フォロワー数19万人「Name.」プレスSeima君が感じるSNSと本当の自分との距離

中学生くらいの頃、ファッション誌でみた東京の洋服のショップスタッフの着こなしを見て参考にしたり、場合によっては、複数の雑誌に載るスタッフをカリスマ視していたことはないだろうか。

今から10数年前の中学生の頃埼玉の片田舎で暮らしてた僕は、はじめて行った美容室に置いてあったヘアスタイル雑誌を見て、芸能人ほどかけ離れた存在ではないショップスタッフの着こなしやヘアスタイルに憧れたり、参考にしていた。

今も当時と変わらず、ファッション誌などでアパレルブランドのプレスやスタッフがお店のアイコンとなってメディアに露出している。変わったのは、いよいよ僕らの同年代がそういうアイコンを担い、10代に刺激を与える役割を果たしているということだ。そして、その発信の主戦上の1つにSNS・インターネット上も出てきたということくらいかもしれない。

今回、デザイナー清水則之の手掛けるファッションブランド『Name.』のプレスとして活動し、WEARで19万人以上フォロワーがいるというSEIMAくんに会って話を聞くことにした。いわゆるインフルエンサーと呼ばれる1人である。

今女性誌では『インスタグラマー(インスタグラムのフォロワー数の多い子)の日常』などといった特集が組まれているくらいだし、SNS上で影響力を持つことが1つのステータスになっている。だけど、個人的にはそういうもてはやし方にどこか“しゃらくせえ”という印象を抱いているのだが、渦中にいて影響力を与える人はどのような考えで情報発信を行っているか。

SEIMAくんが中目黒にある『FURTHER』での仕事を終えた午後8時すぎ。花見客で賑わう目黒川沿いを外れたカフェで話をしてくれた。1988年生まれの27歳。本当の意味でのデジタルネイティヴとは違う彼のSNSとの距離感や付き合い方を聞いてみることにした。

「SNS上の自分はブランドを宣伝するためのツールで、完全に虚像ですよ」と言い切るSEIMAくんの真意とは。

朝並んでスニーカーを買う体験をした最後の世代かもしれない

「もともとファッションを好きになったのは、小学生のときGLAYのJIROをみたことがきっかけですね。当時『うたばん』とか『HEY!HEY!HEY!』とかいろいろ歌番組があって、 彼だけなんか異質でかっこよく見えて。赤いチェックの服いいなみたいに思ったのが一番最初な気がします」

手はじめにファッション好きになったルーツの話をしているときに何のてらいもなく、JIROの名前があがってきて、場の空気が和んだ。

「それから本格的にファッション好きなったのは中学生のときに映画『Trainspotting』の主役のユアンマクレガー扮するレントンを見てっすね。ハミケツのチビTとかあのスタイルにもろに影響を受けて速攻丸坊主にしました。ちょうど当時、窪塚洋介も坊主でしたし、バスケ選手のジェイソン・ウィリアムズも坊主でしたし、それもあったと思うんですけど。とにかくファッションに目覚めたのはそのタイミングです。

そこから『HECTIC』っていうストリートブランドを好きになったりしました。自分が住んでた名古屋に路面店がなかったので、NIKEとのコラボシューズを買うためにわざわざ前の日に東京にいって朝早くから並ぶみたいな、そういうこともしていました。僕らってギリギリそういう体験をしてきた最後の世代だと思うので。今ならネットでポチっで済むので、リアルで買うことのワクワク感というかドキドキというのを10代のときの肌感で知っている最後の世代なんでその価値みたいなものはずっと変わらない」


SNSはあくまで宣伝ツール。それ以上でも以下でもない

「SNS上の自分はブランドを宣伝するためのツールで、完全に虚像ですよ」と言い切るSEIMAくん。

プレスとして利用しているSNSが、どうしても肌に合わない部分もあるという。

「ありがたいことに、19万人にも見てもらっているみたいなんですけど、正直もう個人的には何がどうなっているかよくわかっていないっすね(苦笑)。登録して半年くらいしたらあれよあれよという間に人が増えて。

