ストリートに精通する鮨職人が手掛けるフィッシュバーガー専門店「deli fu cious」

歳を重ねてからというもの、いわゆるジャンクフードを食べる機会は減った。ヘルシーな和食ばかり食べてしまう私の生活から「ハンバーガー」は、ほぼ姿を消したに等しい。しかし去年の年末、鮨職人がプロデュースするフィッシュバーガー専門店「deli fu cious(デリファシャス)」が中目黒にオープンしたと聞き、興味をそそられ足を運んだ。

野菜がふんだんに使われたフィッシュバーガーは、しっかりと味がついているのにあっさりとしていて、ぺろりとたいらげてしまった。鮨職人はなぜ鮨屋として独立するのではなく、フィッシュバーガー専門店をオープンしたのだろうか。その理由に迫った。

銀座鮨屋修行からLAへ渡米
日本で鮨屋をやらなかった理由


今回取材に応じて下さったのは工藤慎也さん。予約の取れない店として有名な銀座の鮨屋『青空(ハルタカ)』にて修行を積んだ彼こそが、フィッシュバーガーの考案者だ。


工藤慎也(以下SK) 20歳の頃から銀座の飲食店で修行をはじめました。独立する夢はずっと持っていたのですが、どうしても日本で鮨屋をやろうという気になれなかった。『青空(ハルタカ)』をあがったあと、ひとまずアメリカにわたり、LAの鮨屋で働いていました。というのも昔からLAのカルチャーがすごく好きで、海外で開業したいと考えていたんです。でもLAで出店するとなると5千万円くらいかかるんですよ。資金繰りも含め問題が多々あって、開業できず帰国しました。

海外出店の夢を絶たれ帰国したところに、相方ともいえる仲の友達から飲食店開業の誘いがきたという。


SK 彼は中目黒で炉端焼き屋を経営していたので料理ができるんですよね。それで僕もずっと鮨屋にいたので魚は触れる自信があって。僕らが力を合わせたら絶対においしいものが作れると思ったんです。そこから何をするか話し合いました。彼とは昔からの知り合いなのですが、お互いフィッシュバーガーが好きだったんです。それでフィッシュバーガーショップをやったら面白いんじゃないかという話になりました。

ー構想から実現するまでの期間はどれくらいだったんですか?


SK 実質半年以内くらいですかね。夏の暑い日にみんなで物件探しからはじめました。今オリジナルメンバーが僕を含め4人いるんですが、全員と顔を合わせたのが去年の7月頃に沖縄で開催していた『CORONA SUNSETS FESTIVAL』なんです。そこで友達から今のオーナーを紹介してもらいました。この店の宣材写真を撮ってくれている新田桂一さんもオフィシャルのフォトグラファーとして入っていたようで、そこで知り合ったんです。以来よく遊ばせてもらうようになって、ヴィジュアル撮影もお願いすることになりました。

デリファシャスにまつわる宣材写真をかの新田桂一氏が撮影していることも、私がこのお店を取材したいと思ったきっかけのひとつだった。端々から見え隠れするカルチャー界隈とのつながりに、ショップの背景となるストーリーが気になったのだ。その話には後ほど触れるとして、もう少しお店ができるまでの成り立ちにお付き合いいただきたい。


SK この物件、もともとは『しのぶ』っていう小料理屋だったんですよね。たまたまこの辺りを歩いていたときに、お店の窓に『47年間ありがとうございました』という張り紙を見つけたんです。『もしかしてここ空くんじゃないの!?』と思い中を覗き込んだら、当時の店主がカウンターに座ってクロスワードパズルをやっていて(笑)。それでお店に入ったんですけど、どれだけ話を聞けども家賃もなにも教えてくれなかったんです。そこからいろいろ調べて大家さんを探し出したんですが、そのとき既に4社くらいから申し込みがあって。でも大家さんに直談判してなんとか勝ち取ることができました。

フィッシュバーガーの味の要
タルタルソースは“あえて”不使用


メニューには『西京焼きの最強バーガー』や『活け〆煮穴子の天ぷらドッグ』など、ユニークなものばかり並んでいる。使われている魚は市場から直接仕入れ、丸2日かけて昆布〆しているという。日によってはメニューのほとんどがその日のうちに完売してしまうほど人気を集めるフィッシュバーガー。開店に至るまでの過程にはどんなドラマがあったのだろうか。


SK 店内の施工を開始してからキッチンが使えるようになるまでに結構時間がかかってしまい、結局現場で試作をはじめられたのは11月末くらいでした。とにかく時間がなかったので、お店に缶詰め状態でメニューを考案しましたね。寝袋を持ち込んで床で寝てました。真冬なのにコンクリートの上で(笑)。

