変幻自在にチョークを操る、その名も『チョークボーイ』

チョークボーイという男を知っているだろうか。

今ではコーヒースタンドや様々なショップで当たり前のように見かける『黒板を使用したメニューや看板』。それをアートに変え、日本における『チョークグラフィック』という表現方法を確立させた男だ。

今では東京の街を歩けば必ずと言っていいほどに彼の作品を目にする。今回取材場所として招かれた「ONIBUS COFFEE中目黒」に行くと、店内を見渡す限り彼の絵で埋め尽くされていた。

手描きで描かれたとは到底思えないそのグラフィックに、私は見惚れずにはいられなかった。

そして『チョークボーイ』と名乗る彼、実は『ヘンリーワーク』という名前で音楽家としても活動している。なんとも多彩な男なのだ。

最近では無印良品の広告音楽を手掛けていたり、料理人の堀田裕介とともに『EATBEAT!』というイベントを全国で開催したりしている。

『EATBEAT!』は新鮮な食材が調理される音をその場で録音し、即興演奏することで『音を見る』ということを可能にした体感型イベントだ。

そのイベントを通して、彼は音楽と映像を組み合わせた表現の可能性を観客に分かりやすく、かつエンタテイメント性をもって提示している。


そんなチョークボーイ/ヘンリーワークの脳内では音楽とグラフィックがいかにして構築されているのか。

現在はチョークボーイとしての活動が目立つ彼の中で、2つのアーティスト名義がどのようなバランスで存在しているのかを聞いてみた。


最初は音楽で食べていこうと思っていた

「最初は音楽で食べていこうと思っていたんです。だいたい音楽の仕事がくるのはミュージシャンとして売れるか、または『映像に必要な音を制作してください』って言われるかのどちらかなんですけど、僕の場合は後者だったんです。だけど僕はパッと短時間で楽曲制作ができないから、効率が悪いんですよね。

今でもCM系の仕事は受けるし『EATBEAT!』でライブもするし、全然音楽から離れたとは思ってないんですけど。自分にとって音を作ることは、作品を作ってるような感覚に陥ってしまってすごい時間がかかるんです。ところがですね。描くほうは音楽を作るよりかははるかに短い時間でできるんです。ささっと描けるってわけじゃないんだけど。

だから今ではチョークの仕事が多いけど、音楽活動もしているし、どちらかが本業という意識はなくて、そのときしていることが本業だと思ってます」


分野と分野の間を飛び越えた表現の追求

大阪で生まれ、デザイン系の高校でビジュアルデザインを専攻していたというチョークボーイ。彼は高校を卒業したのちに渡欧し、オーディオビジュアル表現について学んでいる。音楽家として活動していこうと考えていた彼はそこで何を学び、今の活動にどういった影響を与えているのだろうか。


「高校生のときから音楽と描くことの間のことがしたくて、オーディオビジュアルな表現を学べる大学がないかなっていろいろ探してたんです。当時は分野と分野の間みたいな学科が日本にはなくって・・・。

今思えば岐阜にあるIAMASっていう学校があったんだけど当時は知らなくて。真鍋大度とか、ライゾマティックスとかその辺の人たちが出てきている。だから海外の大学に行ったんです。

その大学のモットーがまさに『分野と分野の壁を飛び越えろ』みたいなことを謳っていたんですよね。それで面白そうだなって」


―音と描くことの間とは、具体的にどういうことなのか?

