日本より海外の方が遥かに知名度があるのもあって完全に気持ちが腐り始めている気鋭の音楽家ボーイズ・エイジが、カセット・リリースされた作品のみを選び、プロの音楽評論家にレヴューで対決を挑むトンデモ企画!
今回のお題は、デヴィッド・ボウイが1975年にリリースした『ヤング・アメリカンズ』。『ジギー・スターダスト』以降、グラム・ロックのアイコンに祭り上げられていたボウイが、白人的な解釈によるソウル・ミュージック=プラスティック・ソウルへと華麗な転身を遂げた作品ですね。アルバムごとに変わり続けるというボウイのイメージは、本作によって決定づけられたと言っても過言ではありません。シーンへの影響という観点でも、後の80年代ブルー・アイド・ソウルやニュー・ロマンティクにサウンドとヴィジュアルの両方で大きなヒントを与えた重要な作品です。
>>>先攻
レヴュー①:Boys AgeのKazの場合
今度はデヴィッド・ボウイですか。代わりに布袋の“RUSSIAN ROULETTE”でいいじゃないですか。昔RIP SLYMEの“FUNKASTIC”にフィーチャーされたヴァージョンがあったよな。ボウイのメンバーって今何してるの?
知り合いの主婦と話してて、ゆるキャラからタレぱんだを思い出して、たまごっちが流行ったよねって話した。今思うと当時のたまごっちって何が面白かったんだろうね。US版『ロックマン』の最初のパッケージ並みに絵と実際のゲーム画面のキャラのデザインが違ったし、のちに、てんしっちとか出てアレは通信要素があったんだっけ? とにかく初代は別に通信要素もなく、まあそれ考えたらポケモンGOなんてグラフィックが進歩しただけでポケットピカチュウとかデジヴァイスと変わらん万歩計ゲーか。SEGAですらポケットサクラ出してたしな。サクラ大戦ってまだあるの?
今思うと90年代のホビーは、世紀末ゆえか妙にカオスだった。ミニ四駆の全盛期でカスタム・パーツが恐ろしいほどあったし、後がまのダンガンは全然流行らなかったな。漫画のようにはいかないビーダマン、ヨーヨーで殺し合いをするハイパーヨーヨーに(中村名人もアレックス・ガルシアも元気です。アレックスは小ぶとりしちゃったし名人はスパイダーベイビーを完全にネタにしてるけど)、ハイパーヨーヨー路線でジターリング(?)とかあったな。魚釣りにファイトの精神持ち込んだグランダー武蔵、ベーゴマを現代風にアレンジした結果半ば凶器とかしたベイブレードなんてのもあったな。あと最初期のペット・ロボットが発売されてた頃だったような? ファービーの他にもメカメカしいよろしくな犬もあった。ガンダムのハロみたいな感じだったような。でも単眼だったかな? いや、〈マーヴェル〉のサイクロプスパイセンみたいな感じだったかも。
今週発売された『こち亀』の特集号読んで思い出したが、スニーカー狩りはニュースになってた気がする。『ズームインSUPER』で見たんだっけ。『ズームイン』は今もズームインしてるの? 番組開始のジングルは今でも覚えてる。印象的な曲だった。最近は、常にパソコンで『平成ガメラ』を再生してるんだけど、確か2作目の『レギオン襲来』で『ズームインSUPER』がゲスト出演(?)してた気がする。件のスニーカー狩りは漫画『遊戯王』でもエピソードがあった。エアマッスルていう、エアマックスのパロディだな。あのエピソードで手に入れた靴を城之内は連載終了まで履き続けたんだよな。あの素敵頭蓋骨はなんでいじめっ子やってたんだろ。
