東京スケートカルチャーの新たなアイコン、HellrazorのTSUMIくんとそのお店

YUHO NOMURA

Freelance Editor in Tokyo.
Born in 1987.

端正な顔立ちに、8頭身のスタイル。さらには生粋のスケーターであり、巷で話題となっているブランドのディレクターも務め、最近では三軒茶屋に待望のスケートショップをオープンさせた。ストリートのシーンにおいて言えば、まるで非の打ち所がないようにも感じるパーソナリティ。そんな彼の名は渥美智晴。彼を知る者は皆、TSUMIくんと呼ぶ。

絶対的なアイコン不在とも揶揄される現在のストリートシーンにおいて、彼の存在がいかにして影響を与えていくのか。次世代のキーマンとして確かな素質を持った、TSUMIくんが手掛けるお店を訪ねた。


昔からセレクトショップを

やるのが夢だった


三軒茶屋と下北沢を結ぶ昔ながらのお店が色濃く残る商店街、茶沢通り。隠れメニューであるカレーが人気なお肉屋さんや、老舗感満載の骨董品屋、さらにお客さん次第では昼まで営業しているというディープなバーまで個性様々なお店が連なる。週末には一定区間で歩行者天国が実施され、平日とはまた異なった賑わいを見せる。

そんな通り沿いに昨年末の12月、新たにオープンした一軒のショップ。それこそが、今回ご紹介するTSUMIくんが手掛けるお店の「WAVEY STORE(ウェイビー ストア)」だ。外観はよくある鉄筋のビルのような印象で、うっかりしていると通りすぎてしまうほど目に留まりにくい。お店の大きさは6畳ほどの小さな空間。その決して広いとは言えないスペースに、自身がディレクターを務めるブランド「Hellrazor(ヘルレイザー)」を中心に、国内外の感度の高いスケートブランドのアパレルや小物、スケートデッキ、ギアなどが所狭しと並ぶ。そんな話題のお店をオープンさせた経緯から話を訊いた。


「昔からセレクトショップをやるのが夢だったんですよね。だからずっとアパレル業界にいたんです。それでずっといつか自分のお店をやりたいんだよねって周りには話していたんですけど、いいかげん現状を変えられていない状況にも嫌になっちゃって、だったらもうやっちゃおう、って思ってお店を始めたんです。

だから特に時期とかも考えていなかったですし、きっかけがあったわけでもないんですよね。あとは自分たちがやってるブランドのHellrazorが調子良くなってきていたというのもありますね」

失礼かもしれないが、Hellrazorがアパレルショップでのディレクターの経験を持ち、きちんとしたモノづくりの背景を持った上でスタートさせたブランドだったのは意外でもあった。なぜならスケートカルチャーでは、基本的にはDIYの精神が深く根付いているからこそ、ファッションとしての背景を合わせ持つことは稀であったから。もちろんカルチャーとしての側面を持っているブランドであることは、これまでのブランドが公開しているフッテージでTSUMI君を始めとするクルーのスケーターたちがストリートのスポットを夜な夜なヒットしている姿を見ていたので知ってはいた。さらにブランドの中核を担う相方のデザイナー、TOYAは現在NYに在住しながら、ここ日本でもその名を知られるLOOK STUDIO(ルックスタジオ)やQUARTERSNACKS(クォータースナックス)、さらにはAlltimers(オールタイマーズ)などにも所属しており、その才能は折り紙つき。彼なくして、現在のHellrazorはないと言っても過言ではない。

「もともとは地元の後輩でもあったんですけど、TOYAと初めて出会ったのは僕がLAに行っていたとき。彼はLAの大学に通っていて、卒業してからすぐに小さなブランドのアシスタントデザイナーをしていたんです。その後エリック・エルムズのアシスタント経て、フリーで活動していたんです。それからさまざまなクリエイターや企業と仕事をしていきながら、今はLQQK STUDIOでプリントも学んでいるんです。彼が持っているデザイナーとしての武器は多いと思いますよ。2013年にブランドを一緒にスタートさせたんですけど、始めはブランド名も違ったんですよね。最初は“GOON なんとか DOG”って名前だったと思います(笑)。育ちが横浜だったのもあって、その頃はまだ俺らも西海岸的なノリがあったんですよね」


