BOYS AGE presents カセットテープを聴け! 第15回:ジャイアント・クロウ『ディープ・ソーツ』

日本より海外の方が遥かに知名度があるのもあって完全に気持ちが腐り始めている気鋭の音楽家ボーイズ・エイジが、カセット・リリースされた作品のみを選び、プロの音楽評論家にレヴューで対決を挑むトンデモ企画!


今回のお題は、日本では「ビョークをも虜にした」という枕詞でプロモートされた、ポスト・インターネット・ミュージックの一躍を担う俊英による1枚。世界的に注目された『ダーク・ウェブ』に続く最新作。昨年リリース。たまには新しい音楽も聴いて下さいね♡。


ジャイアント・クロウ『ディープ・ソーツ』


ボーイズ・エイジ Kazと対決する音楽評論家は、初登場の八木皓平!


さあ、果たして今回の勝者は?!

>>>先攻

レヴュー①:Boys AgeのKazの場合

どうやら世間さまではEDMが全盛らしい。だがEDM、テメーは駄目だ。なんか、『ダークソウル3』で言うところの、『ダクソ/物干し竿脳死ブンブンお願いセスタスパリィマン』並みに安く感じる。


ああ、ごめんなさい。昔はクラフトワークを除いたエレクトロ・ポップ系のポップスは嫌いでしたが、今となっては一部を除いて結構聴いてます。今年聴いたのだと、『Tengami』のサントラ(アプリ・ゲームで、多分デヴィッド・ワイズ作曲だけど名義はグラント・カークホープだっけ? 忘れた)、あと友達がプッシュしてたモート・ガーソンなんかとても良かったです。実は前から好きだった土屋暁の『エリーのアトリエ』や梁邦彦の『英国戀物語エマ』なんていうトラッド風作品も実はほとんどDTM(つまり電子音)なあたり、俺の耳って、本当に、バカ……。


「The Giant Claw(人類危機一髪! 巨大怪鳥の爪)」は、1957年に宇宙から飛来したATフィールド持ちの怪獣です。(多分)東宝の怪鳥ラドンの元ネタ。シーンによってサイズが違う、多くの謎を棚上げして人類との戦いにフォーカスする、そもそもデザインがクソワロス草一杯、ATフィールド(実際には反物質バリア)の扱いの雑さとまあ20世紀中盤の映画だけあってまだまだ酷い出来ですよね。こんな形状で宇宙をどれほど旅して地球に来たのか。このフォルムで光以上の速さで飛んでこれるなら地球なんて、羽ばたき一つでダウンさ。頭の悪い設定満載だが、だがそれが良い。特撮ってむしろC級ぐらいがちょうど良いわ。


そんな映画と関係があるかどうか定かでは無いが、このジャイアント・クロウは俺が選んだテープだ。国内盤CDは確か〈ヴァージン・バビロン・レコーズ〉から出てたような。難しいこと言うと、ヴェイパーウェイヴがどうとか、インターネット・ミュージックがどうとか言わなきゃいけないんだろうけど、ようわからんし興味なし。ピコピコ系の音楽でサントラ好きの俺が好きな電子音楽ってだけで充分だろう。聴きたくなる人に対するキャッチコピーはこの程度で。聴かない人はこの下に載ってるプロのレヴューとか読んでも絶対聴かないし、聴く人はもとから文章に興味などもたない(ソースは100%俺一人)。


このアルバム良いよぉ~、さすが『ダーク・ウェブ』のお兄さん(実際には続作だから弟だけど)。これが出てる海外の〈オレンジ・ミルク・レコーズ〉も良いんだよなあ。この人のレーベルなの? 知らん。美しすぎてマジに衝撃を受けたアルバムなんだけど一応文句というか、個人的な好みの話では、1曲目が40分10曲に分裂してモーリス・ラヴェルの“ボレロ”みたいに展開したら本当に現代では神域の音楽だったかもな。100年後にはどんな進化を遂げた音楽が出てくるだろうな。


「完璧」っていう形容詞を使うファンは多い。俺たちも言われる。けど、完璧なんてないんだよ。俺たちが超天才なのは否定しないが、死ぬまで、いや死んでも完璧に至るなんてありえない。でも完璧を目指して、究極の完全体を目指して音楽を作り続ける、それが俺たち真の音楽家なんだ。今仮に神クラスの音楽でも、100年後には凡百に成り下がるよう、昨日より今日、今日より明日の自分が強いように、音楽を奏でなくてはならない。そして同時に誰かのために、それは他者だったり、自分のためだけだったり、作らなきゃいけない。


