日本独自の文化として、その存在価値を残す床屋が今熱い。昭和時代、男たるもの床屋に通うべきという風潮があったなか、時代の変化とともに時の流行は美容室という業態へと推移していった。男性と女性での美容への意識の差がなくなっていく一方で、床屋業界は少しずつ衰退の一途をたどっていった。
しかしここ最近、その床屋やバーバーカルチャーに新たな動きが生まれつつある。その要因としては、バーバーカルチャーの本場であるニューヨーク発祥のショップ「FREEMANS SPORTING CLUB(フリーマンズ スポーティング クラブ)」の日本上陸による影響が大きいだろう。
そしてその名店を経て、昨年自身のお店である「BARBER SAKOTA(バーバーサコタ)」をオープンさせた店主、迫田将輝。彼が営むお店は、今注目を浴びるシーンの台風の目となりつつある。 バーバーカルチャーが進もうとする新たな時代の核心に迫ると同時に、その担い手でもある彼が、多くの人たちから愛される理由を探った。
30歳までには独立したいと思っていた
京王線と世田谷線がそれぞれ乗り入れ、接続駅としての役割も果たす下高井戸駅。
古くから学生の街としても知られ、近隣にはいくつかの大学もあることから、その学生たちを中心に活気付くエリアでもある。駅の周辺には、老舗や地域密着型のスタイルで街に根付くお店が立ち並ぶ商店街がさまざまな方角へと広がる。
その商店街のひとつの通り沿いに昨年オープンした床屋「BARBER SAKOTA」。店主は、開店当時28歳と、床屋のオーナーにしては随分と若いイメージだ。また美容室であれば、その主戦場となる表参道や青山をイメージするが、彼が拠点として選んだのは世田谷のローカルタウン、下高井戸。
まずは、意外でもあるこのエリアを出店場所として選んだ理由、さらにはお店をオープンさせた経緯から訊いてみた。
「専門学校を卒業してから、すぐに西東京の床屋や地元に近い床屋さんを渡り歩きながら働いていました。この頃はまだ美容室が全盛の時代で、なかなか理想的なお店で働くことが難しかったんですよね。それからしばらくして1000円カットのお店で働きながら、メッセンジャーをやったり、カフェで働いたりと掛け持ちでの生活が始まったんです。おそらくこの時が一番働いていましたね。
1年くらい経った頃に、青山に「FREEMANS SPORTING CLUB」が新しくできるらしいと友人から話を聞いたんです。それで興味を持って、その会社に話を聞きに行ったら、歩合制でやっていくという話を聞いて、なんだか今の環境とはまた違った刺激がありそうだと思って、入社したんです。それが2013年の7月で、お店がオープンして3ヶ月後でした。それから独立まで3年くらい勤めていたんですが、当時はやはり理容師の免許を持っている人も少なく、かつFREEMANS SPORTING CLUBのようにファッションやライフスタイルに精通している人がそんなに多くはなかったんです。働く人もなかなか定着しないなかで、運良く働いてすぐにいろいろな経験をさせてもらえる環境に恵まれたんですよ。
ただ、もともと30歳までには独立したいと思っていたので、自分が28歳になったときに『もうそろそろだな』という少しの焦りも感じて、独立を意識するようになったんです」
専門学校を卒業してからしばらくは、自身の理想的な働き方を模索しながら、ぼんやりと不透明な未来予想図を描いていたという迫田さん。大きな転機となったFREEMANS SPORTING CLUBへの転職を経て、独立への意識は一気に加速する。
スローな時間が流れているような
場所が良かった
「独立しようと思ってからは、貯金をしつつ、まずは物件探しから始めました。そのときは右も左も分からなかったので、いろんな業態の先輩たちに話を聞きに行ったんです。そのなかのひとりに池ノ上でセレクトショップをやっている「MIN-NANO」のGOROさんという方がいたんです。
GOROさんにはいろいろ親身になって話を聞いてもらっていたんですが、そのタイミングで池ノ上に良い物件が出てきたんです。そこに決めようとも思ったんですが、話が進んでいくなかで破談になってしまい、物件探しも白紙に戻ってしまったんです。
またイチから探していくことになったのですが、床屋という業態的にも、自分のワークスタイル的にも、池ノ上のようにゆるく自然体のまま働ける場所を探そうと思ったんです。人がたくさん集まる街というよりは、スローな時間が流れているような場所。
