「すべての境界がなくなればいい」 同性愛者が語る日本の本当のLGBT事情

ここ1-2年の間、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)に関する話題が世間を賑わせている。クリエイター業界においても彼らの活躍は目覚ましく、日本でもセクシャルマイノリティーに属する人たちへの受け口は昔に比べ寛容になったと思われているだろう。

しかし実際のところはどうなのだろうか。あまりにもその言葉や存在がキャッチーになりすぎたせいで、当の本人たちは好奇の目に晒され、キャラクターのように扱われることもしばしばだ。

時代が進むにつれて彼らの存在は明るみになり認知される一方で、LGBTに関する問題はまだまだ根深いように感じる。

ストレートである私とゲイである彼らの目に映る景色は同じなのか。はたまたまったく違うのか。ゲイカルチャーの中心にいる『ある男性』に、ゲイという存在と思想について、そしてこれから先の時代に望むものを語ってもらった。

今回取材を引き受けてくれた男性はヘアスタイリストとして、ここ東京で活躍している。彼はこれまでの人生において「僕はゲイだ」と口にしたことは一度もないと語る。これは作られた映画でもなく、ドラマでもない。彼の生の姿と声なのだ。


人が同性愛に目覚める瞬間は、同性愛者の数だけ存在する。皆それぞれ違った道を歩み、さまざまな経験の上に今の彼らがいる。カメラに背を向ける彼は、どのようにして同性に好意を抱くようになったのか。そのきっかけを聞いてみた。

「ある日突然というわけではなく、じんわりそちらに流れていった感じはあります。今思い返すとバックグラウンドにそういう意識はずっとあったのかもしれないですね。男女というより『人』という感覚でだれかと接している感覚がそもそも強かった。時が経つにつれて男女という境界に対する意識も薄れていって、友達だろうが恋人だろうが『その人』が好きという感覚でした。

実際のところ20歳のころまで彼女もいたんです。でも仕事をしはじめてから環境が変わって、気がついたら少しずつ男性を見るようになっていった自分がいました」


―男性を好きだという感情に気付いたときに自分に対して戸惑いはありましたか?

「世の中的にマイノリティーな部分なので、そういう面で気にするところはもちろんありました。はじめはだれにも言いたくないと思っていて、だれでも自分だけの秘密を持っていると思うんですけど、その秘密を抱えながら生活している感覚でした」


ただ川の流れに身をゆだねていったら今の自分になった

好意を抱く対象を「男性」と断定しているわけではなく、この先女性をまた好きになる可能性もあると話す彼。男性と女性の間を行き来するその感覚は、ストレートの私には想像しえない感覚だ。彼のなかではそういった「男女の境界」がいかにして存在しているのだろうか。

「女性と付き合うことから男性と付き合うことへとシフトしていくことで、自分の歩く道が変わるという感じではなくって。流れに沿っていたらこうなったっていうだけなんですよね。しいていうなら川の流れに身をゆだねている感じです。

自分のなかに男と女という境界線があまりないんです。だから前の彼女とは身体の関係もちゃんと持てていたし、別れたあともその人のことを嫌うことはありませんでした。

自分でも不思議なんですけど、自分がゲイという認識すら正直今もあまりないんですよね」


世の中的な『普通』って、全然頼りにならないんですよ

私が少し首を傾けながら話を聞いていると、彼は唐突に質問を投げかけてきた。

「例えば自分の親のことを、『なぜこの人はあなたの親なんですか?』って聞かれたらどう答えますか?」

返答に困った私はしばらく考え込み、「母の身体から産まれたので、必然的なものですかね」と答えることしかできなかった。だって、母は母だし父は父でしかないからだ。そう答えると彼は納得するように話を続けた。

「そうですよね。じゃあもし『実は本当の親じゃないの』って言われたらどうしますか? 僕にとって、自分がゲイであることってそんな感覚なんですよ。自分が今普通と思っていることは、何かを知ったことによって変化する可能性があるっていう。

何かを聞いてそれが真実だったら、受け入れるか否定するかは自分の心次第じゃないですか。世の中的に今はLGBTを掲げて理解を求めているけど、自分のなかで『普通』とカテゴライズされたものって、結局のところ全然頼りにならないんですよね。真実なんて自分の勝手な思い込みだと思うんです。

生態学的に男女が結びついて子どもを作るみたいなものはあるかもしれないけれど、離婚する人もいれば、好きじゃないのに結婚する人もいますよね。それを『普通のことだよ』って言うのなら、じゃあそもそもみんなが言う『普通』って何? って思うんです。

たとえば今は異性を好きになることが普通で、同性を好きになることは普通じゃないと言われますよね。でもそれが逆転する可能性は少なからずあるだろうし、それが実現すればゲイである僕も普通の人間になれる。世間的に今普通だと言われているいろいろなことも、いつ普通じゃなくなってもおかしくないと思うことで、世間の『普通』というカテゴリーに属していない自分の心を、楽にしている部分があることはたしかですけどね」


たまたま数年前からゲイである彼らの多くと普段の生活をともにしている私は、いわゆる『普通』の女性とは少し違った環境にいるのかもしれない。ただ彼らと数年接していながらも、その独特な視点を完全には理解できずにいる。

では普段彼らと接することのない人々が、急増するLGBTに関するメディアに触れることでどういった現象が起きるのだろうか。私にとって世間が理解している認識は、ゲイという存在が勝手に形作られていく光景に思えて、少なからず違和感を覚えていた。そういった私の考えに対して彼は一体何を思うのだろうか。

「きっかけになればいいのかなとは思いますね。メディアで僕らが取沙汰されて、なかには侮辱されていると思われたり、憐みの目で見られたりするかもしれない。けれど、それをきっかけに僕らのことを知って理解をしようとしてもらえるのであれば、それはそれでいいのかなとも思います。

こういうふうに掘り下げて自分のことを話す機会もないし、この世界に無理に入ってこなくていいと思うんですよね。僕も今までは絶対に知られたくないと思っていたし。でも知ってもらったところで、理解も求めてないんですよ。ただ、個人的な意見を言わせてもらうと、『知られたくない』とか『差別的な目で見られたくない』という思いが強ければ強い人ほど、自分の手で自分の可能性を遮断してまうので、不幸だなとは思います」


―ではそのきっかけを通して歩み寄ってきた人に対してはオープンになれるということですか?

