『MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事』で感じた、三宅一生の服への絶えない情熱

私が三宅一生氏の服と出会ったのは、約1年前。なにげなく入ったヴィンテージショップがきっかけだった。店内に並ぶ春物の洋服に触れながら歩いていると、気がつけば何度も触っていた服に目を奪われる。手に取るとうっすらと自分の肌が透けて見え、折りを重ねたプリーツを撫でると闘魚の尾のように揺れている。他のブランドでは見ない繊細なデザインに特別を感じ、衝動的に購入してしまった。

その日から『ISSEY MIYAKE』を愛用することになる。

購入してしばらくは、ただキレイと思うだけだった。しかし、あまりに着心地がよかったので調べてみると、それは「プリーツ」という三宅一生の代表的なシリーズらしかった。失礼な話かもしれかないけど、この繊細な服を生み出したのが、白髪まじりのおじさんだということ以外、この記事を執筆する機会が無ければ何も知らなかったのだ。

だから今回、ライターのお仕事として『MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事』にお邪魔することが決まって、三宅一生の仕事を通して服に宿す精神性を少しだけでも理解できたことをとても嬉しく思っている。

展示は大きく分けて3つのセクションで構成されている。

最初に出迎えてくれたのは吉岡徳仁さんが空間デザインを手がけたSection A。三宅さんがデザイン事務所を立ち上げたばかりの1970年代初期の作品が並んでいた。

展示室に入るといきなりジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンと目が合う。 「タトゥ」という最初期の作品で、遊び心に溢れている。近年のコレクションしか見たことがないので、面喰らってしまった。

「水着とキャップストール」という作品は、味わい深い黒に思わず触れたくなるほど美しい。中国の高級シルクに、染料としてソメモノイモという芋を使用しており、現代では失われつつある製法に驚いた。  

次に「黒い生きもの」では、旭化成が開発したピューロンという素材を使用しており、とても着心地が良さそう。これを身にまとったら肌がどんなに喜ぶだろうかと想像してみた。ここでもやはり触れてみたくなる衝動に駆られる。

歩を進めていくと、ひときわ鮮やかな赤が目を引き、異彩を放っていた「パラダイス・ロスト」(失楽園)に出会う。

アーティストの横尾忠則さんがデザインしたプリントをイタリアのコモで抜染した作品で、「一枚の布」の代表作だそう。あまりに美しくて、目に焼き付けようと躍起になったおかげで、今でもあの赤は鮮明に記憶に残っている。  


続いてSection B。空間デザインは同じく吉岡さんによるもの。1980年の秋冬コレクションの「プラスチック・ボディ」が悠然と並んでいる。 プラスチック、籐、ワイヤーなど、布以外の素材で服づくりに挑戦した「ボディワークス」だ。マネキンたちは自分にぴったり似合う服が与えられ、少し嬉しそう。まるで生命を宿しているかのようで、いまにも動き出しそうだ。身体の動きと流れるようなフォルムの探求が、さまざまな「ボディ」シリーズを通して感じることができる。


そして今回の展示の目玉ともいうべき情報量の多さだったのが、佐藤卓さんが空間デザインを手がけた、Section C。

大きな展示エリアには「プリーツ」「A-POC」「素材」「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」「132 5. ISSEY MIYAKE」及び「陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKE」という三宅さんの革新的な服づくりを、 5つのテーマに分けて展示している。

なんといっても、展示数の多さに圧倒され思わず立ちすくんだ。三宅さんのこれまでで最大規模の展覧会だというから無理もない。今まで以上に気を引き締めて作品群と向き合わなければ、三宅さんに失礼な気がしたので息を整えて、背筋を伸ばした。

最初に目に入ったのが、しわしわにねじられた1枚のシャツ。


干涸びた大根が何個か並んで干されているようで少しシュールに思えた。映像では4人で一枚の布をねじる行程が流れ「一枚の布」という思考の原点を垣間見ることができる。もちろん、ねじり、ひらかれたシャツは、そのまま身につけたいくらいキレイだった。

「プリーツ・アイランド」と題されたエリアでは、イッセイミヤケの服と出会うきっかけになった「プリーツ」が、多種多様な姿で紹介されている。冒頭に話した通りプリーツに惹かれていた私は、思わず胸が高鳴った。

