STUSSYなど10ブランドにグラフィック提供したアーティストKOU

Kousuke Shimizuを知っているだろうか?

Kousuke Shimizu(通称KOU)はアナログコラージュ、シルクスクリーン、イラストレーション、グラフィックから半立体物などさまざまな手法を取り入れ作品を制作しているクリエイターだ。また自身の作品制作のみならず、アートディレクターやTVCMなどへの衣装製作も手掛けている。COMME des GARÇONS GANRYU、CHRISTIAN DADA、STUSSY(USA)などアパレルブランドや広告媒体などにグラフィック作品の提供を行うなど、活躍の幅を広げている。

私はKOUくんといつどこで出会ったのか忘れてしまうくらい、知り合って結構な年数が経っていた。共通の友達も多いことからイベントやギャラリーなどの展示会場で会うことが多く、そのときに「最近どう?」なんて話すことはあっても、改まって仕事の話をするのは今回が初めてだ。

なんだか照れ臭くて、居心地の悪い気持ちで指定した場所でKOUくんを待っていると、遠くから手を振る彼を見つけた。「駅の賑わってる方にいるって言ったじゃん~」「それどっちだよ」なんていつもどおりのテンションで挨拶を交わし、一気に緊張がほぐれた。


作品に関わるネタを隠さない

KOUくんは美術大学を卒業しているわけでも、グラフィックの専門学校で勉強していたわけでもない。ずっとものを作ることが好きで独学でここまでやってきた。アカデミズムとは正反対のところにいる、言わば“フリーの玄人”なのだ。

作品は「少し不気味で歪んだコミカルな世界観」が印象的だ。動物やアメリカンコミック、神話などの宗教を思わせるモチーフなど、別の世界にいたものが彼の手により繋ぎ合わされ、新たなキャラクターや物体として生まれ変わる。

「不気味だけど可愛い」という違和感を感じる理由は、日常の中にある狂気を体現しているのかもしれない。KOUくんの作品のイメージソースは何なのだろう。

「周りからは『暗いものが好きで性格も根暗そう』と思われているみたいだけど、僕は暗いものはあんまり見ないし、ネガティブでもないよ。でも、暗いけど笑えるものは見るかな。例えば藤子不二雄Aさんの『魔太郎がくる!!』『ヒゲ男』『世にも奇妙な物語』とか、ダークなジョークがあるものは好き。アメリカンコミックも好きだし、スケートカルチャーもハードコアカルチャーも。自然と好きなものは多かったし、いろいろな友達が僕の周りにいるのは大きいと思う。それと収集癖があって、アトリエには物が多いんだよね。


4月になると学生は進級するじゃない? だから新学期になる時期に近所を散歩してると、小学校4年生の子が、3年生の時に作った版画がゴミと一緒に捨ててあるんだよ。

テレビに体がついてて散歩してる風景の版画で、すごいなあ~と思った。それをひたすら拾うんだよね。『大人には書けない』とかそういう堅苦しいことを言いたいんじゃなくて、単純に良いものは良いし、ごみはごみ。だから道端に落ちていても良いと思ったものは家に飾ってあるよ」

その他にもレコード、古い本、人形、民族の仮面、人の作品など数々の収集した有象無象が部屋に飾られているという。そうして集めたものからのインスピレーションが作品に影響を与えていたとしても、「決して隠さない」という主義を貫いている。

「ネタを隠す人とかいるけど、そんなの見る人が見れば分かっちゃう。そういう風な手段で人と差をつけたくはないんだ。だって高校生のときはお互いの好きな漫画だったり、珍しい本やレコードを見せ合ってたのに、大人になってそれがお金に関わる重要な資料になった途端、人に見せないって何か欠けちゃってない? って思うんだよね。

だからいい本見つけて、それが次の制作の役に立つ重要な資料だったとしても、僕はそれを周りの人たちに見せる。僕の周りも隠さない人が多いから、みんな見せてくれるよ。『KOUくん好きそうだからこの本買ってきてあげたよ』とかっていうやりとりはすごい多くて、そういうコミュニケーションの取り方をするかな。それを参考に俺よりも良いものを作った人がいたら喜んで買うしね。

1. ネタは人にバラす。

2. 良いものがあったら人に話す。

3. 人のことは妬まない。

これを自分なりの決まりとして持ってるかな。すごい人はすごいからね。すごいの定義は未だに自分基準でしかないんだけどさ」

名刺も作品も持ち歩かない

現在大手のアパレルブランドへのグラフィック提供や、メディアへのアートディレクションなども行い幅広く活躍しているのだが、営業は一切していないという。それだけでなく、知り合いが開いたパーティーや展示会場に足を運ぶものの、作品を見てすぐに帰ってしまう。

