①メガ・ヒットが復活した2016年を象徴する19歳ポップ・シンガー、ヘイリー・スタインフェルド

2016年はポップ・ミュージックにとって本当に久しぶりの世界的なビッグ・イヤーだった。文字通りの「傑作」がいくつも産み落とされた年。もしかすると、ここ日本に暮らしていると、そんな実感は希薄かもしれない。だとすれば、もし良かったら、以下のリンク記事を参考にして欲しい。

2016年 年間ベスト・アルバム 75

 

だが、2016年がポップ音楽にとって久方ぶりのビッグ・イヤーだった理由は、「多くの傑作アルバムが生まれたから」だけではない。もうひとつの重要な側面は、世界はすっかりフラグメント化してしまったと言われ続けるこの時代にあって、誰もが知っている「ヒット・ソング」が息を吹き返したことにある。少なくとも欧米圏では。代表的なメガ・ヒット・ソングをいくつか貼っておくことにしよう。


The Chainsmokers / Closer ft. Halsey

Major Lazer / Cold Water (feat. Justin Bieber & MØ)

Rae Sremmurd / Black Beatles ft. Gucci Mane

そうなった原因はとてもシンプル。spotifyやアップル・ミュージックといったストリーミング・サーヴィスが一般化したこと。つまり、音楽がとても身近なものになった。国内外のFMステーションが利権や収益性にがんじがらめになり、ポップ・ソングの「発見の場所」でなくなった代わりに、多くの人々がストリーミング・サーヴィスを通して、多種多様な音楽に簡単に接する機会が増えたのだ。

これが再び「ヒット・ソング」が生まれることになった一番の理由。だが、もうひとつ理由がある。全米ビルボード・チャートの集計がそうしたストリーミング・サーヴィスでの視聴を集計方法に加えたことで、「ヒット・ソング」の存在が可視化されるようになったこと。

今この日本でオリコンのチャートをチェックして「何が流行っているか?」を掴むことはかなり難しい。それに対し、毎週刻一刻と推移する「ビルボード・トップ100ソングス」を眺めるのは本当に楽しい体験だ。しかも、自分のスマートフォンでそうしたチャートの推移をチェックしながら、その瞬間にその曲が聴けてしまうのだから。

そして、その視聴がそのまま新たなヒット・ソングの誕生に繋がっていく。これはかなりダイナミックな状況だと言っていい。そうした時代の代表格がドレイク。彼の楽曲は、2016年だけで47億回もストリーミングされた。


Drake / One Dance feat. Kyla & Wizkid

勿論、こうした状況には負の側面もある。誰もがチャート上位に位置するヒット・ソングをチェックすることで、一度ヒットした曲はずっと聴かれ続け、そのチャンスに恵まれなかった曲と大きく差が開いてしまうということ。ここにも格差があるわけだが、少なくともこの2016年においては、すべてが功を奏したと言うべきだろう。

そこで、そんな「ポップ音楽新時代」の新たなる大波に乗って、今年2016年もっとも成功を収めた19歳のポップ・シンガー、ヘイリー・スタインフェルドを紹介したい。

彼女のキャリアは14歳から始まる。始めは女優として、コーエン兄弟2010年の映画『トゥルー・グリッド』から。初出演作品でいきなり アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされる。


『トゥルー・グリット』予告編

その直後、2011年にはプラダの2ndラインでもあるmiu miuの2012年秋冬コレックションの顔として抜擢される。写真を撮ったのは、80年代カルバン・クラインの男性モデルによるヌード写真を筆頭に、ヴェルサーチ、ラルフ・ローレン、ディオール・オム、ヘルムート・ラングの広告写真でもお馴染み、ファッション広告の常識を変えたと言われる巨匠、ブルース・ウェーバーだ。

MIU MIU FW ’12 – HAILEE STEINFELD BY BRUCE WEBER


そんなシンデレラ・ガールがいくつもの映画出演を経て、映画『ピッチ・パーフェクト2』出演を契機に、長年夢見てきたポップ・シンガーとしての活動を決心する。


『ピッチ・パーフェクト2』予告編


ここ日本では、さえないアカペラ・グループに属する女の子たちの友情の物語を描いたコメディ映画という扱いの『ピッチ・パーフェクト2』だが、実は欧米で拡がる「シスターフッド」というコンセプトを描いた作品でもある。

テイラー・スウィフトと本稿の主人公ヘイリー・スタインフェルドの関係を知る上でも、以下のリンク記事を参考にされたし。

特集:「女性アイコン相関図2015」part.1 BFFって何? フレンドシップの女王蜂、テイラー・スウィフトと「ずっ友軍団」


そんな経緯を経て、ヘイリー・スタインフェルドがポップ・シンガーとして活動を開始したのが、今年2016年のこと。「19歳の女の子がマスターベーションについて歌った?!」と一部では物議も醸したデビュー・シングル“ラヴ・マイセルフ”は全米ビルボード・チャート最高位30位を記録。