「いつも自分が音楽を作ろうとするとき、まず映像が喚起されるんです。それを音楽的に楽譜に落とし込もうとすると音階を書くことになるんですけど例えばホワイトノイズに変調がかかって、モジュレーションがかかって、ピンクノイズになって、そこに低音が加わってくるというような表現って楽譜に落とし込めないんです。

だからメモに言葉で残したり、変形していく図形を描いたりとかしていて。結局音楽を作るより先に、描くことから始めていたんですよね。

そのときの訓練があるから、今は違う感覚をイラストにしたり、グラフィックに落とし込んだりとか、逆にグラフィックから拾い上げて音の感覚をもったりとか、そういうオーディオビジュアルみたいなことがどんどん自分の内部で完結してできるようになっていきました」

「音楽面でもサウンドスケープを描くときも、即興性が自分の一番の強みだと思ってます。もちろんあらかじめイメージを決めてから作る音楽もあるんだけど、その場で感じたことをアウトプットしていくスタイルがすごい好きですね」


―イメージが瞬時に浮かぶ?

「浮かぶっていうよりは探しながら描きとめるっていう感じかな。例えばチョークボーイの仕事としては、描き残してくるっていうスタイルがすごく多いんです。

いつも事前にコンセプトを聞いてラフ画を描いて行くんだけど、現地に行ったらすごくいい光がさしてたりとか、例えば座ってる人がいて、その人の目線に入るか入らないかのギリギリに文字があったら面白いなとか、そういうのってパース上では絶対わからないんですよね。

そういうのを現場でキャッチしてアウトプットすることに即興性に近しいものを感じていて。チョークボーイとして出向く場所でそれをやってくれって求められてるわけじゃないけど、自分としてはそのときにいいと思ったものがいいはずだという考えはありますね」


自分は人生をかけた自分の実験台、モルモットBである

近頃はチョークグラフィックのワークショップを開催し、チョークグラフィックの楽しさや面白さを人に伝え、様々なイベントでライブペイントすることで『チョークで絵を描くこと』がひとつのアート表現であることを示し、また『EATBEAT!』を通して『目に見えないものを可視化』し『世界を別の角度から体感する』ということを発信するチョークボーイことヘンリーワーク。そんな彼がそれぞれの活動を通して人々に伝えたいこととは。


「実は僕『世の中をどうこうしたい』っていう想いが全然ないんですよ。自分の活動を通して訴えかけるメッセージみたいなのも特になくて。ただ『自分は人生をかけた自分の実験台である』と提唱してる人がいて、僕はそれがすごく好きなんです。

『私はモルモットBである』と言ったアメリカの学者がいて、Aはどうしたんだろうと思ったんだけど(笑) 、まさにそうだなと。自分は自分の人生をかけた実験の中で使われる実験台と考えると我が薄れるというか。

それがたとえば誰かのためであったり、何かのプロジェクトのためであったりという場合はあるけど、特に一貫したテーマがあるわけじゃないんです。強いて言えば全部実験してるって感じですね」


『流行れば終わる』終わりを意識することで見えてきた創作の行先

チョークボーイには9カ月になる子供がいる。そして最近はSister Chalkboyという名の弟子と共にチョークグラフィック活動を拡大している。チョークボーイとして、今は全てのパラメーターを『伝える』ことに振っているという彼。めまぐるしく変わっていく時代と環境のなかで、自らの立ち位置を見つめ直し、自己完結する人生で終わらせないためには何が必要なのかを語ってもらった。

「そもそもチョークボーイを始めたころから、どうして自分に仕事があるんだろうと思っていたんです。グラフィックデザイナーがちょっと練習すればすぐ描けるだろうくらいに思っていて。

この仕事は単純に需要があったんですよね。それはなぜかというと、5年前くらいにブルックリン辺りでこういうカルチャーが流行って、DIYという言葉と一緒に内装が輸入されてきたんです。ちょうどエースホテルができたころですかね。それでカッコいい系の建築の内装には黒板が取り入れられるようになったんです。

でも内装工事が終わってみたら、黒い壁だけががそこに残ってて『オープン来週なんだけど、なんとかなんない?』みたいな電話が沢山きたんです。最初はそういうことをしながら小銭を稼いでました。

それでどうして自分にこんなに仕事があるのかなと思ったときに、まず『流行り』があるからだと思ったんです。でも流行りがあるということは確実に終わりがありますよね。なんでもそうで、スパンの長い短いはあるにしろ、1回尖ったものっていうのは絶対下ってるんです。

