一体何者? ベールに包まれた映像作家、石田悠介

映像作家、石田悠介

彼は今、若手の映像作家として活躍しているアーティストの1人だ。

これまで彼が撮った作品の中には、大友良英のライブを収めたDVDやイギリスで活動するサイケバンドBO NINGENのMVThe Day Magazineのドキュメンタリー、そして短編映画まで多岐にわたる。彼が作り出す映像は、非常に都会的でありながらも実験的だ。

私が初めて彼の映像を見たのは1年半ほど前、『Holy Disaster』という短編映画だった。映画の舞台となった大阪のRock Star Hotelでその映画を見たとき、短い時間ながらもインパクトのある映像に、どこか別の時間軸に行くようなトリップする感覚を得た。


これほど活躍していながらもメディアへの露出をほとんどといっていいほどしてこなかった石田悠介に、今回そのベールを脱いでもらうべく取材を申し込んだ。

『面白い話ができるか不安ですが・・・』と言いながらも快く引き受けてくれたとき、彼はヨーロッパを渡り歩いている真っ只中。今、若手映像作家として活躍の場を広げている彼が、映像作家を目指した経緯、そして映像を通して伝えたいことを、一時帰国中の貴重な時間を頂戴し聞かせてもらった。


映像監督を目指し始めたころから感じていた映像業界への違和感


「漠然と映像の仕事がしたいと思うようになったのは22-3歳の頃で、それまでは特にそういったことも考えていませんでした。高校時代はバスケをしていて、でも途中で辞めてしまって。そしたら暇ができたので家で永遠にMTVをぼーっと見ていました。映画監督になりたいっていう夢は持っていなかったんですが、映像を見ることは昔から好きでした」


大学生時代は映画部に所属し、交換留学で渡ったシアトルでは映画論の授業を選択していたと話す彼。どんなプロセスを経て東京に移り住み、実際に映像作家として活動し始めたのか。


「大学の最後あたりから映像がしたいと思っていて、最初は普通に映像の業界に入ろうと思ったんです。でも日本の映像業界は基本的に弟子入り制度なんですね。監督に付いて10年くらい仕事して映像監督になるっていうルートが存在していて。助監督の人とかに会って話を聞くと、基本的には演出以外のことで、演者にまつわる時間とか衣装などを管理してるんですよ。第一助監督、第二助監督、第三助監督っていう区分けがあって、第三はこれを扱うみたいな。だから演出しないんですよね。

それが例えばカメラマンのアシスタントであれば、サブカメラを回したりレンズを変えたり、フォーカスだけするとか、そういう任され方をするんですけど監督っていうのは基本的に衣装の管理の仕事だったりタイムキーパーをしていて。それで『あれ?』って思ったんですよね。

ギタリストって毎日ギターの練習するでしょ? ミュージシャンも毎日練習はするし、画家はデッサンをする。僕は映像の学校に行ってなかったから、そういった練習をしてこなかったんです。じゃあこのまま弟子入りして、そこで現場の流れだけ知って、じゃあ順番が回ってきたからいきなり演出をするっていうのは何か違うなと思って。だからまず大学を卒業したら映像の学校に行こうと思ったのが最初ですね」


大友良英との出会い、そして映像監督石田悠介が始まった瞬間


大阪生まれの石田は、大阪時代から原宿にあるギャラリーVACANTの創設メンバーたちと親交があったという。そのつながりが呼んだ出会いが、映像監督・石田悠介の始発点となる。


「大学を卒業して、アメリカの学校のフィルムスクールに入ろうと思ったんです。それで受験して、結果待ちの間にVACANT立ち上げのお手伝いをしていたんですよね。その期間に面接とかがあって。これは受かったかなと思ってたんですよ。

そしたら不合格通知が来て『え?』ってなって。でもこのまま大阪に戻っても仕方ないし、なりゆきで東京にそのまま残ることにしました。

そのままVACANTのお手伝いはしていて、そのとき大友さん(大友良英)がVACANTで大きい展示をすることが決まっていたんです。それでDVD付きかCD付きのイベントにしようって話になって。

でも当時VACANTに全然人が足りていなくて、打ち合わせに人数合わせで出ていたんですよね。ただのお手伝いだったのに(笑)そしたらそういう話が出て『誰かこの中で映像できる人いないの?』ってなって。そこで何もできないくせに『できます』って言ってしまったんです。結局大友さんのライブを記録したDVDが初めて東京で撮った映像になりました(笑)」


何も知らずに飛び込んだ世界で積み上げたもの


映像業界の右も左も分からない状態で始まった映像監督としての生活は想像以上に過酷だったという。しかしその経験から得られたものは、今の石田悠介を形作るために必要なことだった。


「ライブハウスのオジさんとかってものすごい怖くて。僕は音響のこともよく分からないから『音下さい』って言うと『線は持ってきたんか?』って言われて『線って何の線ですか?』みたいな感じからのはじまりだったので、よく『お前何しに来たの?』みたいなことを言われてました。いろんな場面でそんなことの連続でした。でもそのお陰で、自分で1からすべて覚えていけたっていうのはありますね。

VACANTを通じて色んな人に出会ったのもかなりプラスになりました。じゃないと大友さんの映像を撮ることもなかっただろうし、かなり大友さんに鍛えられたっていうのはありますね。

