Wandering Tokyo:タクシードライバーがすすめる店

「大衆の意見が気になる奴は、“ココ”に自信がないんだろうね」


編集者Aはこめかみあたりを指で突きながら僕に言った。


「だいたい会社の会議とかでもそうじゃん。一般的な意見って聞けば聞くほど、結局はありきたりなアイデアになるだけ。そういう会議って、どうやっていいアイデアを出すかは二の次で、実はみんなが反対しない“安全地帯”の探り合いだったりするからね」


彼は紙カップの中のコーヒーを怪訝そうな顔で飲みほした。「というか、サードウェーブコーヒーってこんなに酸っぱいの?」

僕は曖昧に返事をして、話の続きを待った。


「で、話は戻るけど、そうした会議にも1つだけ大きなメリットがあるわけよ。それは、そのアイデアが失敗しても誰もケガしないってこと。だってみんなで出し合ったアイデアだから、責任は誰にもないってことになる。よくできてるよね、このシステム」


Aは自分に言い聞かせるようにひと通り話し終えると、店を出る準備を始めた。

「さあ、外でタクシーを捕まえようぜ」

この日、僕と編集者Aは東京都現代美術館での取材を終えたあと、清住白河にある「ブルーボトルコーヒー」で一息ついていた。なぜこんな話になったかというと、僕たちの隣にいたカップルがスマホの口コミサイト「食○ログ」を見ながら、どの店で食事をするかを話し合っていたからだ。


そもそも僕はその手の口コミサイトを信用していない。というか、広告業界や出版業界で働くものなら、メディア露出と広告費が比例していることぐらい容易に想像がつく。「投稿者の口コミだけで評価されている」という意見もあるだろうが、はっきり言えばそれもグレーに近い。それに、僕にとっては口コミが操作されていようがいまいが、正直どちらでもいいと思っていた。もし仮に読者からの投稿だけで成り立っていたとしても、大衆の意見と自分の意見が合うとはこれっぽっちも思っていない。


「そんなサイトを見るぐらいなら、タクシー運転手におすすめの店を聞いた方がまだマシだ」

何気なくいった僕の一言にAが反応した。


「それ、おもしろそうじゃん。いまからタクシーに乗って取材しようよ」


* * *


僕たちはブルーボトルを出たあと、大通りまで歩き、1台の個人タクシーを止めて乗り込んだ。

「どちらまで行きます?」とタクシー運転手。

「この辺でおいしいお店、知りません?」

「はあ?」

「ちょっとした取材なんですが、タクシードライバーってグルメなイメージがあるので、もしかしたら、おいしいお店とか知ってるかなと思いまして。その店まで僕たちを乗せていって欲しいんです」

「はあ……」

「どこか知ってます? おいしい店」

「いや、まったく知らん」


タクシーを運転していたのは、60代半ばぐらいの男性だった。はじめは教えたくないだけかと思い、誠意を持って趣旨を説明してみたが、結局のところ本当に「まったく知らん人」だということがわかった。

運転手は車を出発させることができず、僕たちもそのまま降りるわけにもいかず、とりあえず隣駅の「門前仲町」まで行ってもらうことにした。

タクシードライバーはグルメな人が多い──。

いつからか僕の中にそういうイメージがあったわけだが(もちろんAの中にも)、本物のタクシー運転手に話を聞いてみると、実情はグルメというよりも、むしろ毎日家からお弁当を持参する倹約家のほうが多いという。


「というかね、時代もあるんですよ。最近は駐禁の取り締まりも厳しいでしょ。そうすると、昔みたいに店の前に車を停めてゆっくりと食事なんてこともできないわけ。だから、みんなお弁当を持ってくるか、コンビニ弁当とかでパパッと済ます人がほとんどだよね」


往生際の悪い僕は「そんなこと言っても、1軒ぐらいは知ってるでしょ?」と話しかけるも、運転手は前を見たまま「本当に知らんのですわ」と繰り返すばかりだった。


* * *


「知ってるよ。おいしい店」


僕たちがその言葉を聞き出したのは、門前仲町の駅前に停まっていた2台のタクシーへ突撃取材を試みるもあえなく失敗し、あてもなく駅周辺をぶらぶらと彷徨っているときだった。

教えてくれたのは、偶然通りかかった廃ビルの駐車場にいた休憩中のタクシー運転手だ。


「そこ、おいしいですか?」

「ああ、うまいね。毎日でも食べたいぐらい」

そういって教えてくれたのは、門前仲町から歩いて5分もしないところにあるとんかつ屋『家庭(いえてい)』だ。運転手はランチを食べによく行くそうだが、とにかく“安くて旨い”とタクシー仲間の間で人気だという。

アツアツのとんかつをつまみに生ビールを流し込む。想像しただけで喉がなった。

しかし、店の前に到着したとき、この日の僕は運に見放されていることを確信した。

営業時間はすでに過ぎていたが、扉は固く閉ざされていた。定休日でもない。何度か店に電話をかけてみたが、スマホからは虚しいコール音が鳴り響くだけだった。

諦めきれない僕とAは、店の前で15分ほど待つことにした。「あれ、ずっと待ってた? いやぁ、悪いことしちゃったなぁ」なんていいながら店主がひょっこり現れるという淡い期待を抱いてみたりしたが、世の中がそんなに甘くないことも知っていた。店探しはとっくの昔に振り出しに戻っていたのだ。


* * *


流しのタクシーを停車させ、おすすめの店まで連れて行ってもらう。それは宝くじを買うような感覚にも似ている。当たればおいしい食事にありつけるが、外せば無駄金を使うだけだ。

