BOYS AGE presents カセットテープを聴け! 第16回:プリンス『1999』

日本より海外の方が遥かに知名度があるのもあって完全に気持ちが腐り始めている気鋭の音楽家ボーイズ・エイジが、カセット・リリースされた作品のみを選び、プロの音楽評論家にレヴューで対決を挑むトンデモ企画!


今回のお題は、プリンスの本格的ブレイクのきっかけとなった、LPでは二枚組の大作『1999』。83年の作品です。全編に渡ってシンセサイザーを大々的に導入することによって自身のサウンドを更新すると同時に、そのソングライティングのセンスを遺憾なく発揮してキャリア屈指の名曲を数多く生み出した名盤ですね。この直後より、『パープル・レイン』『パレード』『サイン・オブ・ザ・タイムズ』など怒涛の勢いで大傑作を連発しますから、まさにプリンス黄金期到来の烽火を上げたアルバムと言っていいでしょう。

プリンス『1999』(購入@中目黒 Waltz


ボーイズ・エイジ Kazと対決する音楽評論家は、初登場の沢田太陽!


さあ、果たして今回の勝者は!?

>>>先攻

レヴュー①:音楽評論家 沢田太陽の場合

今となっては「『パープル・レイン』と並ぶプリンスの代表作」として名高い名作『1999』(83年)だが、これは一体、どういう意味を持った作品だっただろうか。


まだ、「黒人がロック的なアプローチを取る」ということに偏見があった日本の市場でこそまだマニアックな存在ではあったものの、『1999』は、表題曲の“1999”に、“リトル・レッド・コルヴェット”、“デリリアス”と、本国アメリカではヒット・チューンを連発し、ここで商業的に本格ブレイクとなっていた。


ただ、実は「期待度の高まり」という意味では、もうすでにこの一作前の『戦慄の貴公子』(81年)の頃からあった。このアルバムは批評的に絶賛され、この年に行なわれたローリング・ストーンズの記録的な動員となった全米ツアーのオープニングに起用されたことで一躍注目度が高まったのだ。その頃、僕はまだ小学校6年生だったが、このアルバムは「黒いミック・ジャガー」なるコピーと共に売られていた。ただ、この当時、偶然アルバムの一端を耳にしたときに「えっ?」となったことをよく覚えている。そこで展開されていたのはチープなシンセサイザーと時折叫び声が入るファルセットだったからだ。「えっ、これがミック・ジャガーなの?」と僕はキツネにつままれたような感じになった。


ただ、そうした印象を抱いたのは僕だけではなかったように思う。実際、当時から批評家には絶賛されていたはずのアメリカでさえ、ストーンズの前座では常に罵声を浴び続けたというのだから。また、『戦慄~』のLPに本人のヌード・ポスターが入っていたという伝説も奇異には映ったことだろう。


そう考えると『1999』とは、プリンスが、いかに自身が本物であるかを世に証明にかかった勝負作だったのではないかと、今にして思う。これまで徹底してファルセットだったヴォーカルは地声となり、彼自身のより生々しい姿をさらすようになった。そして、シンセがアナログからデジタルにグレードアップしたことでグルーヴも複合的に進化した。さらに、こうしたビルドアップを基に、楽曲も長大化し、当時のアナログ2枚組のスケールでその成長ぶりを徹底アピールした(奇しくもカセットテープは1巻組だったのだが)。


そうした努力が身を結び、本作はプリンスにとっての決定的な出世作となった。人によってはこれを「プリンスにとっての最高傑作」と呼ぶ声さえもある。実際、リアルタイムに近い頃は「『パープル・レイン』はポップに作り過ぎたけど、より実験的で自由な『1999』はもっと評価されるべきだ」みたいな意見がよく聞かれたことも確かだった。


だが、僕自身が今の視点から見るに、このあたりのプリンスの作品でもっとも過大評価されているのは実は本作なのではないかと思うのだ。たしかに「見せつけたい」欲望は感じるし、どこがどう成長したかもわかりやすい。だが、それをするために、アナログのB面からC面、カセットならちょうどサイドの変わり目のあたりでの7分、8分、9分の曲のオンパレードというのは聴いてて少々ツラい。しかも頭3曲はプリンス・ファンなら誰もが知ってる代表曲だけに、なおさらそのあとが冗長に感じるのだ。


さらに『パープル・レイン』には、それまでのプリンスでは表現出来ていなかった中東系のメロディや和音、サイケデリックなストリングス、そしてアリーナ・ロック・スターとしてのカタルシスまで凝縮して込められている。より進化した多様性がより端的に堪能できる点ではどうしてもかなわない。


ただ、『1999』がプリンスの進化の過程において不可欠なステップであることは間違いない。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのような人種や性を超越した融和の美を、グラム・ロックの妖艶さを黒人の皮膚感覚を通じて表現したような「紫」のコンセプトそのものが一気に濃厚となったのはこの時期でもあるわけだから。