「そういう境界線自体がLGBTの人たちはあまりないのかなと思っています。言う人は言うだろうし、言わない人は言わないだろうけど、『ドアを開く』くらいの感じです。

あなたの質問も『ドアを開くんですか? 開かないんですか?』ぐらいの感じで開くときは勝手に開きます。僕がゲイなのかどうなのか気になったとしても、それを紐解くのは僕じゃなくて相手側なんじゃないかなと思っています」


現実は私たちの固定観念を越えたところに存在している

彼との話を進めるなかで、結局のところ時代や環境に左右された人々が過剰に反応しているだけで、彼らは案外ライトに生きていることに気付きハッとした。彼らは私たちの想像を軽々と越え自由に生きている。むしろ狭い世界で生きているのは「普通」に属する私たちの方なのかもしれない。

「人間っていう生き物の脆さとか自分の観念って、結局そこまで芯の強さなんて持ち合わせていないんですよね。たとえば自分の息子がゲイだったと発覚したとしても、受け入れるしかないじゃないですか。月日を経てそれが普通になると『今まで思っていた普通って一体なんなの?』ってなりますよね。それは自分が作り上げた固定観念でしかない。

結局LGBTの人は『普通』と言われるものが人間が作り上げた固定観念だと知っているから、考えが柔らかかったりするんですよ。自分の仕事からしても、そういう柔らかい感覚とか固定観念が存在しない価値観だからこそ、作ることができるヘアスタイルがあるんじゃないかなと思います。それはきっとデザイナーであれ、アーティストであれ、何だってそうかもしれない。

だからアーティストとして尊敬する人にはそういう芸術的感覚が近い人が多いんですよね。最近写真家とかにも多いじゃないですか。ライアン・マッギンレーとか。彼らが作り出すものの魅力の一端は、思考の柔らかさから来ているのかなと思います。固定観念とか思い込みしかない作品も、それはそれでいいと思うんですけどね」


作品は自分自身そのものの投影でしかない

以前、絵描きをしているゲイの男性と話していたとき、「僕はもう結婚もできないし、血のつながった自分の子どもを持てる可能性がほとんどない。だから自分が生きた証として作品を作る。僕がこの時代に生きて、ここにいた印を残したいから、形ある物を作る」と言っていたことが記憶に焼き付いて離れずにいる。クリエイターである彼らの創造欲はどこから生まれ、どう作品に落とし込まれていくのだろうか。

「誰もがそうだと思いますが、僕は作品を通して自分自身そのものを表現して伝えたいですね。作品として世に出すと、だれかがそれを見るわけじゃないですか。ということはイコールで、自分自身を見てもらっていることになりますよね。だから作品は自分自身から出た何かではなく、自分自身そのものです。

『僕の作品を見ただけで、それが僕だと分かってもらえるくらい強いものを作りたい』とは思います。でも自分がそれを生み出すのではなくて、自分自身を注ぎ込んでいるっていう感覚ですかね。

ヘアスタイリストとして作品を作るときも、わかりやすく言えば『男だからカッコよく』とか『女だから可愛く』っていう縛られたイメージ自体つまらないですね。

真っ白なキャンバスに絵具を自由に散らすように、自分自身をぶつけてる感覚ですね」

LGBTからLGBTsへ、すべての境界を越えた世界へ

時代は変わり、同性婚が認められるなど、彼らへの配慮は確実に広くなっている。しかしどれだけ時代が進もうと、きっと偏見が完全になくなることはないのだろう。当事者である彼は、未来の世界になにを期待するのだろうか。

「すべての概念がなくなればいいなと思います。線引きもなにもかも。人間そのものを評価することはできても、『ダメ』とか『間違っている』って否定する権利なんてだれも持ち合わせていないですよね。

僕は政治家でもなんでもないからこうして言えるのかもしれないけれど、そうすれば世界は平和になると思います。それができないから戦争が起きるし、人が死んでいく。人がいつ死んでしまうか分からないように、自分自身の概念もいつ崩れてもおかしくない。

何かに縋って、言葉の力を持たないと人間は機能しないし、何かに対して自分は違うんだと思うことが強さになるけど、それが差別につながることもあります。

だからすべての境界がなくなればいい。それこそLGBTじゃなくてLGBTsになればいい。ストレートも普通じゃないかもしれないですよ。未来ではストレートがおかしいって言われてるかもしれない。あくまで例え話として言ってるだけで、きっとそれはあり得ないとは思いますけどね(笑)」


ゲイである彼らと多くの時間を共にしてきた私も、ここまでじっくりと彼らと対峙して話をしたのははじめてだった。

取材を終えてみて、私は以前よりもさらに彼らのことを愛おしく思うようになった。それはきっと、「普通」の人なら受け入れられない部分までも、彼らは深く受け入れて生きているし、自分のなかの「普通じゃない部分」すら理解してくれるからだと思わずにはいられない。

この記事を読むことで、1人でも多くの人の心の境界線が消えることを願ってしまうのは、押し付けがましい考え方なのだろうか。

photographer : 秦 和真 / Kazuma Hata

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