「毎日がつまらない」写真家・佐藤麻優子の半歩ズレたユーモア

eisaku sacai

💣 1993 editor/writer @sacaieisaku 💣


パッと見、地味な印象の写真。それだけなら、興味をそそられなかった。

しかし、よく見てみると、なんだかじわじわと笑えてくるのだ。夜も深まってきたころ、つまらないのに笑えてくる、変なツボに入ったあの感じにも似たオフビートな笑いの正体は、一体何なんだろう?

1993年生まれの佐藤麻優子は、2016年に若手写真家の登竜門とも言える「1_WALL」にてグランプリを受賞。華々しいデビューを飾った写真家だ。しかし、彼女は「毎日がつまらない」と語る。

有りあまるほどの時間を過ごす若者ならば、誰しもが感じる間延びした日々への退屈と焦り。そんな状況を打破するために、彼女が取った選択は、大げさではない、ささやかなユーモアを日常に滑りこませて写真を撮ることだった。

つまらない毎日へと静かに反抗する彼女の写真について話を聞いてみた。


佐藤麻優子 Mayuko Sato

1993年3月7日 生まれ。桑沢デザイン研究所 中退。第14回 写真「1_WALL 」グランプリ。作品には「遊ぶ. disney」、「ただただ」、「まだ若い身体です」など。


ディズニーランドがつまらない


—写真をはじめたきっかけは、20歳のときに突然ディズニーランドが楽しくなくなったからなんですよね?

「そうなんです。だから別の方法で楽しもうと思って、そのときから意識的に写真を撮りはじめたんです。毎年同じ女の子とクリスマスシーズンに行ってて、カップルだらけの状況を楽しいと感じていました。たとえばケンカしてるカップルを追いかけたり、アトラクションの列でカップルの会話を盗み聞きしたりして遊んでました」


—嫌な人たちですね(笑)。

「僻みもあると思いますけど。19歳を迎えたあたりで、夜になってくると普通に寂しくなってきて(笑)。次の年も朝から集合したのに、完全にテンションが低かった。『全然行きたくないね』って。それから、『つまんないから写真撮ろう』と言いはじめて、ディズニーランドで楽しそうに過ごす人たちに囲まれながら、つまんなそうな顔で写るっていう写真を撮りはじめました。それがすごく楽しくて」

—このクルーの人、めっちゃ笑顔ですよ。

「『一緒に写真撮ってください!』ってテンション高く話しかけて、撮る瞬間だけ無表情にして撮ったんです。『撮り直しましょうか?』って言われるんだけど、『大丈夫です』って(笑)。失礼なことなんですけどね」


—全部真顔なのはなぜ?

「ディズニーランドを楽しんでる自分が嫌だっていう気分にもなってきたんです。生まれつき反抗心があるのか、楽しい場にいると『馴染みたくない』と感じてしまうときがあるんです。だから、つまんなそうな顔で抵抗してみようって。思い返せば高校のときも『みんな仲良し、みんな最高!』という感じのクラスで馴染めない部分がありました。女の子たちの『ポッキーの日だから、みんなでポッキー食べよっ!』みたいな空気がキツ過ぎて。私がただめんどくさい人間なだけなんですけど……」


—20歳を迎えた途端につまらなくなった理由って何だったんですか?

「『こんなところでなにしてるんだろう』と思ったんです。あのときは、学校にはちゃんと行ってなかったし、会社に就職してからもギリギリ通ってるようなレベルでした。その頃から漠然とした人生への焦りを強く感じるようになって、遊んでる時間が無駄にしか思えなかった。『こんなことしてる場合じゃないぞ』と」


—そのときは何か焦るような状況だったんですか?

「漠然とした焦りは幼稚園の頃からあったんです。卒園のとき、なぜか将来の夢の欄に『演歌歌手』と書いたんです」


—演歌歌手。

「でも、周りの状況を考えてみると、自分の親もそうだし、ましてや友達の親にも演歌歌手なんていないことに気づいて。そんな状況にビビるというか、『怖い!』と思ったんです。このままだと、いずれ自分も子どもの頃の夢なんて忘れて死んじゃうなって(笑)。それから、このままではまずいという思いがどこかにありつつも、そのくせ何もしない矛盾した状態が続いていて、ただただ焦りを感じてました。毎年遊びにいくディズニーランドではそういう焦りを忘れられたのに、歳を重ねるごとにだんだんと忘れられなくなっていったんです」


—漠然とした焦りはずっと前からあったと。なぜ写真を撮るという方法に行き着いたんですか?

「なにかを作ってるという事実が『やるべきことをやってる』という気分に繋がる気がして。そのとき、たまたま『写ルンです』をすぐに買えたから、写真を撮ることにしました」


ただただ過ぎていく毎日への小さな反抗


—『1_WALL』でグランプリを受賞した「ただただ」について聞かせてください。事前に作品のテーマをキーワードでいただきましたが、「人生に対する希望、焦り、不安、無気力感、罪悪感、孤独さ、置いてけぼり、取り残され感」と、全体的にネガティブな言葉が続いてますよね。制作した当時はどんな状況だったんですか?