もちろん宣伝の一環として、着方の提案をしているし、プレスなんでブランドのイメージを作る上でシュッとした雰囲気を出すんですけど、そういうSNS上の演出を本当だって思ってしまう若い世代の人たちも多いみたいで。

たまにわざわざお店まで会いに来てくれるとびっくりされてしまうこともあるんですよね。『デザイナーズマンションに住んでそう』とか『1人でバーとか行ってそう』とか虚像が一人歩きしている感じがある。

SNS上での自分を知って、興味を持ってくれてお店に会いに来てくれた10代の子達にがっかりさせてしまわないかな、という恐怖心は正直あります。だからこそ会ったときには演じないで、なるべく普段通りでいたいなと思いますね。女の子ならいいと思うんですけど、男はいくらSNSで着飾ったって、中身が伴ってなければまったく意味ないですよね。本質を見誤ってしまわないようにしないといけないなって思いますよね」

なぜ自分自身がそうしたSNSのフォロワー数やそれをもてはやす風潮に対して、“しゃらくせえ”と思ったかわかった気がした。つまり、それはあくまで表層・演出する自分自信の姿でしかないからで、いくらそこで格好いいことを言っても、実際にあったときにハリボテに思える人が少なからずいるからだ。

そして自分もSNSでたくさん『いいね!』を得るために行動しようとしたことが少なからずあって、そんな自分を見つけた時に辟易するからだ。

今の10代のようなデジタルネイティヴではないからこそ、プライベートにおいてSNSとの距離感の取り方について考えることがあるという。

「僕こないだ1人で考えていたんですけど、『映画が好き・マンガが好き』って思うけど、実は選ぶのが好きなんじゃないかなって思うんですよね。

映画とかも今Hulu使えば一発で観れるじゃないですか。でも僕それは嫌なんですよ。たぶんビデオ屋さんで背表紙とか見て、選ぶのが好きなんですよ。

マンガも今タブレットで読めるじゃないですか。でも漫喫行って何読もっかなって選ぶ時間がが好きだなぁって。服屋さんでもこれが欲しいから行くっていうよりは、適当に行って『なんかねえかなぁ』ってやるのが好き。わざわざお店まで観に行って。『何もなかったな』っていうのもまたよしみたいな(笑)」


SNSの評価は本質ではない。そこを見誤りたくない

いくらでもネットで比較・手に入る時代だからこそ、お店に来てしか味わえない感覚もある。そのことを知っている世代だからこそ、あまりにSNSに特化した流れと距離を取りたくもなるときもあるのだろう。しかも少なくない影響を与えている立場に身を置いている人間だからなおさら。

「かといって、自分自身がSNSを辞めることもできないというか、無理して距離を置くのは、それはそれで時代に遅れているのかもしれないって思いますよね。

東京のファッション系の男友達とあっても実際SNSの話はほとんどしないし。ときどき意地悪な気持ちで、SNSに一生懸命な奴をおちょくったりしますけどね。女の子が可愛い自分を演出するために使ってたり、『これが私の仕事』みたいに割り切っているのは悪いことではないけど、その自分と本当の自分を混同していたりとかすると、ちょっと恥ずかしいですよね。少なくともそういう子を彼女にしたくはないかな(笑)。

結局僕もSNS世代の一人なんで否定はしないし、うまいこと利用していくんだと思いますよ。大事なのは本当に面白い人、僕が格好いいと思っている人たちは、そこにはいないというか。もっと本質的に魅力的な人と一緒にいて学びたいなって思いますね」

結論は出なかった。それでも最前線でプレスの仕事をしている同い年の声を聞いて、なぜか少し安心してしまった。

取材はこの辺で切り上げて、残り15分くらい中学生の頃見た好きな映画や女優の話でひとしきり盛り上がった。本当に仲間と“シェアできる”楽しい話はネットに転がっていないところにあることをSEIMA君は知っていた。

photographer : 宇佐 巴史 / Tomofumi Usa

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