でも、ヒトの意向に沿うだけの音楽も駄目なのだ。人のために、しかし機嫌伺いのためだけでではならない。でなければ、人は一生巣の中の雛鳥のままだ。音楽家は餌を与えるだけでは駄目なのだ。空を飛ぶことを教えなければならないのだ。怪鳥ジャイアント・クロウは少なくとも、星海を越えて来たのだから。


【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】

★★★

前半のいかにも脱線した風の伏線を最後の最後で回収した、作文を締めるセンテンス――「怪鳥ジャイアント・クロウは少なくとも、星海を越えて来たのだから」がうっすらドヤ顔浮かべてて、ちょっと恥ずかしいかなー。そこだけ減点しておきます。


と、いきなり意地悪な突っ込みから始めてしまいましたが、よく出来ました。


今回はカズくん自身が選んだ作文のお題だけあって、さすがに熱のこもった作文になっています。この作家さんの名義を50年代のB級映画とすかさず接続する身振りも、書き手であるカズくん自身のSci-Fi好き/サントラ音楽好き/B級映画好きなキャラクターを実に有効に利用している。お見事。


しっかし、「聴かない人はこの下に載ってるプロのレヴューとか読んでも絶対聴かないし、聴く人はもとから文章に興味などもたない」だなんて、先生の気分を逆なでするだろう正論を性懲りもなく吐くところが、クラスの嫌われ者カズくんらしい。ある意味、この企画の趣旨を理解しすぎるくらい理解しているとも言えます。天晴れだよ! これからも頑張ってね!

>>>後攻

レヴュー②:音楽評論家 八木皓平の場合


チルウェイヴ~ヴェイパーウェイヴという潮流の本質はノスタルジーな音色にこそあった。その感覚は必ずしも作り手の実体験に基づいたものではなく、どこか仮構化されたものだったという点があまりにも根深かった。幻のノスタルジーはインターネットを通して世界中に蔓延し、音色が均一化したいくつかのムーヴメントを巻き起こす。その影響でここしばらくポスト・インターネットのフィールドにおける音楽的潮流のいくつかについての文章は、しばしば音色とそれにまつわる状況論の描写や社会学的な考察に重きが置かれていた。そういった状況では、個々の音楽家のサウンド・デザインにおける、音色以外の手法/構造が少々見えにくくなっているように感じる。今回取り上げることになったジャイアント・クロウもその一人ではないだろうか。


今、世界でもっともエクスペリメンタルな音楽レーベルの一つとしても知られるレーベル〈オレンジ・ミルク〉の主催者、キース・ランキンのソロ・プロジェクトであるジャイアント・クロウの出世作『ダーク・ウェブ』は、「ポスト・インターネット」や「ヴェイパーウェイヴ」の文脈で語られがちであったが、彼のサウンドの特徴はまずもってその独特のヴォーカリズムにあった。歌声のみならず、吐息、舌音、スキット等の多彩なヒューマン・ヴォイスの可能性を、サンプリング/エディットといったテクノロジカルな手法で突き詰めてゆく『ダーク・ウェブ』のサウンド・デザインは、「ヴォーカリズムの追及こそが音響の極地への近道だ」というテーゼを掲げているかのようで、最近ではホリー・ハーンドンやハチスノイトが精力的に試みている方法論に近いアプローチだ。この作品がそういったエクスペリメンタル・ミュージックの中で独特の立ち位置を保持していたのは、そのヴォーカリズムを支える骨格に、〈ブレインフィーダー〉的なビート・ミュージックやトラップやジューク、R&Bのサウンド・ストラクチャーが巧みに組み込まれていたからだ。これはビヨンセが『レモネード』にジェイムス・ブレイクをフィーチャーし、安室奈美恵が『_genic』で〈PCミュージック〉のソフィーとコラボレーションした時代ならではの感性であり(これらは『ダーク・ウェブ』の数年後の動きではあるが状況と感覚の連続性は明確だろう)、大衆性/実験性、メジャー/インディの垣根が総崩れを起こしつつある現代を体現したようなサウンドをジャイアント・クロウは創出してみせた。


そんな彼が次に放った作品が『ディープ・ソーツ』だった。ヴォーカリズムに着目しながら本作を聴くと、前作のようにわかりやすいメロディが含まれたヴォーカル・サンプルが使用されているのではなく、発音した単語の一音一音が細分化されたものが、各楽曲のコンセプトに沿って配列されており、よりコンポジションに重点が置かれていることがよくわかる。また、前作では最新のビート・ミュージックがサウンドの骨格を形作っていたが、『ディープ・ソーツ』は本人が「特定の感情反応を引き起こすのに使用される確立された音楽的用法としてのメロディやハーモニーに焦点を当てた」と述べている通り、そこには西洋における古楽~クラシック~現代音楽のボキャブラリーがMIDIとサンプリング/エディットによって脱構築されたサウンドが詰め込まれている。自身のサウンドが過去の偉大な作曲家たちのそれと直結していることを示しているようでなんとも愉快だ(無論、ここにはすぎやまこういちや植松伸夫といった日本のゲーム・ミュージックの血筋も大いに混入していることは言うまでもない)。