だからチョークボーイをし始めた3年前に、この流行の終わりは3年後と仮定しました。『3年間でなんとかこの仕事を形にしたい』という一心で、猛烈なスピードで描く仕事をこなしていきました。

結果3年経った今もこの仕事を続けられているけど、急な上り坂を上がった流行りが、どうすればなだらかな流行りの曲線になるんだろうと考え続けたんです。そしたら結果的に『カルチャーとして認められれば残り得る』っていう考えに辿りつきました。


スケボーは今も流行ってるけど、それはカルチャーとして流行ったから今もリバイバルがあるわけで。たった1人の人間が有名になったものは、落ちたあと再熱することは無いんですよね。

ということは多くの人たちに同時多発的に楽しんでやってもらえないと『あの時代ああいうの流行ってたよね』とか『今見てもやっぱかっこいいね』みたいなカルチャーとして残らないだろうなと思ったんです。

そうなるためには描く人がもっと増えなきゃいけない。この人みたいになりたいっていう羨望のまなざしがアーティストには必要で、そういう素地を作らないとカルチャーとしては何も残らないんですよ。だからワークショップもするし本も描くし、様々なツールを通して活動を広めていきたい気持ちはありますね。

じゃあこの流行りの波が落ち着いてきたときにどうするのかって考えると、さっきの実験の話につながるけど、ダーウィンが進化論で『強いものが残ってきたのではなく、変化できるものが残っている』と言っているように、自分を常にアップデートしていけば結果的に残るんじゃないかなと。

この流行りが終わったころ別の新しいことを始めていれば、今まで培ったものは無にならずにうまく次にシフトしていけるかもしれないと思ってます」

絵描きとして、そして音楽家として

その多彩な才能とセンスで人々を魅了してやまないチョークボーイ。

「ヘラヘラしてるけど、意外とクソ真面目にやってるんですよ(笑)」と笑いながら、今後は音楽家としての活動をメインに据えていきたいと話す。周囲を和ませるラフな振る舞いとは裏腹に、彼の創る音楽は非常に繊細だ。多面的な表情を持つ彼は自分自身をどう解釈しているのかを、今後の展望と併せて聞いてみた。


「自分は結構いいセンサーとフィルターを持っていると思っています。センサーは何かを察知する能力、フィルターは入ってくるものをどう処理するかっていう能力。キャッチする能力もあるし、それを自分のフィルターを通して違う形にアウトプットするっていうフィルターもある。しかもそのフィルターがいい意味ですごく薄い。さっと入って来たものがさっと出て行くというか。

その二つを生かして、今後は音楽活動を広げていきたいと思っています。自分にしかできないオーディオビジュアル表現を探究してますね。ただ、僕の音楽ってどれだけ自分でかっこいいものができたと思っても流行らないっていう意識が常にあって。

音楽業界は今不安定で、音楽の価値がお金に換算しづらい時代じゃないですか。だからこそ、売買や利益目的を抜きにした音楽づくりがしたい。これまで自分がしてきたことを含めて、視覚と聴覚を使った表現の可能性を探っていきたいと思っています」

インタビューを終えて、実際にチョークを使って絵を描いてもらった。彼がチョークを握えい筆を走らせると、黒板がその手の動きを受け入れるかのようにスラスラとチョークが滑っていく。

小学生のころ、学校の授業で皆の前に立ち問題を解かなければいけなかったとき、字が上手く書けなくて耳を赤らめたことを思い出しながら、わたしは目の前であっという間に描かれていくグラフィックを食い入るように見つめていた。

するとその場に居合わせた他の客やスタッフがわらわらと集合し、皆がカメラを向け、まさに彼のいう『羨望のまなざし』でその姿を見つめていた。彼の持つフィルターから生み出されるものは、きっとこれからも人々の視線を惹きつけるに違いないと確信した瞬間だった。

photographer : 宇佐巴史

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