【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】

★★★★

とてもよく出来ました。特に、既存の歴史観に対し、現在の自らの視点からそれに変更を促そうとする太陽くんの気概にはとても感心させられました。先生はとても嬉しかった。さすがクラス一の優等生だけあります。


ただ以前にもクラスのみんなの前で話したことの繰り返しになりますが、2010年代におけるポップ音楽批評はいくつもの問題に直面しています。そのひとつは、ロックンロールの誕生から数えても60余年。その歴史は膨大になり、もはや個人がその全貌を把握しようとすることは容易ではありません。と同時に、現在の我々が置かれている状況は、20世紀と違い、そうした音源に気軽にアクセス出来る。と同時に、研究も進んでいる。しかし、歴史とはひとつの正解があるわけではなく、異なるコミュニティや文化、異なる世代、異なる個人それぞれに存在するものだということ。つまり、いくつもの歴史が存在する。


よって、批評家はペンを取る以前に、そうした事実に徹底的に意識的にならねばならない。特に過去の作品について語る際には、そのことにどこまでも意識的でならねばならない。音楽評論とは科学ですから。


批評家は自らのコミュニティ、文化、世代からのパーステクティヴによって、その対象にアプローチすべきか、それとも、大文字の歴史があるという前提の元にその対象に臨むべきか――この正解のない、二つの選択肢の間で、書き手はそれぞれの論考における自らのスタンスを読者に対し、どこまでも明確にしなければなりません。


例えば、クラス一の嫌われ者カズくんのように徹底的に主観的でも構わないんです。あるいは、歴史に絶対的な正史があり、これはある種の民主主義的なプロセスを経て決定されるというスタンスでも構わない。例えば、Wikiなどがこれですよね。


ただ太陽くんの作文の場合、そうしたすべての前提となる見極め、そして、この作文におけるスタンスを明確に提示すること、その両方が少しだけ足りないと言えるかもしれません。太陽くんがクラス一の優等生だからこそ、今日だけは先生は少し厳しくなろうと思います。


例えば、次の一文。「『黒人がロック的なアプローチを取る』ということに偏見があった日本の市場――」という一文における歴史観はかなり恣意的です。


では、それ以前、ジミ・ヘンドリクッスの時代はどうだったのか? 確かにここ日本という国は「世界三大ギタリスト、それはジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック」というトンデモ見解が何十年にも渡り、まかり通ってきた、とても差別的なガラパゴス文化圏です。しかし、欧米における一般的な見解からすれば、もっとも偉大なロック・ギタリストの筆頭はまずジミ・ヘンドリックス。次に続くのは、誰あろうプリンスです。あまりに違っている。だからこそ、太陽くんの言説は間違っていないかもしれない。


ただしかし、では、件のジミ・ヘンドリックスに触発された後の、エレクトリック・マイルスはどうだったのか? ロック化――つまり、フュージョン化してからのマイルス・デイヴィスを本国アメリカよりも諸外国よりも受け入れた市場はここ日本です。この時期からのマイルスは、言葉は悪いですが、ビッグ・イン・ジャパンでもあった。


いや、先生それは言いがかりだよ、揚げ足取りだよ、と言われれば、その通りだと思います。ただ先生が指摘したいのは、太陽くんの作文全体に散見出来るカジュアルかつ恣意的な断定です。その前提となる、ペンを取る以前のもっとも大切な気構えが欠けているのではないか。勿論、これは優れた能力を持った者が時折陥りがちな傾向でもあるのは、言うまでもありません。


例えば、次の一文。「これまで徹底してファルセットだったヴォーカルは地声となり、彼自身のより生々しい姿をさらすようになった」。ここでの地声=本質、ファルセット=ペルソナという認識はかなり恣意的です。偏見と呼ばれても仕方ないかもしれない。あるいは、次の一文。「シンセがアナログからデジタルにグレードアップしたことでグルーヴも複合的に進化した」。この考察における恣意性もまた説得力に欠けます。


初心忘れるべからず。読者の誰もが思わず舌を巻いてしまうような、どこまでも説得力のある太陽くんの作文が先生は読みたいな。常に頂点を目指して下さい。頑張ってね!