そこであった人と名刺交換を行ったり、自分のやっていることを話したりという社交場として利用するために行く人が多いなか、KOUくんのそういった姿を見たことはない。


「お世話になってる人のパーティーには顔出すけど、その人に挨拶したら帰っちゃうね。パーティーで会った若い子に『絵を見てください』って相談されることもあるんだけど、『人に会うより、とにかく作った方がいいんじゃないの?』って言う。人の話聞いててもしょうがないと思うんだよ。仕事もまだなくて改善点とかを指摘してほしいっていう気持ちもわかるんだけど、でもそれって画面上のものでしょう? 画面上のものでアドバイスをもらうなんて、そんな小さい帳尻合わせみたいなことやるんだったら、名刺も作品も何にも持たずに、いろんなところに行って、いろんなものを見た方が良いと思うよ。でも嫌いなものは見なくてもいいと思う。『とにかく好きなものだけに偏ればいいんじゃない?』って思うんだよな」


人にアドバイスをもらうのではなく、自分自身の中で好きなものに対して突き詰めていたらそれに対して必ずオーディエンスはあるという自分の自身の哲学があるようだ。

「一貫して僕が思うのは、そういうパーティーとかクラブとかに行って自分のファイル見せて名刺渡しても、仕事って来ないと思うんだ。とにかく作っていれば見つけてくれるんじゃないの?っていうのを信念として僕は持ってるな。だから営業も一切しない」

今までの経験上、知り合いではないところからの仕事の依頼が多いという。

「まったく知らない人から連絡が来るんだけど、僕の何を見て声をかけてくれたのかわからないんだよね。絵を見たのかコラージュを見たのか、展示に来てくれたのか、それとも本を見たのか。STUSSYもアメリカからいきなり英語で『5型描いてくれ』って連絡がきたんだ。友達関係だったら、『あいつはこういうやつだから』っていうイメージがあって、仕事も振りやすいと思うんだけど。まったく知らない人に声かけるのって怖いよね。だから相当賭けてくれてるんだと思う。もっと安定して良いもの作る人がいっぱいいる中で、よく僕に依頼するなって自分でも思うよ(笑)」


謙遜するように笑っていたが、好きなことを突き詰めてきたからこそ、作品自体もその人にしか作り出せないものになっていく。実際にそのスタンスのまま仕事のオファーが舞い込んできているのだ。

作りたいものを全力でつくるだけ

KOUくんは、制作期間にはあまり他の仕事を詰めすぎないようにスケジュールを組んでいるという。作る上で気を大切にしていることは何なのだろう。


「お金だけ求めようとすればポンポン制作を詰め込めばいいと思うんだけど、作ったものの強度は相当下がるでしょう。強度が強すぎてもウケないってこともあるけど、極力その人に全力で返してあげたいから、これでいいやっていう中途半端な力の出し方はしない。そうやって極力全力でやってたからいろんなものを作れるようになったっていうのはあるしね。あと80歳とかになって、『あの人とあんなもの作ったな』って思い出したときに、それをそのときでも気に入っていたいしさ。極力雑な思い出は作りたくはないんだ」

例えば需要に応えたデザインをしたり、周りの環境や流行などの情報を意識して、自分の作りたいものからブレてしまう人もいるなかで、KOUくんのものづくりに対しての気持ちはとてもシンプルだ。

「僕は常に作りたいものを作る。生活かかってるぜ、僕だって(笑)。でも生活困ってる状況だったら、あえてグラフィックで食べる必要ないじゃん。お金がなかったら、もっとお金に直結する仕事をすればよくない? 人に好かれたいと思って作ってる作風でもないでしょう? まあ、仕事きたらすごくうれしいんだけどね(笑)。

でも仕事をもらうために、自分を曲げようとはあまり思わないかな。だから作ったものが否定されても、褒められてもわりと何とも思わないんだ。でも褒められればうれしいよ、共有できてるというか視覚コミュニケーションみたいなさ。

個人的には完全なる趣味なんだろうね。だってお父さんが休日にプラモデル作ってそれに対して評価うんぬんなんて、ないじゃない? 遊んでる感じなのかもしれないよね。これじゃあ、仕事をくれてる人に失礼かな。仕事をくれてる人も一緒に遊んでる感覚なのは伝わるし、面白いよ。大人だからお金になるって状況だけど、高校生のときの放課後と精神状態は変わらないかな」