Hailee Steinfeld / Love Myself


その後、ファンからの彼女の呼び名をタイトルに冠したEP『ヘイズ』のリリースを挟んで、3rdシングル“スターヴィング”が全米ビルボード・チャート最高位12位を記録。この結果は、2016年もっとも成功した新人ポップ・シンガーと呼んでもいいだろう。


Hailee Steinfeld, Grey / Starving ft. Zedd


また欧米ではこの11月に公開されたばかりの初の主演映画『ジ・エッジ・オブ・セヴンティーン』は受賞こそ逃したものの、放送映画批評家協会(BFCA)主催の第22回クリティックチョイス・アワードで多部門でノミネート。つまり、このヘイリー・スタインフェルドこそが映画、ドラマ、ポップ音楽のすべてがクロスオーヴァーしながら、それぞれが未曾有の活況を呈する2016年のポップ・シーンの活況を象徴する存在。

そこで〈SILLY〉では、彼女の存在がどんな風に今のポップ・シーンの活況を象徴しているかについて、それを3つのテーマに分けて、短期集中連載としてお届けすることにしたい。まずは「全米ヒット・チャートが完全復活した2016年。そんな活況を象徴する19歳のシンガー、ヘイリー・スタインフェルド」から。この記事から、欧米に暮らす10代のリアリティを感じてもらえれば、幸いだ。

ーあなたは確かこれまでも何度か、ご両親と一緒にイーグルスのライヴに行ったことがあるんだよね。かなり小さい子供の頃から。

「イーグルスを聴いて育ったの。彼らの曲を聴くと、必ず家族旅行の思い出が蘇るの。子供の頃からずっと聴いてたから。一番最近だとロサンゼルスのフォーラムで観たはず。確か1年か1年半前に見に行ったかしら」


ー子供時代はイーグルスだけじゃなく、いろんな音楽が鳴っている家庭に育った?

「ええ、そうよ。母親のある引き出しにとにかく色んな音楽のCDがしまってあったの。今でも覚えてる。母親はCDを綺麗に整頓して入れてあるから、私と兄は勝手に引き出しを開けていじっちゃいけなかったの。でも私はいつもその引き出しに行って、CDのジャケットを眺めていたわ。アーティストが誰かも知らなかったし、どんな音楽なのかも知らなかった。私は部屋に大きなブームボックス(ラジオ付きCDプレーヤー)を持ってたから、ある時その中から1枚とって、かけてみたの。たまたまそれがAC/DCだったの」


ーその時の感想は?

「私はまだ9歳か10歳だったから、『ひえ~、ちょっとこれは無理』って思った(笑)。でも、その後からすごく好きになったの。あの引き出しがあったからこそ、時代を超える名作と言われる音楽に対する理解が深まったと思う。で、すごく面白いと思うのが、今は、昔と比べて、サウンドも大幅に変わったし、音楽を作るのだって、コンピュータが一台があれば作ることだって出来る。それは凄いことだと思うの。目を見張るものがある。でも、同時に、色褪せることのない名作を聞きながら育ったという背景があるのもすごくよかったと思う」


ーご両親と一緒じゃなくて、あなたがお兄さんと最初に行ったライヴがドレイクなんだよね?

「そう!そうなの。〈Cali Christmasツアー〉でね。ロサンゼルスで見に行ったの。とにかくいろんなアーティストが出演してた。リル・ウェイン、ウィズ・カリファ、ニッキ・ミナージュも出てて、『もうなんだか凄すぎてわけわかんない! ママ、パパ、どこにいるの?』って思ったライヴだった。とにかく最高だった。ドレイクは大好きよ。兄と一緒に行ったのも楽しかった。二人とも大ファンだから」


あなたがドレイクの音楽に猛烈にコネクトした一番の理由は?

「彼の音楽はこれまでもすごく変わったと思うんだけど、『彼がどれだけ多くのすごくいい曲を世に出したか?』って考えただけであり得ないって思わない? 新作の『ヴューズ』も本当に大好き。もうあのアルバムばかりを聴いてた。で、最近になって昔のspotifyのプレイリストを引っ張り出してきたら、そこには昔のドレイクの曲がたくさん入ってて」


ー確か『テイク・ケア』の頃から、ドレイクのファンなんですよね?

「だって、とにかく曲がものすごくいいから。あと、本人とも会う機会があったんだけど、ものすごくいい人で、彼は自分がやっていることを心から楽しんで、好きでやっているというのが伝わってくる。そういう部分を知ると、その人もその人の音楽も全部ますます好きになっちゃう」


ーあなたはマイケル・ジャクソンやボーイズIIメンみたいな声をアートとして使う人たちに惹かれてこの道に進んだと思うんだけど、今、シンガーとしての一番のロール・モデルというと?