「葉っぱプリーツ」という作品は、アンリ・ルソーの「夢」という絵画から着想を得ている。実際、作品たちは鳥や葉っぱをモチーフにしていて、どれも個性的でおもしろい。 「シカーダ・プリーズ」のシカーダというのはセミのことらしく、いまにも羽を鳴らし自由に飛んでいく姿が目に浮かぶくらい幻想的だった。

「リズムプリーツ」という作品に目をやると、広大な大地で風を受けて歩く女性たちの映像が流れていた。アイスランドの大地で、写真家の高木由利子さんが手がけたものだそう。身体に合わせて揺れるプリーツが自然に溶け込み、すべての大地と空気が調和している。肝心の作品がないと思ったら、平らな台にそってフラットに置かれていた。それがあまりにも静かで寂しげに感じたが、身体にまとうことで服に与えられる命をまざまざと感じたりもした。

次に、来場者が皆、頭上を見上げていたエリアが「A-POC」。 天井から床へと、絶つことなく繋がれた布の先には「KING & QUEEN」がいる。赤い布に身を包み、名に劣らない存在感を放っている。

「A-POC」が‘一枚の布(A Piece Of Cloth)’に由来していることから、展示での見せ方にもこだわりを感じる。藤原大さんと共同開発した本シリーズは、1998年に発表された。筒状の布を着用者の好きな切り取り線で裁断し、自分でデザインするという、古くからの織機と最先端テクノロジーが生み出した画期的なもの。 


繊細な一本の糸が解けることなく、切られるのを待っているなんて信じられない。服を着用する側の人間も、三宅イズムである「ものづくり」をする人間にしてしまうのだ。

ここまで今回の展示シリーズを見てきて、知恵熱が出るかと思うくらい消化しなくてはいけない情報量の多さを感じた。

三宅さんの「ものづくり」に対するエネルギーがとてつもないものだと知り、飲み込まれそうになっていた。 すると、遠くの方でとても心地の良い音楽が聴こえてきた。

三宅一生のものづくりをテーマにした、映像と音楽によるインスタレーション作品が設置されていたのだ。映像を中村勇吾/tha.ltd.音楽をCorneliusが制作した「Making Things」だ。2人の日本を代表するクリエイターが作り上げる世界は、三宅一生の仕事の手法やエッセンスをシンプルな歌詞と映像表現に落とし込んでいて、ここまで丁寧に作品をみてきたからこそ、メッセージが五感に染み入ってくる。私はただそこに立ち尽くして、映し出される表現に身を任せていた。

見るべきものがたくさんあった展示も残すところ、映像のみ。

スクリーンで上映されるのは5つの短編映像。そのなかでも私の印象に強く残っているのが「ウォーターフォール・ボディー」をつくる三宅さんの姿。その姿は、私の知っている白髪まじりのおじさんではなく黒々した髪の、若かりし頃の三宅さんだった。

真剣な眼差しの先には、特殊加工をされみずみずしくなった一枚の布がある。布は気持ち良さそうにトルソーに寝そべり、三宅さんの手により綺麗に形作られていく。完成された作品は、人魚のために作られたみたいだった。そうだ。私はこの作品に見覚えがあった。

——それはSection Bで、生命が宿り動き出しそうだと思った作品だった。

三宅さんの「一枚の布」を探求する魂が、作品にも伝わっているのかもしれない。会場を後にする頃には、もうすっかり三宅さんのファンがまた1人誕生していた。

どっぷりと展示の世界に身を投じていたお陰で、国立新美術館の光壁でさえ「プリーツ」に見えるし、階段すらもドレスのドレープのように思える。

乃木坂駅へ向かう道中にみた風に揺れる木々の葉っぱも、空を飛ぶ鳥をみても、先ほど見た服を思い出して特別になる。自然の中にあるすべてのものが「ISSEY MIYAKE』の服に繋がっているのを感じる。大袈裟かもしれないけど、地球上に自然がある限り、三宅さんの服は滅びないのだとすら思った。 帰路につく道すがら、家に帰ったらプリーツを着ようと決めた。服に袖を通すとき、あのマネキンのように少しだけ嬉しい気持ちになると予感していたから。

photographer : 松井 春樹 / Haruki Matsui

会期:

2016年3月16日(水)~6月13日(月)

毎週火曜日休館 ただし、5月3日(火・祝)は開館

開館時間:

10:00~18:00 金曜日は20:00まで

入場は閉館の30分前まで





 

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