>>>後攻

レヴュー②:Boys AgeのKazの場合

殿下の音楽はあんまり聴いたことがない。今回レビュアーが取り上げてくれる『1999』も聴いたことがない。唯一、ちゃんと聴いたのは『パープル・レイン』ぐらいだ。あとは3RD EYE GIRL? みたいなプロデュース・ユニットとか。


ただ、なんとなく存在としては好きだった。考え方、アルバム・コンセプトに合わない曲は収録しない、なんてのは俺と全く同じだ。素敵な精神だ。もっとも、そんな好かれ方はミュージシャンとしては屈辱の極みだろうが。


音楽を純粋に愛し出した頃には既に、古くから活躍する好きなアーティストが続々と墓場に向けて歩き始めていた。JBの死が皮切りだった気もする。ビリー・プレストン、ミスター・ファビュラスだとかデヴィッド・ボウイ、他にもたくさんたくさんいるし、勿論とっくに死んでいた奴らもいた。近年、中にはまだ決して墓に入るべきじゃなかった連中だっていた。エコー・レイクのピートや、友人だったポップ・ゼウスのマイキー。サーファー・ブラッドのトーマス。彼らはこれから、これからだった。


いつも人生というのは遅すぎるもので、常に一歩も二歩も現実に対して遅れをとっている。言い訳に過ぎないが、いつも死が目覚ましになる。数日もすればまた眠りについてしまうのだけれども。「誰が」「いつ」死んだかなんて一々覚えていられやしない。自分を薄情な人間だと思う。積み上がったミュージシャンらの屍の上で、安っぽい罪悪感を抱えて悲劇のヒーローを気取る、っていうのが、俺の音楽のやり方なあたり真に罪深い。それでもやれることといったら、(人類以外何者も幸福になれないものだが)彼らが死ねたことを肯定するほどの新たな音楽を人類史に刻みつけるだけだ。


俺は音楽家だ。批評家じゃない。金を貰おうが、仮にこれから評価がつこうが、俺は音楽家だ。だから今生きている連中も含めて、過去から活躍する人間がもう音楽を諦められるほどの音楽を作らなくちゃいけない。自分、過去の自分自身を含めて。それが唯一にして絶対の仕事であり、責任だ。音楽は突き詰めるほどに落ちていくものだ。絞首台から無限に続く穴に飛び込み、いつ首に負荷が掛かるかもわからないままに落ち続ける。ところどころには見える足場があり、それは命を助けてくれる。脇目も振らずに落ち続けられる人間は如何程なのか?


俺はそれになりたい。彼らのように。彼らにも人生があり、喜びや後悔があり、常にまっすぐ音楽をやれたわけじゃない者も多い。流行り廃りの中で消し潰されてしまったり、世界の期待に応えるために結果的に奴隷のようになってしまったり。でも彼らは全うした。自分のミッションを遂行したのだ。安全圏から揶揄を投げ掛けるものに屈することなく、プリンスは、ファンの期待を御身に受けていた変わりない王子のまま死んだ。


仮に彼の他の作品が俺にとって価値のないものだったとしても、俺はただそこを尊敬し、次の世代を担い、その次の世代に「殺される」ために音楽をやる。


最後に、今回の『1999』について少しだけ触れておこう(〈サインマグ〉のボスから要請受けたので渋々)。実に80年代のシンセ・ポップの真髄を惜しみなく打ち込んだアルバムだ。グイングイン唸るシンセサイザーと下品なほどのマシン・ビート。上っ面の最低さは目も当てられない。昔の俺ならにべも無くディスってたろう。だが、このアルバムが何を歌ってるかなんて興味はないが、殿下の強い魂、蒸せ返る熱気の気迫をビシビシ感じる。これだから王器の持ち主って奴らは面白い


【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】

★★★

よく出来ました。今回のカズくんの作文は、「プリンスという偉大なる作家の死」という事実を引き金にした、とても強固な意志に裏付けられた所信表明という優れたエッセイになっています。とても読みごたえがある。


作家の使命とは、到底誰もが到達することの出来ない高みを目指すだけではない。最終的な使命とは、その作家が残した作品に猛烈に触発されることで、後進の作家がさらなる高みに到達した偉業を生み出すことによって、完膚なきまでに葬り去られることだという認識。これには感動しました。


音楽家としてカズくんが見ているのは、自分自身のちっぽけなキャリアなどではない。これまでもずっと続いてきた、そして、これからもずっと続いていかねばならない、偉大なるポップ音楽の歴史だからです。この高い志を証明するような秋の新作を心待ちにしています。


しっかしさー、少しはきちんとレヴューしろよー。まあ、本業の音楽作りに支障があると困るんですが、このところ、完全に日記じゃねーか。よろしくお願いしますよ。これからも頑張ってね!

勝者:沢田太陽


今回の音楽批評講座いかがでしたでしょうか? 前回に続き、今の音楽批評が直面している状況を説明するテキストになったのではないかと思います。不登校のお友だちにもコピーして渡してあげてくださいね。


ということで、今回の勝者は沢田太陽なり。次回こそKazはレヴューをするのか、どんな作品がお題となるのか、ますます目が離せない!

〈バーガー・レコーズ〉はじめ、世界中のレーベルから年間に何枚もアルバムをリリースしてしまう多作な作家。この連載のトップ画像もKAZが手掛けている。ボーイズ・エイジの最新作『The Red』はLAのレーベル〈デンジャー・コレクティヴ〉から。詳しいディスコグラフィは上記のサイトをチェック。

過去の『カセットテープを聴け!』はこちらから!

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