さて、デヴィッドの『ヤング・アメリカンズ』は90年代にCDで最初の再発をしてる。多分な、多分。Wikiにはそう書いてある。このアルバムには(俺にとっては悪名すら高い)ジョン・レノンとポール・マッカートニーが作った“アクロス・ザ・ユニヴァース”のカヴァーが収録されてるけど(しかもレノンが参加してる)、それに触れて欲しいからこのアルバムをチョイスしたのかな? Boys Age Presents(プレゼンツしてるとは言ってない)、(プレゼンツはし)ないです。あいつらに触れるのはいやなので結構です。誰か「おことわりします」のアスキー・アート貼っといて。
ハハ お断りします
(゚ω゚)
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いやね、いいよもうビートルズは。そもそも俺はソロになってからのレノンが大嫌いだ。思想重視の音楽性ながら、その思想が俺の性に合わないからな。だからどうでもいい。のちにドリフに加入した志村けんはちょっとレノンに似てるが、武道館で共演はしていない(その頃はいなかったか付き人)。デヴィッド・ボウイは、クラウス・ノミってドイツの奇人と一緒にやってたヴァージョンの“世界を売った男”が好きよ。なんでか知らんがデヴィッドは食い倒れ人形みたいなマネキン着込んでたけど。いやペンギンかな? 失敗したエルトン・ジョンみたいだった。いや、エルトン・ジョンのセンスは失敗してるか? そこは人それぞれ。
このアルバムに収録されてる“Win”って曲の邦題“愛の勝利”の語感が大好きです。そう、復讐や悪意を歌おうとそれもまたある意味愛に根ざすものから来てるのさ。「演歌はメタルだよーbyマーティフリードマン」並みの暴論だな。けど愛が強いのは本当。誰もが、とは言わないが、人は自分への愛のために他者を踏み潰し、他が為に危険を顧みず飛び出し、また神への愛と忠誠のために人を殺すだろう? それが絶対的に人道を踏み外していても、そうありたいものだよね。偉大な愛の為に。
【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】
★★★
よく出来ました。初っ端から、デヴィッド・ボウイと日本のBOØWYを一緒にすんなよ!と思ったら、そこからは怒涛のように、たまごっち、こち亀、平成ガメラ、スニーカー狩りと、サブカルチャーねたが続くスキゾフレニックな流れがいかにもカズくんらしい。ローレンス・スターン、ヴァージニア・ウルフ、ジェームズ・ジョイスと来て、その流れの先にカズくんがいる。そんな日も遠くないような気がしました。これまでも批評の力をまったく信用ぜず、この場所では音楽評論不要論を何度も振りかざしてきたカズくんですが、今回のように音楽評論にまったく求められていないことだけを書くことで、期せずして音楽評論そのものを拡張してしまっています。世の中そんなもんだー。
そして、今では愛と平和の人というアンタッチャブルな裸の王様にすっかり祭り上げられてしまったジョン・レノンに牙を剥き、最終的には愛というコンセプトについての考察で締める。もうすっかり巨匠の風格ですね。その通り、愛はいつだって憎しみの母なのです。愛こそが世界の惨劇を生み出してきた最大の元凶。もっとも先生の場合、それがゆえに愛とは無縁でありたいと思っております。カズくんとは違って。何にせよ、文筆においてもすっかり巨匠の風格ですね。秋に完成予定だった新作、お待ち申し上げております。頑張ってね!