「マライア・キャリーもそう。今でも彼らは私にとって永遠のロール・モデル。今だとリアーナ、ドレイク、エド・シーラン、ショーン・メンデス……いくらでもあげられる。その人ならではのサウンドを持っている人たち。聞いてすぐにその人だってわかる人たち。ゼッドも大好きよ。そういうアーティストを尊敬してる」


ーあなた自身がリアルタイムのインディ・ロックやアート・ロックにコネクトした時代っていうのはあるの?

「特にないかも」


ー(笑)テイラー・スウィフトの2012年のアルバム『レッド』が出た時くらいから、完全にポップの時代になったんだよね。あのアルバムに入っている“We Are Never Ever Getting Back Together”には、「あなたはコソコソ隠れて/私のレコードよりもずっとクールなインディ・ロックのレコードを聴いて/気持ちを落ち着けるの」っていう象徴的なラインがあるんだけど。


Taylor Swift / We Are Never Ever Getting Back Together

ーあなたが16歳の頃かな?

「そうね。でも、私自身、本当に幅広い音楽を聴くし、あらゆるジャンルのあらゆるアーティストの音楽を聞いてきたつもりなの。そして、この1年半は、本格的に自分の音楽を作るようになったの。自分はポップ・ミュージック・シーンの真っ只中にいるんだと思う」


ー最初のEP『ヘイズ』では、スウェーデンの二人組プロデューサー・チーム、Matman and robinと主に仕事をしたわけだけど、彼らと、ゼッドにしろ、それ以降に一緒に仕事をしたプロデューサーというのは、それぞれ仕事のスタイルが違ってたりする?

「ええ、全然違う。Matman and robinは最高よ。最初にプロデュースしてくれた人たちで、何ヶ月も一緒に過ごしたわ。二人からは多くを学んだ。二人ともいつだって曲をどうしたら最高のものにできるかを突き詰めている。曲のアイディアを出している時も、ずっと二人でスウェーデン語でずっと話し合っていて、誰も彼らが何を話しているのかさっぱりわからないんだけど(笑)。でも、一人がアイディアを出して、もう一人がそれをさらに良いものにしようと彼らが話しているというのは伝わってくる。そうやって自分たちに可能な限り最高の曲を作り上げていくの」


ー“スターヴィング”を一緒に作ったゼッドの場合は?

「彼は完全なる完璧主義者。彼との仕事もすっごく楽しいの。私とノリがすごく似ていて。最初は友達同士みたいにスタジオでハング・アウトしてる感じなんだけど、そこからスイッチが入って、『さあ、仕事に取り掛かるぞ』というモードに切り替えるの。真剣に取り組む面と楽しみながらやるバランスが完璧なの」


ーシンガーとしてそろそろ自分自身の声を持つ段階に来ていると思うんだけど、それについて一番サポートしてくれたプロデューサーというと?

「うわあ、どうかしら(笑)。たくさんの素晴らしいプロデューサーと仕事をしてきたんだけど、自分にとっては新しいことだらけなの。セッションを重ねる度に新しい発見がある。前まで気付いてなかった自分の可能性を知ることが出来たり。プロデューサーに指摘されたり、プロデューサーに背中を押されて、自分では絶対に出来ないと思ってたことがやれたり。だから、これまで仕事したすべてのプロデューサーから何かを学ぶことができたと思ってる」


じゃあ、最後に、来年前半にリリースされるあなたのデビュー・アルバムについて。その両側に並べるとぴったりハマるようなアルバムを2枚挙げてもらえますか?

「うわあ、どうしよう。大変(笑)。全然見当もつかない。えぇー、無理よ。どうしよう……。っていうか、自分の好きなアーティストを挙げればいいの?」


ーそう。その二枚に囲まれているとフィットする作品ってこと。

「うわぁ、マジで? う~ん、どうしよう。多分……ジャスティン・ティンバーレイクと……」


ーなるほど。

「あと、音楽的に果たして私のアルバムとフィットするかはわからないけど、ブルーノ・マーズのことを考えてたんだけど。二人とも、R&Bのサウンドを取り入れたポップだってところが大好きなの。それに二人ともすごく才能があるから。だから、ブルーノの次の新譜が出てたらそれを絶対に選ぶと思うけど」


ーでも?

「今だったら、彼の最新作の『アンオーソドックス・ジュークボックス』。それとジャスティンは『20/20エクスペリエンス』よ。でも、そんなの無理じゃない? 新人アーティストの棚から始めて、彼らみたいな高みを目指していくなんて!」


<続く>

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