SK レセプションパーティが12月21日で、それまでに形にして撮影も終わらせなきゃいけなかったのでとにかくバタバタでした。根詰めて試作を繰り返しても、やっぱり簡単にできるはずなんてなくて。煮詰まった先に行き着いたのが、タルタルソースを捨てることだったんです。フィッシュバーガーと言えばタルタルソースじゃないですか。それを『俺らはワンステップ上の段階まできたんだ』とか言いながら、タルタルを、マヨネーズを捨てたんです(笑)。そこから新しいものが生まれはじめて、今のメニューが完成しました。

そして味のほかにもうひとつ、デリファシャスが人気を集める理由がある。それは商品のヴィジュアルの良さだ。バーガーからドリンク、お皿に至るまで、そのどれもが思わず写真を撮りたくなるものばかり。ヴィジュアルへのこだわりについて聞くと「フォトジェニックなバーガーを提案したいんです」と返ってきた。


SK 今の時代、SNSの影響力は図りしれない。たった1枚の写真を何百万人もの人が見る。それほどの宣伝ってほかにないと思うんです。今後海外にお店を出したいのもあって、『写真映えしてSNSにアップしたくなるもの』という部分はかなり意識しました。


―ショップの内装イメージが「銭湯」ということですが、海外への憧れが強いなか、なぜあえて日本の文化を取り入れられたんですか?


SK 海外のお客さんを呼び込みたかったというのはありますね。今のグルメバーガーってアメリカンテイストなショップばかりじゃないですか。東京にあるのに。そういうお店を見ると『かぶれてんじゃねぇよ』って正直思います。だから僕らは『和の雰囲気でいきたいよね』って話していたんです。鮨屋だし。そのためにいろんな銭湯に足を運んで、タイル1枚1枚までこだわって選びました。

海外進出の夢を叶えるために
必要不可欠な仲間の存在


細部に対するこだわりが、人気に火を付けた要因であることは間違いない。しかしその根底には、人間同士のつながりを重んじる工藤さんらの義理堅さがある。それこそがお店を支える理由にほかならないのかもしれない。


ー新田さんもお知り合いであったように、カルチャーを通してつながった人たちがお店に深く関係しているんでしょうか。


SK みなさん先輩なんですよね。新田くんも昔から僕の相方の先輩だったんです。お店のユニフォームを作ってくれた『sunny c sider』というブランドをしている人も、ロゴのデザイナーさんも先輩で。今までずっとお世話になってきたので、お金とかじゃなく形にして返したいという思いがあって。それが僕にとってはお店を出すことでした。だからこの店は僕らが築き上げてきたことの集大成みたいなものなんです。


ーたくさんの方の思いが詰まった場所なんですね。


SK そうですね。この仲間じゃなかったら僕もやってなかったと思います。誰ひとり欠けることなく、このメンバーじゃないとできなかった。

ーお店に立たれているみなさんの姿を見ていても、今こうして話を聞いていても、どんな状況も楽しまれているように感じます。


SK そうですね。飲食店とかって仲間でやるとダメになるってよく言うじゃないですか。これまでそういう経験もしてきたのでわかるんですけど。でも僕はそれをネガティヴだとは思わない。失敗でもなんでもなく経験です。仲間とやるからこそ言いたいことも言えるし、僕は逆にそっちのほうがいい。腹割ってなんでも喋れる仲間なので、僕らはそのほうが楽なんですよね。先輩だから言えないとか、怒りやすいから言えないとかじゃなく、なんでも言えるので。銀座で働いてるときも素晴らしい経験をさせてもらいましたし、いろんなものを食べさせてもらいました。だけど、今のほうが自分には合ってるし楽しいですね。


取材も終盤に差し掛かり、最後に「どれだけお店が大きくなっても失いたくないものはありますか?」と聞いてみた。すると「仲間ですね」と間髪を入れずに返答がきた。そしてお店に対する思いもちらつかせる。


SK 4人ではじめたので、いつまでもみんなとうまい酒が飲んでいたいです。いつか海外のいろんな国に出店して、みんなそれぞれの場所で活躍してほしい。LAや香港、オーストラリア。そしてときどき、ハワイに集合してワイワイやりたいですね。そうやって自分たちの好きなことをやり続けられることほどの幸せってきっとないですよ。


必要以上に構えることなく、そして仲間との友情を大切に、いつまでも店舗づくりに熱中していたいと考える彼の言葉は力強かった。

Photographer:山野 一真 / Kazuma Yamano

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