>>>後攻
レヴュー②:音楽評論家 木津毅の場合
2000年代の重要な映画作品を10本選べと言われれば、ラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』はその筆頭だろう。この映画は2003年に公開されている(日本は2004年)。9.11からイラク戦争へと向かっていく、誰もが否応なしにアメリカとその暴力に目が離せなかった時期だ。トリアーは同作で大恐慌時代のアメリカを描くのに、しかしアメリカへは行かなかった。だだっ広い黒い地面に白い線を引いただけのセット、その空間を「貧しい時代のアメリカ」だと言い張ったのだ。そしてそこで繰り広げられる凄惨な暴力、露になる人間の醜悪さ、絶望的な統治論……。それはデンマークの鬼監督が偽物のアメリカを創り出すことで、誰よりもアメリカという国の根深さを――アートとして――えぐってしまった瞬間だった。氷のような美貌のニコール・キッドマン。しかしながら『ドッグヴィル』がたんなるアメリカに対する憎悪に終始していなかったのは、そこにたしかにアメリカ映画の遺産があったからである。ベン・ギャザラ、ローレン・バコール、ジョン・ハート、それに西部劇。異邦人にはおそろしく傲慢に映りながら、しかしそこで生まれるものに強烈に惹かれるという矛盾。トリアーにとってアメリカとは、解決しようもなく複雑なテーマであり続けている。
恐るべきラストのあと、そして、エンド・クレジットで高らかに鳴らされる歌こそがデヴィッド・ボウイの“ヤング・アメリカンズ”であった。そこでようやく映される、本物の大恐慌時代のアメリカと、そこで生きた人びと。僕は電撃を食らったようなショックを受けた。はっきり言ってそれまで『ヤング・アメリカンズ』をグラム時代とベルリン時代の間の中途半端な時期のアルバム程度にしか認識していなかった自分は、はじめてそのときその歌を「感じる」ことができたのだと思う。なぜならそこでは、デヴィッド・ボウイという異邦人がアメリカを巡る問いの不可思議にクラクラする様が生々しく立ち上がっているからだ。それは『ドッグヴィル』であり、たぶん僕でもあった。アメリカとそれにまつわる世界に呆然としながらも、そこで生まれるものに同時に引き込まれずにはいられない自分。「ひと晩中、あんたたちは若いアメリカ人を欲しがっているんだろう」――。
カセットテープでボウイを聴くのはそう言えばはじめてだ。ある意味では1975年を追体験していると言えるかもしれない……マウスをクリックして曲を飛ばすことなんてできない。1975年のパンク前夜、あるいはベトナム戦争末期、カウンター・カルチャーの夢が混乱し崩壊していくその頃、きっと誰もがアメリカから目が離せなかったのだろうと1984年生まれの僕は想像する。グラム時代のキャラクターを背負うことに疲弊し、新たな表現を求めたボウイがアメリカに目を向けたことも理解できる。しかもソウル・ミュージック……混乱する社会のなかで、それでも立ち上がってくる愛と闘いの音楽に。とはいえ大抵の場合真っ先に言及されるように『ヤング・アメリカンズ』はフィラデルフィアでのセッションを基本としているためインスピレーションとなっているのはおもにフィリー・ソウルであり、洒脱で軽やかなサウンドになっている。“ウィン”の甘ったるくムーディなコーラスとサックスの交わり。“ファスシネイション”の光沢感のあるファンク。“ライト”のジャジーな官能性などはいま聴くと、21世紀におけるソウル・ミュージックの復権運動とも連動しているようにすら聞こえる。古びていないのだ。ゴージャスで、アダルトで、幾ばくか退廃的なソウルを身に纏うデヴィッド・ボウイ……というのは、ボウイのキャリアを考えればコアではやはりないとは思うが、それもまた、外界から刺激を求め続けたボウイが新たな場所へ向かうのに必要な道のりだったとたしかに感じられる。