こういった試みを、クラシック音楽がポップ・ミュージックのフィールドで大々的に活用されたかつてのニューエイジ・ミュージック的なそれと関連して語ることも可能だと思うし、ヴェイパーウェイヴの文脈に寄せるならば、それは必然的な帰結になるだろう。しかし、重要なのは彼が前作ではある種の同時代性を強調し、本作では歴史的な連続性を強調していることだ。このコンセプチュアルな流れに彼の戦略性を読み取るのは難しいことではないし、ある意味ではポスト・インターネット的なスーパーフラットを今もっとも快活に突き進んでいる作曲家といえる。


どこまで真面目でどこまでふざけているのかわからないが、この音色と構造の組み合わせは21世紀の現在だからこそ可能であることは間違いない。リスペクトを抱きながらジャンルを弄び、歴史を弄ぶジャイアント・クロウの知的な軽やかさは、現代のジャズやインディ・クラシックにも通じる越境的快楽を持つ。あとは我々リスナーが、この戯れを笑いとともに受けとめる余裕があるかどうかが、いまもっとも試されていることではないだろうか。


【サイン・マガジンのクリエイティヴ・ディレクター、田中宗一郎の通信簿】

★★★★

「真面目かっ!」と、思わず歌舞いてみましたが、とてもよく出来ました。ただ、やはり皓平くんの作文の弱点はその端正さと生真面目さにこそあります。特にクラスの嫌われ者カズくんの作文と並べてみると、よりその生真面目さが際立ちます。まあ、そういう企画なんですけど。


2010年代の音楽評論はさまざまな困難さに直面しています。カズくん言うところの「聴かない人はプロのレヴューとか読んでも絶対聴かないし、聴く人はもとから文章に興味などもたない」という認識もそのひとつです。真理ではないものの、現状認識としては決して間違ってはいない。


実際、この連載記事もそれなりに涙ぐましいアクロバティックなパフォーマンスによって、そうした状況に微力ながら楯突こうとしているわけですが、もしかすると、草一本生えない痩せた大地にひたすら種を蒔こうとしているだけなのかもしれません。


そうした状況の中、皓平くんの戦略はあくまで正攻法。対象である作品の表層に目を凝らし、同時に、作品の外側にある社会的な文脈をも利用しながら、俯瞰的/横断的視点によって、さまざまな音楽的参照点を繋ぎ合わせたり、並べ替えたりすることによって、文脈と物語を繋ぎ出そうとしています。


音楽評論の存在意義が、SNSでの個人の発信に代表される主観絶対主義、テイスト絶対主義に脅かされる中、ごく当たり前の正攻法に回帰しようという皓平くんのスタイルに先生は感動を禁じることが出来ません。最近、涙もろいんです。


しかし、果たしてその声はどこまで届くのか? そんな思いがうっすらと脳裏に浮かぶことも否定出来ません。


すべてに開かれた場所であるはずのネットという大海に浮かぶその声は、もしかすると、いみじくもジャイアント・クロウの出世作のタイトル――『ダーク・ウェブ』という言葉が示す通り、誰も気づくことのない深海を漂っているだけかもしれません。


でも、皓平くんは自身のスタイルを貫いて下さいね。先生みたくパフォーマティブであることを過剰に意識するあまり、ひたすら間抜けどもに嫌われたり、時に策士策に溺れる羽目になったり、時に過剰な信奉者を生んでしまうよりは、よっぽど生産的です。


それにスタイルというのは良し悪しによって判断出来るものではなくて、飽くまで個々の選択に過ぎませんから。これからも頑張ってね!

勝者:八木皓平


先生の言うとおり、見事なコントラストを描いたレビュー対決となりました。おそらくはこの連載史上(下のリンクからまとめ読みできるよ!)最大の振れ幅だったのでは?


ということで、勝者は八木皓平。


次回もおたのしみに!

〈バーガー・レコーズ〉はじめ、世界中のレーベルから年間に何枚もアルバムをリリースしてしまう多作な作家。この連載のトップ画像もKAZが手掛けている。ボーイズ・エイジの最新作『The Red』はLAのレーベル〈デンジャー・コレクティヴ〉から。詳しいディスコグラフィは上記のサイトをチェック。

過去の『カセットテープを聴け!』はこちらから!

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