その夏はたしか大友さんの50歳の誕生日で、生誕半世紀記念として1週間連続でライブをしていて。そのライブを1週間撮り続けて気が狂いそうになりました(笑)。

撮った映像を編集するときも、理由なく『Yes』か『No』しか言ってもらえなくて、何回もやり直しになりました。でも最初のDVDは一発OKだったんですよ。『石田くんすごいね~』って言われたけど、何がすごいかも全然わからなくて。そういう音楽の映像の正解なんて、素人の僕にわかるわけないじゃないですか。そもそも正解があるのかもわからないですけど。

でもそうやって『考える機会』を与えてもらったことで、かなり鍛えられた部分はありますね」


一度見たはずの景色が、別のものへと生まれ変わる


叩き上げのような環境で様々な経験を積んできたという彼は、今では多ジャンルに渡った映像を制作している。その中の代表作として昨年製作された短編映画『Holy Disaster』があるが、私はその映画を通して、ストーリーの核となるものを明確に提示せず、観るものに結論となる感覚を委ねているような感覚がした。


実験的な要素を含ませながら見せる映像は、観客を別の場所へと連れて行くような不思議な感覚なのだ。つまるところ石田悠介が映像を通して伝えたいこととは、どういったものなのか。


「僕らが小学生のとき土曜日の午前ってまだ授業があったんです。それで授業を終えて家に帰るとき、平日の帰り道とは全然違うものが見えるんですよね。

同じ景色を見ているはずなのに、全く違う景色に見える。そういう感覚を伝えたいっていうのはあります。全体を通して主観的に見ている世界がどう移り変わっていくかっていう。そういうテーマが制作するときは常に頭にありますね。

だから例えば映像の中でモノクロを使ったり、画角を古い映画のようにしているのは意図的にそうしていて。そうすることで人はそのフィルターを通して映像を観るんですよね。

だから画角を沢山混ぜたりします。映像を見ているときに、上下が黒だと勝手に映画だと思うでしょ? 今はみんなするようになったけど、画角を4:3にすると古い映像だっていうフィルターがかかる。白黒になった時点で現実じゃなくて過去を描いていると勝手に思う。そういうフィルターがかかることで、全体として見たときに普通ならつながらないことがつながっていく。

最終的には映像を見たあとに、いつもと同じ景色が違って見えるようになってほしいというか。逆にそのフィルター自体に作用してほしいと思って作ってます」


どんなアーティストも少なからず既存のアーティストに影響を受けているはずだ。子供が親の真似をして育つように、アーティストである彼もきっと、真っ白な状態から見様見真似で自らの表現の形を模索してきたのではないだろうか。そう思い、影響を受けた作家や監督について聞いてみた。


「現代に生きてる人ならパオロ・ソレンティーノ監督ですね。永遠にカメラが動いていて、ストーリーもビジュアルも音楽も、初期の作品から実験的だったしすべてにおいて否の打ちどころがない。

イタリア人とロシア人は時間の捉え方が日本人とは異なっている気がして、ひとつのカットの中でストーリーがどう動いてて、何を見せて、っていう感覚が全然違うんです。カメラが動いた先に何かが起こって、パッとカメラが違う方向を向くとまた違う何かが起こってっていうことが、1カットの中でレイヤーとしてきちっと作られてる。

ドラマに沿ってカメラワークやビジュアルを作っていく感覚が、どう考えたらあんな風になるのかっていうところがすごく気になりますね」


映画至上主義ではなくジャンルレスな監督になるために


日本における映像監督へのレールを外れ、独自で映像作家の道をひた走ってきた彼は、固定されてしまっている日本の映像業界のなかで、今後どういった立ち位置を見据え活動していこうとしているのだろうか。


「映画至上主義っていうのではなくて、いろんな映像をやりたいなとは思っています。日本では、業界の中でもジャンルが細分化されすぎていると思うんですよね。

映画は映画、CMはCMみたいに、すべての業界が分かれているっていうことの意味がわからないんです。もちろん全部違うんですよ。でも、映像はすべて映像なわけじゃないですか。

だからってそれを日本のシステムに合わせて映画だけに絞ったり、CMだけに絞ったりっていうのは考えてないです。

僕はこれまでそういったグループ分けの外で映像を制作してきて、だから僕が今一緒に制作している仲間は、決められた場所にいない人たちばかりなんですよね。それはそれですごく面白くていいんだけど、だからこそ次のステップとしては、ビッグプロダクションというか大きい組織の中で、どういうことができるのかを模索していきたいとは思っています。

あとはやっぱり映画は作りたいですね。ヨーロッパに行っている間に脚本はある程度はできていて、あと短編を1本と長編も書きたいと思っています。次の映画は短い会話を切り取ったもの、会話中心の『ある一コマ』みたいな感じで構想しています。あともうひとつは全然違うかな。まぁ・・・できたら観てください(笑)」


今回取材で語ってくれたように、既存の映像業界システムに違和感を感じながら活動を続ける彼は、今後映像というツールを通して私たちにどんな景色を見せてくれるのだろうか。石田悠介の今後の活躍を、私は期待せずにはいられない。


photographer : 山野一真

0コメント

  • 1000 / 1000