僕たちはもう一度大通りでタクシーを停めた。ここまで来たからには、どうしてもタクシードライバーが勧める店に入りたかった。

そんな2人の切なる願いが通じたのか、僕たちが乗り込んだタクシー運転手は「おすすめ? あるよ」と、これまでの苦労が嘘かのようにいとも簡単に店まで案内してくれた。車を走らせること5分。今度は間違いなく営業中の店だった。

僕たちはタクシー運転手にお礼を告げると、彼は「へへ」と意味深な笑顔を残したまま、あっという間に夜の街へと消えていった。

僕たちが降りた場所は、永代通りを1本入ったところ。昭和13年から続くという老舗の定食屋『南光軒』の前だった。2代目にあたる60歳ぐらいの主人とその妻、そして息子の3人で店を切り盛りしていた。

店の外観も内装も、昭和の佇まいをそのまま残した町の定食屋。肉体労働者や食べ盛りの高校生がここを訪れ、豪快にどんぶり飯をかきこむ姿は容易に想像できた。

しかし、この日は6時過ぎという時間帯にも関わらず客は誰ひとりいなかった。店内には異様な静けさがあり、気がつくと僕たちの会話はひそひそ声になっていた。

天井の角には液晶テレビが2台並んでいた。1台には通常のテレビ番組、もう1台には店の前の道路が映し出されていた。なぜテレビが2台も並んでいるのか……。


「ああ、あれは駐禁が来てもすぐにわかるように監視カメラを設置したんです。トラック運転手とかタクシーの人とか、そういう人たちのために」


僕たちのひそひそ声が聞こえたのか、出前から帰ってきたばかりの3代目はそう教えてくれた。


「やっぱり、この辺は駐禁の取り締まりが厳しいんですか?」

「そうですね。2、3年前ぐらいからは特に厳しくなりましたね。昔はタクシー運転手もたくさん来てたんだけど、いまはけっこう減っちゃいましたね」

僕はチャーシュー麺、Aはここの名物だというシュウマイ丼定食を注文した。

食事が出来るまでの間、僕たちはテレビをじっと見ていた。そこには僕が知らないお笑い芸人が出演し、スタジオの観客は腹を抱えながら大笑いしていた。その楽しそうな画面の横には、監視カメラで撮影された薄暗い道路の様子がずっと映し出されていた。暗く不気味で、いまにも覆面をした男が白いハイエースで登場しそうな映像だった。

僕は2つの画面を同時に見ていた。正確には画面を見ていたというより、まるで違う惑星の映像を宇宙船から監視しているような感覚に浸っていた。

僕はちらりと厨房に目をやった。店内と厨房を仕切る細い窓から中の様子が少しだけ見えた。そこから主人の動く影を確認することはできたが、なぜか料理をしているようには見えなかった。その感覚を後押しするように、厨房からは物音ひとつ聞こえてこなかった。

僕は主人の動きを目で追っていたかったが、視線を再びテレビ画面に戻すことにした。この店では、そうやって待つことが正しい振る舞いのように感じた。


* * *


「ちょっとだけここで飲んでいこうぜ」

定食屋からの帰り道、門前仲町駅の入口付近でAはいった。


「ここって……どこ? まさか路上じゃないだろうな」

「まあ、ほとんど路上だけど」


そう言ってAが指さしたのは、商店街の通りで営業していた屋台居酒屋だ。

誤解のないように述べておくが、先ほど食べた「南光軒」の定食には2人とも大いに満足していた。

味が良かっただけでなく、苦労して見つけたという付加価値と、タクシードライバーに聞くという目的を達成できた安堵感もあり、2人とも「また食べに来よう」ということで意見は一致した。

しかし、さすがに町の定食屋(しかも、恐ろしく静かな定食屋)では酒をゆっくり飲む雰囲気になれなかった。だから、Aが露店を指さした時、僕がその誘いを断る理由はどこにもなかった。

あたりはすっかり暗くなってしまい、商店街の店はほとんど閉店していたが、この屋台だけはこれからが本番とばかりに大勢の客で賑わっていた。路上の座席はすでに常連客で埋まっていたが、僕とAは角の立ち飲みスペースに運良くすべり込むことができた。

門前仲町という町は、駅から徒歩数分の距離に「富岡八幡宮」と「深川不動尊」がある。

毎月1・15・28日には「月次祭」というものが行われ、その日は多くの露店が参道までの道を賑わせている。この日はたまたまその祭日ということもあり、普段は参道の奥で営業をしているこの店も、月3回だけは場所を永代通り沿いに移して営業していた。


「この屋台はネットで調べても出てこないからね」


常連客がそう話すように、この店には看板もなければ、特定の所在地も存在しない。店についてわかっていることといえば、いつもは参道側に店があり、月次祭のときだけ駅前に場所を移すこと。そして、安くて旨い焼き鳥が食べられるということだ。

僕たちは終電近くまで酒を酌み交わし、常連客たちからは門前仲町周辺のおいしい店を5軒ほど教えてもらった。彼らの話を聞いていると、彼らが思ういい店の基準は、安く、旨く、そしてチェーン店ではない昔ながらの店が多いということだ。

そしてこれは後から知ったことなのだが、それらの店は某口コミサイトでは軒並み低評価だった。それはきっと偶然ではないような気がしたけど、同時にそのままでいいような気もした。何もかもが有名になる必要はどこにもない。

ひとまず、僕とAは再び門前仲町に戻ってくることを誓い、もう一度屋台に集う人たちと乾杯することにした。


photographer : D.O.B

1コメント

  • 1000 / 1000

  • hado2211

    2017.12.16 14:09

    駐車場事情はありますね。たどり着いて良かった。お疲れ様でした。