クライアントもKOUくんから何がでてくるのか、ある意味挑戦的ともいえる依頼をしているよう。クライアントの存在をどのように意識しているのだろう。

「投げられるのもテーマだけで、例えば『80年代のパンク』とか『80年代のスケート』とかそういう依頼のされ方じゃなくて『とにかく混沌としたものを作ってほしい』とか抽象的なことが多いかな。COMME des GARÇONS GANRYUさんとやったときは『カオスなものを作ってくれ』って言われて。そのとき思ったカオスは宇宙だったんだけどね。クライアント側がどう思ってるんだろうって意識はしない。ただ『COMME des GARÇONS GANRYUからこれが出てたら、僕だったら面白いな』って思うものをやる。『STUSSYからこれが出てたらうれしいなっていうもの』を作る。単純に欲しいって思ったり、飾っておきたいなって思ったりするものを作るようにしてるよ。

ただ、向こうからある程度の明確なテーマがあれば、それに合わせてこちらもその中で自由に制作させてもらうよ。自分では思いつかない物を作るキッカケになるし、自分では行けない世界に気づいたら連れて行ってもらってるときもあるし。

あと、僕は『アパレルの人』ってイメージだけど、CDジャケットや本の装丁、ポスターデザイン、ヴィジュアル撮影、企業コラボなどいろいろやってるんだ。自分からはほとんど公表しないからなのか、アパレルブランドの発進力の影響なのかな?」

「アーティスト」ではなく「ものを作るのが好きな人」

クライアントとの仕事についても、アーティストとしての個展やグループ展に参加しているときも好きなものを作るスタンスは変わらない。しかし、展示をするたびに美術に対しての自分の考えに気づいたことが多々あるようだ。

「ずっとものを作ってるけど、抽象的なものに対して興味がないんだ。美術館に行って油絵を見て、『これは素晴らしい』なんて感覚、僕には分からない。美術館を否定するわけじゃなくて、感情で書きましたとか、怒りを書きましたとかっていうものに共感できないんだ。それだったら友達の描いてる落書きのほうが『お前これなんだよ』とか『バランスがおかしいだろ』とかって会話ができるほうが重要じゃないかなと思っちゃうね」

美術畑でもファッション畑でもないからこそ、「本当に良いもの」は、歴史上すごいとされる偉人や優れているとされる作品の数々ではなく、あくまで自分が見てきたものが基準になっているのだろう。「本当に良いもの」に対してピュアなままでいるのは、彼の環境の産物かもしれない。しかし、ふとしたときに劣等感を抱くこともあるという。

「美大を出て、いろんなものを知って、自分のスタイルを確立した上でやってるような人と一緒に展示をしたときがあって。僕みたいに好き勝手してきたやつが『もしもこんなキャラがいたらいいじゃん』なんて発想で作ったものを一緒に並べていいの? って思ったときがあったね。僕はその作品をめちゃくちゃ気に入ってるからこそ、余計違和感を感じたのかもしれない。人からの意見に興味がないとか言いながら、美術に対しての劣等感があるのかもね」

それでもやはり、自分の立ち位置や肩書きを語る上で、『アーティスト』と名乗ったり、呼ばれることに関して居心地の悪さを感じるという。

「グラフィックデザイナーがアーティストって名乗って個展やるのってかなり増えたと思わない? アーティストにグラフィックのデザイン依頼が多く行くようになったのかな?

僕はグラフィックデザイナー? アーティスト? その中間って何って言うの? 言われ方は何でも良いんだけど、単純に『ものを作るのがすきな人』っていうのが一番しっくり来るかな」

最後に、「今後何か挑戦したいことってある?」 と尋ねると「挑戦したいことはないよ。僕は常に作りたいものを作りたい」と最後まで明快な返事が返ってきた。


取材が終わってからも「合流する前にいろいろお店回ってたんだ~」と今日見てきた古着やおもちゃ屋の話をしてくれた。自分が見て感じたものを素直に人に共有する、純粋なコミュニケーションとその人やものに対する視線がインスピレーションとなり、自らの作品へとつながっていく。

そこに濁りはないし、不自然な気負いもない。

もの作りは自由で楽しいことであり、だれかのご機嫌を取るものではない。そういう価値観がKOUくんの作品に凝縮されているような気がした。



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