そこで運良く見つけたのが、下高井戸。それまで下高井戸という街自体あまり知らなかったのですが、近隣におもしろそうなお店も多くて、なんだかうまくやっていけそうだなって思ったんですよね」
当初は視野に入れていなかったエリアである下高井戸を、自身のお店のスタート地点として選んだ迫田さん。それは、彼が思う理想的なお店の在り方を追求した結果、出会った場所でもあった。老舗店も多く、地域密着型を強みとする競合店も多い下高井戸だけに、当初は心配する声も少なくなかったという。
しかし、いざお店がオープンすれば、そんな声も一蹴。開店前から予約が殺到し、オープンして間もなく予約の取れない人気店になっていった。その理由のひとつに挙げられるのは、やはり若くしてバーバーショップをオープンさせたというニュース性。さらには迫田さん自身、生粋のスケーターでもあり、前職の兼ね合いもあってスケーターやファッション関係者などからの厚い支持があったことも無視できない。
「FREEMANS SPORTING CLUBの存在が認知されてから、急速に床屋への需要が拡大した感じがあって、少しずつ各地にあった床屋にもスポットが当てられるようになったんですよね。僕よりも若くしてお店を出す人もいたし、美容室としての形態ながら、バーバーカルチャーのテイストを取り入れたお店も増え始めてきていました。
そんななかでお店を出せたのもタイミングが良かったですし、それまでに関係のあった友人や先輩などに恵まれて、その繋がりからいろんな人に知ってもらえるようになったんです」
それまでは美容への意識が高く、ファッションに敏感な若い人が足を運ぶのは、サロンと呼ばれるトレンドの最先端を行く美容室が主流。そんななか、一部のマイノリティな嗜好を持つ人々が目を向けたのが、床屋の存在だった。
いうならばその流れはかつての床屋文化のリバイバルでもあった。そこから徐々にバーバーカルチャーはマッチョなマインドを持つ男たちを中心に広まっていき、いつしか感度の高いメンズの行くべき整髪店の代表となったのだ。そうしたお店の多くは、そのほとんどが常連客で埋まり、男であれば共感できるであろう行きつけのお店として流行っていくようになる。まさに「BARBER SAKOTA」が人気店となった所以もそこにある。
みんなが「居心地の良い場所」と
思ってもらえる場所にしたかった
「このお店を作るときにまず大切にしたかったのは、気軽に立ち寄れるお店にすること。近所のおじいちゃんから学生さん、小さいお子さんまで。ほかにも、スケーターだったり、いつも仲良くしている友人たちだったり、みんなが居心地の良い場所と思ってもらえる場所にしたかったんです。だからこそ今もこれからも、きっとひとりでお店を切り盛りしていくと思いますね。やっぱりマンツーマンで接客できることで、お客さんも安心するし。世間話を楽しみにして来てくれる人もいるので。正直ひとりでやっていくのはけっこうしんどいんですけどね(笑)」
そう笑う迫田さんには、床屋をするうえで決して譲ることのできない信念のようなものさえ感じられた。大型の店舗であればスタッフもお客さんの数も多く、それなりに賑やかな空間にもある。当然それを好む人もいれば、少し抵抗を感じる人もいる。
迫田さんが目指した床屋のあるべき姿は、だれもが気軽に立ち寄れて、気兼ねなく寛げる癒しの空間だった。そんな迫田さんの確かな想いと柔らかい人間性が、多くの人に愛される理由なのかもしれない。
最後にそんな迫田さんに、美容ではなく理容の道を選んだ理由を尋ねてみた。
「理容の専門学校に進んだのは、大学以外の選択肢として、友人に誘われて専門学校に行ったことがきっかけだったんです。その学校が、美容と理容それぞれの学科がある学校で、そのとき見た美容科の雰囲気に少し違和感を感じたんですよね。
そこで、僕は美容師じゃないなって直感的に思ったんです。だったら理容科に進もうと思って。後押しになったのが、そのとき出会った理容科の先生に『おじいちゃんになっても続けれらるよ』って言われた、その一言。
今になって思うと、あの時の判断が分岐点だったのかもしれませんね」
Photography : 峠雄三/ Yuzo Touge
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