謎の非営利団体『銀座奥野ビル306号室プロジェクト』が部屋を守り続ける理由


私が銀座奥野ビルに出会ったのはつい最近だ。被写体としての仕事でフォトグラファーが撮影場所として提案してきたのが縁で足を運ぶことになったのだ。

何の予備知識もないまま出向いたので、はじめて奥野ビルにたどり着いたとき自分の目を疑った。1932年に竣工され現在も当時のまま銀座一丁目に佇む姿は壮観で、入った途端に時空が歪んだような不思議な感覚になった。

無事に撮影を終えてからしばらくの間、奥野ビルのことが頭から離れず、インターネットで調べてみたところ、『銀座奥野ビル306号室プロジェクト』という非営利団体のホームページにたどり着いた。

概要には、

「銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクト」は、三〇六号室を維持しつつ活用しよう、という非営利活動です。さまざまなバックグランドをもつメンバーが緩やかに関りあいながら、思い思いの企画を進めています。

「維持」とはいえ、遺跡を保存するというような意味での維持ではありません。三〇六号室では、たとえばペンキや壁紙が時々刻々朽ちて剥落し、前の借主の記憶は漂白されつつあります。昭和初期から平成初期にかけてひかれた一本の線は、次第に点線になり、点と点の間隔が大きくなり、その間隔が極大化したとき、忘却されるのでしょう。「維持」というのは、こうした時間の経過に意図的に介入するのはよそう、ということです。

そして、一本の線が消えゆく中で、メンバー各自がいろいろな太さ、長さの線を引く、というのがこのプロジェクトです。それぞれの線が・・・もちろん消えつつある線も含め・・・どのように接続するのかしないのか、そしてそれがわたしたちをどこに連れていくのかよくわかりませんが。

と記してあった。

それ以外の情報はほとんどなく、むしろそれが私の興味を惹いた。文章から察するに306号室に、私が求めているものが何かあるかもしれないと直感し、謎めいた306号室の管理人を取材することにした。

今回の取材を快く引き受けてくれたのは、306号室プロジェクト設立者の1人である黑多弘文さんだ。どんな方かまったく素性がわからず取材の依頼をしたため、少しだけ不安な面持ちで彼を待っていると、郵便物が詰め込まれ苦しそうになっている306号室のポストの鍵を開ける人物を見つけ、声をかけた。

ご挨拶もそこそこに、清涼飲料水のペットボトルを手に「これ甘すぎなんだよね。失敗したな!」と後悔している様子が気さくで少しほっとした。そんな他愛もない談笑から、この取材は始まった。

306号室に踏み入ると、剥落した壁や趣のある木造の柱がなんとも言えない雰囲気を醸し出していた。部屋の四方に思わず見とれ、「すごいですね」の一言が出るまで時間がかかった。

このビルは1923年の関東大震災後創立された団体の「同潤会アパート」の設計者である、故・川元良一氏が手がけた建築物の1つなのだ。当時として先進的な建設で有名なアパートである。

現在ではレトロな雰囲気が注目を浴び、いくつものギャラリーが軒を連ねている。しかし、注目を集めるようになったのは、本当にここ最近の話なのだという。

「ここはもう……いっときまで本当に死んでいましたからね。人の出入りが全然なくって、ただ汚いビルという感じに思われていましたし。奥野ビルを所有している奥野さんも取り壊すつもりだった時期もあるようなんです。でもテナントがみんな反対して。

今でこそドラマや『ノルウェイの森』といった映画の撮影にも使用されたり、こうやって取材の依頼も来たりするようになりましたけど。風向きが変わって古いものに価値が出てきたのは、本当にここ最近の話なんですよ。

実際のところこの界隈の建物はどんどん取り壊されてきているんですよね。ただここは個人の所有物なので、たまたまさまざまな条件をかいくぐって残されているんです」

ふと外を見やると、窓から入る午後のやわらかな日差しが部屋を包んでいる。

黑多さんはこの日の光をいたく気に入っているそうで、ここでお酒を片手に1日ただぼーっとして過ごすこともあるという。この場所で過ごして、まだ決して長い時間は経っていないが、その気持ちがわかる気がした。


偶然から始動した『306号室プロジェクト』

「もともとは、数人でこの場所にたまに来てお酒を飲んだり、いろいろな話をして遊んだりしようと思っていたんです。それでみんなでここの家賃を平等に支払うということになったんです。

でもこうやってこの場所を開けていると、不思議と人が入ってくるんですよ。『それだったら表立った形として、皆さんにきちんとお見せしましょう』ということで、正式なプロジェクトの形になりました。

プロジェクトとして機能しだしたのは、ここ数年ですかね。それまで活動してない時間がいっぱいあって、こういう風になるとは思わなかったので、ほんと偶然の積み重ねに思います」

