―自分の感覚でとりあえず始めてみたお店ということですが、順調に進化していると思いますか?
うちの店って、パーン! って売上が伸びることってないんです。時間はかかる。そんななかでも0.3歩ずつでも進んでいくのが良いんじゃないかと。今年3月で3周年を迎えるので、改めて面白いことを積み重ねていきたいと思います。
余談:ラフ・シモンズとグッチのコレクションを見たあとは、この日佐藤さんが着ていた古いストライプのスクールジャケットが無性に欲しくなる。今探すとなかなかこういうのは見つからない。
number3
〒153-0051 東京都目黒区上目黒2-24-2 1F
Open 14:00/Close 22:30
Instagram @number3nakameguro
Photographer : Ryosuke Iwamoto
0コメント