ビートルズの“アクロス・ザ・ユニヴァース”のドラマティックなヴァージョンは何度聴いてもハマっているのかどうか判断しかねるのだが、しかしボウイのような変わり続けたアーティストが「何ものも僕の世界を変えられない」と繰り返すのは含意的でニヤリとせずにはいられない。そしてラストの、ジョン・レノンとの共作“フェイム”。音の隙間がスカスカのサウンドは最高にファンキーで、名声を2大スターが風刺するのもやや直球とはいえ効いている。そして何よりもこのソウル音楽をプラスティック、すなわち偽物だとするアルバムにジョン・レノンが存在していることこそが、この曲の価値だろう。ともに異邦人でありながらアメリカに来ずにはいられなかったふたりのスター・ミュージシャンはそのとき、たしかにアメリカでポップ・ソングを生み出したのだ。たとえば同じく1975年にはブルース・スプリングスティーンの『ボーン・トゥ・ラン』が発売されているが、多くのアメリカ人にとっては彼の熱いロックンロールのほうがストレートに「本物」のソウルを感じられるものだったのではないかと思う。ボウイは、いわゆるソウルにとって自分が本物ではないことを誰よりも自覚していたのだろう。
カセットテープがガチャッと音を立てて止まると、我に返る。いまは1975年ではない。2016年だ。ボウイは他界し、スプリングスティーンは『ザ・リバー』の大規模なツアーをやっている。そして僕はアメリカのことをぼんやりと考える……ある意味では70年代よりも複雑に引き裂かれ、分断し、そしてひとが死に続けているその国のことを。相変わらず誰もが目を離せない、否応なく。だけど同時に、そこではいまこそ「本物」のソウル・ミュージックが鳴っていることも知っている。ディアンジェロの『ブラック・メサイア』、チャンス・ザ・ラッパー『カラーリング・ブック』、それにビヨンセの『レモネード』……。それはあの国で暮らしていない僕にとっても、たしかに喜びを抱けることなのだ。だが、だとすれば、いまプラスティック・ソウルはどこにある?
僕はカセットを取り出してひっくり返し、もう一度再生ボタンを押す。サックスの涼しげな導入……やはりこのオープニング・ナンバーがずば抜けている。いまは2016年だ……それでもこの、あくまで軽やかに絡み合う鍵盤と管の戯れ、チャーミングにゆったりとフィルするドラム、控えめに叩かれるパーカッション、ふくよかなコーラスと、そして情熱のあまり乱れることを少しも恐れていないボウイの歌唱に魅了されずにはいられない――「誇りはないのか? あんたが持ってるはずの誇りはないのか?」。そして、喜びとともに踊らずにはいられない。もしソウルが魂のことを指すのなら、本物と偽物の間にどれほどの違いがあるというのだろう?
【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】
★★★★★
非常によく出来ました。ラース・フォン・トリアーの映画『ドッグヴィル』からの導入。今も昔も誰もが恋い焦がれ、誰もが憎々しげな視線を投げかけ、誰もが目を離さずにはいられない「アメリカ」というコンセプトを論旨全体のテーマとして配置。そこから、他のどんな時代よりも、他の誰よりも「アメリカ」に執着し続けた60年代英国のロック作家たちとアメリカ産音楽の関係にこそ、長年の間、ポップ音楽を駆動させ続けたメカニズムがあったことを浮き彫りにさせていく。そして、今ではそのメカニズムがもはや失われてしまったことを行間に匂わせる。この作文について先生が言える大したことは何もありません。読んでもらえさえすればいい。この毅くんの作文を読んで、何も感じないというクラスのお友達がいるなら、そんなやつのこたあ知らん。一年生からやり直して下さい。一から音楽を聴き直して下さい。先生、熱があって、フラフラなので、平常心を保つことが出来ません。よく頑張ったね!
勝者:木津毅
4か月ぶりに帰ってきたカセット・レヴュー対決は、Kazが評論家としての才能を改めて見せつけたものの、木津毅が★5つの満点で勝利! てか、田中先生、風邪をこじらせて後半は意識が朦朧としているのが心配です。大丈夫ですか? 次の授業までにはちゃんと治してきてくださいね。次回もお楽しみに!
〈バーガー・レコーズ〉はじめ、世界中のレーベルから年間に何枚もアルバムをリリースしてしまう多作な作家。この連載のトップ画像もKAZが手掛けている。ボーイズ・エイジの最新作『The Red』はLAのレーベル〈デンジャー・コレクティヴ〉から。詳しいディスコグラフィは上記のサイトをチェック。
過去の『カセットテープを聴け!』はこちらから
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