そうこう話し込んでいる間にも、壮年の男性が1人訪れてきた。「今日はなんかやっていないの?」と黑多さんに声をかけ会話をしていった。「ね? こんな感じで人が入ってくるんですよ」といたずらっぽく笑ってみせた。

プロジェクト始動から5年ほど経ち、現在では29人の有志の人たちが運営している。メンバーは皆一様に須田さんが営んできた美容室に何かを感じ、吸い寄せられるように集まってきたのだ。「須田さんの存在があったからこそ、今がある」と語りはじめる黑多さん。

「奥野ビルは元は銀座アパートメントといってアパートとして建てられたんんですが、そこの最後の住人なんです、100歳で亡くなられたので。秋田から20歳頃に東京に出てこられてからというもの、80年間、一切故郷に帰らずにここで人生まっとうしたようなんです。須田さんは当時の職業婦人の走りだったし、戦前に女性一人でここで美容室を開いてるのは、なかなかのことなんです。 仮にもしここが単なる部屋にリフォームされていたら一切こういうプロジェクトは始動していなかったと思うので、須田さんと、須田さんが残したものありきですよね」

若手クリエイターが表現できる場所でありたい

さまざまな人から注目を集めるようになって早数年。これからどのようにプロジェクトを展開していきたいと考えているのだろうか。

「僕としてはできれば若い人に関わってほしいんですよね。以前NYに滞在していたことがあるのですが、向こうではギャラリーを守る非営利団体がものすごく多くて。そこでめちゃくちゃ格好いいことをやっているんですよ。しかもそういうギャラリーを守っているのは、ほとんど若手のクリエイター。でも今日本でそういう事例はほとんどないんです。だから僕自身はそこを目指していきたい。なかなか非営利団体でこういうことをやっているのって日本でも少ないと思うんですよ。

共同で借りている他の皆さんがどう考えているのかはわからないけれど、『お金がないけど発表したい』という人たちにこの部屋を使ってほしいなって思うんです。銀座のギャラリーってなったら、相当なお金がかかるので。だからそういう風に思ってくれる若い人がいる限り、続けたいなって思います」

「真面目な話をするつもりじゃなかっただけどなぁ」と、照れた様子で話す黑多さんは、公の場に出るのは得意じゃないにも関わらず、若い人に関わってほしいという想いからこの取材を受けてくれたのだ。だが、この部屋を使ってくれる人は誰でもいいわけじゃないという。

「プロジェクトは会員制でやってるんです。矛盾する話かもしれないですが、いろんな人が関わってくると環境が変わってきてしまうと思うので、なるべくシンパシーを感じてくれる人にだけ関わっていただきたいなと思いますね。そういう意味ではだれでもいいわけじゃない。

意外とお金目的の人とか、もの珍しさでブロガーとかも来たりするんですよ。そういう輩には『お前なに考えているんだ』って思いますね(笑)」

ホームページの概要の文章にも惹かれたが、黑多さん自身がブログで更新している言葉も魅力的だったことを話すと「僕がやっているのは例えていうなら、お日様が昇ってから、日が落ちるまでの間にどうなるかみたいなことをやっているんで……翻訳なんですよ全部。自然の移り変わりの翻訳で、文章はまた自分が考えていることの翻訳になっているので、自分自身の思いからは少しずつずれていってしまうの」と照れながら、でも真摯に語りかけてくれた。

ちなみに、黑多さんのブログはホームページの資料室アーカイブから見ることができる。

ここまで読み進めると大方察しがつくかもしれないが、黑多さん自身も美術家であり、306号室で個展を定期的に行っている。曰く「空間全体を五感で感じることをテーマに、来客者であるお客さんとの偶然性でさえも作品のひとつにしてしまうような展示だ」という。

それはこの「須田美容室」に対してのリスペクトがなければできないことだと思った。私はなんだかそのことがうれしかった。なぜなら『ここを運営しているのが、こんな人だったら素敵だ』と、あらかじめ思い描いていたイメージと黑多さんが一致していたからだ。

この部屋で時間を紡ぐこと

「なんか面白いこと、やりたいことがあったら、ここで是非やってください。何でもいいんです。一日ここでぼーっとするのでもいいんです。そうすると人が入ってきて対話してっていう。その時間が結構濃密で、楽しいんですよ〜」と和やかに話す黑多さん。

帰り際にまさかそんな提案をされるとは思わなかったので驚いた。閉鎖的だと思っていたこの部屋が、実はだれにでもオープンな場所で、だれかにとっての特別になることを待っていたのだ。

考えてみれば、『銀座の一等地に自分が表現できる場所がある』というのは、若いクリエイターにとってはとてもありがたいことにちがいない。

何か表現をしたい人が奥野ビルの306号室に足を踏み入れたとき、いろいろな太さ、長さの線がどのように接続するのか。あるいはしないのか。そしてそれが私たちをどこに連れていくのか。306号室プロジェクトのこれからがとても興味深い。

photographer Ryosuke Iwamoto / 岩本良介




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