そんなふたりにとってさらなる武器が、海外とも積極的に交流できるボーダーレスな感性だった。LAやNY、はたまたヨーロッパなどのアーティストとも親睦を深める彼らは、昨年海外のスケーターを招聘し、アートエキシビジョンも行った。そのスケーターというのが、今もっとも勢いのあるスケートカンパニーのPALACE(パレス)初のアメリカ人ライダーとして知られるショーン・パワーズ。

スケートスキル同様に彼の抜きん出たアートの才能をいち早くキャッチし、ブランドの生誕3周年のアニバーサリーも合わせて、「LAMENT OF iNNOCENCE」と題したアートショーを渋谷の松濤に構えるギャラリー、SO Galleryにて開催したのだ。当初の予想をはるかに超える大盛況で、その後の反響も大きかったという。その後もショーン・パワーズとは、彼の東京でのフッテージの撮影や、共作したアイテムのリリースなど親交は続いている。そうした繋がりからもこれからの時代のキーワードともなるボーダーレスな価値観は育まれていったのかもしれない。


海外もフラットな目線で

見られるようになった


「僕の兄貴がずっとLAに住んでいた影響もあって、大学時代はほとんどLAに遊びに行っていましたね。それからTOYAが拠点をNYに移したこともあって、なんとなくバイブスも東海岸寄りになっていったんです。今となっては、もう知り合いもほとんどNYにしかいないんじゃないかってくらいですね(笑)。はじめは海外のスケーターとかアーティストってすごいなってだれもが思うんですけど、そうした繋がりが濃くなっていって仲良くなっていくことで、フラットな目線で見られるようになったんですよね。“意外と同じじゃん”みたいな。それからもっと自分たちの視野や価値観を広げていきたいなって思うようになりましたね。同時に前回のショーン・パワーズのアートショーのような取り組みも積極的にやっていきたいですね」


ブランドとしての基盤となる土台作りが固まり、海外ともフレキシブルにコミットしていく〈Hellrazor〉。ブランドとしての立ち位置はあくまでもファッションのブランド。しかしそのブランドが表現する世界観や、ブランドに携わる人間たちのマインドにはやはりスケートカルチャーの存在があった。


「ブランドとしては、今台湾とかには卸しているんですが、もっとたくさんの国で展開していきたいですね。やっぱりいつかはNYに置きたいっていう気持ちはあるんですけど、やっぱりローカル同士の派閥もあったりして、なかなか難しい部分もあるんですよね。

あとはサポートの面でもスケーターに対してはもちろんそうですけど、ビートメイカーなどの音楽系のアーティストやグラフィックデザイナーなど、自分たちが面白いと思える人たちをサポートしながら心から楽しめる取り組みをしていけたら良いですね。

ブランドをやりながらショップも切り盛りするってなるとどうしても言い訳で忙しいって言葉が付きまとって、確かに映像は最近ちゃんと撮れていなかったりするんですけど、スケートは変わらずにしていますよ。ここだと世田谷公園とかが比較的近いので、朝お店を開ける前とかにパークに滑りに行っています。でもまた仕事も落ち着いたら、昔のように仲間とがっつりスケボーしたいですね。できるだけ早く普段の生活を取り戻したいんです。ツアーにも回りたいし、定期的に作品も撮っていきたいと思っているので」

Hellrazorと共に作り上げた、ショーン・パワーズによる東京でのパート映像「ROUGH CRIMINAL」



WAVEY STORE

東京都世田谷区太子堂5-1-13

03-5787-8159

営業時間:12:00〜21:00

Photography : 志賀俊祐 / Shunsuke Shiga


0コメント

  • 1000 / 1000