「当時は、周りの人がどんどん活躍の場を広げていくのを横目で見ながら、ただ会社に通う日々でした。それに、専門学校時代の経験もテーマと関係してます。あの頃が、自分のなかでは一番ダメな時期だったかもしれない。

午前中にパソコンを立ち上げてセーラームーンの着せ替えフラッシュゲームをはじめるんです。お昼から授業がはじまるのに、それ以降も家の中でダラダラ過ごして……。そういう状態が長期間続いて、単位が足りずに学校を除籍になりました。一応、卒業制作をやろうということになったのですが、搬入時間間近で寝ちゃって。起きたら、搬入の初日が終わってた……。高校までは優等生だったはずなのに、人としてほんとにダメな時期だったな。

そんななか、こうやってダメな人のまま年取って死ぬのはなんとか避けたいという気分になってきて、ちゃんとしようと思ったとき、『1_WALL』を知ったんです。それから、応募するために作品を作ろうと『ただただ』を撮りはじめました」


—「ただただ」のステートメントにも焦りが滲み出てる感じがします。こういうネガティブな感情って佐藤さんの作品全体に一貫してありますよね。


取り残されて、毎日を繰り返している。つまらない。
どうしたらいいのかわからない。


「自分自身に正直になってやった結果が、このステートメントと写真なんです。そもそもわたしは写真が上手くないし、大げさにコンセプトを作って写真を撮るのは違和感があったから、自分自身のリアルな実感でしか写真を撮れないと思ったんです。まともに戦うのはムリだった。自分のカメラも持ってなかったし(笑)」


—持ってなかったんですか(笑)。撮影の場をディズニーランドから日常に移したのは、どういう狙いがあったんですか?

「将来どうしようと迷いながらも、毎日は過ぎていってしまうという感覚を撮りたいと思っていました。なので、自然とモデルの子が生活しているあたりの馴染みのある場所で撮ろうということになりましたね」

じわじわと笑えてくる
写真の裏に潜む緻密なユーモア


—正直に言うと、「ただただ」の写真をパッと見て、地味だなと思ってしまったんです。それだけだったら、そのまま通り過ぎてたんですが……。ずっと見てると、なんかじわじわと笑えてくるんです。地味さのなかにどうしようもないユーモアを同時に感じて。このユーモアの正体って何なんだろうと気になりました。

「自分が写真を撮るときに、かっこいい写真とかかわいい写真に仕上げるのは恥ずかしいと思うから地味になるのかも。自分が感じたリアルなことをコンセプトにしているのに、写真として綺麗に伝えるのはちょっと嘘っぽいなって。でも、人に見てもらおうと思って作品を作るから、ストレートに自分の内面を晒すのもちょっと違う気がして。

矛盾してるかもしれないけど、自分のリアルな実感をそのまま伝えるのはイヤだし、かと言って嘘っぽくなりたくもないんです。実は、『ただただ』では、偶然出会ったものを撮ってるように見えるかもしれないけど、事前に絵コンテを描いて、場所や服装、表情まで指定して撮影してるんです」


—日記的につまんない毎日を記録してるのかと思ってました……。記録じゃないとなると、ガラッと写真の見方が変わってきますが、そもそもなんで嘘っぽいのがイヤなんですか?

「なんか嘘っぽく見えちゃうのってダサいと思うんです。全然関係ないけど、ラップの歌詞でも『そこまで日本って危険なのかな? 』って大げさに感じるときがあって(笑)。本当に大変なのかもしれないけど、美談になってる部分はあるなって思う。自分の場合は、そんなに大した悲しみじゃないから大げさにしたくないし、悲しみに浸ってほしいというより、バカにしてくれるくらいがちょうど良くて」


—なるほど。

「森高千里の『非実力派宣言』って曲があるんだけど、リアルを歌うという部分ではそこらへんのラッパーよりもラッパーらしい歌詞なんですよね。『音痴だけど我慢して聴いて』みたいな内容で、完全に開き直ってるのがかっこいいんですよね。本当のところは分からないけど、嘘がないように思えるから」

—自分自身のことに関しては、どこか冷めてる感覚があるんですね。写真を撮るときに、嘘っぽく見えないよう意識していることはあるんですか?

「中途半端なポーズや表情を撮るようにしてます」


—寝転がってる写真とかですか?

「あ、それは違う(笑)。なんか寝転ぶのが好きなんですよね。また関係ない話なんだけど、友達の家で眠れなくなったことがあって。一人で外に出てお酒を買った後、コインパーキングに座って飲んでたんです」


—一人で、ですか。

「原宿に友達の家があって、終電後に原宿を歩くのははじめてだったから、あの後、キャットストリートまで行ってみたんですよ。そしたら、どこもお店は閉まってるし、誰もいないんですよね。なんか楽しくなってきちゃって、地面に寝転がったり、側転したりした(笑)」


—キャットストリートで?

「だれもいなかったから(笑)。どうにかしてつまんない日常に反抗しようとすると、普段しないようなことをするしかなくなってしまうんですよね」


—それってやってることの根本は、ディズニーランドと同じように見えます。なんとかしてつまらない日常を楽しもうとする行為が、写真を撮る行為と重なってくるんですか?

「そうかも。普段入らないような建物と建物の隙間に入ったりするとかもそうですね。旅行するお金もないし、すぐに仕事を辞めるわけにもいかないから、日常に対してできる限りの抵抗をしようとしてる。ギリ非日常の体験ですね」


ー話を聞いていて思ったのですが、そういう非日常の状況を、写真のなかではあくまでも『リアルなもの』として肯定しようとするから、一見すると地味な写真になるのかなと思いました。嘘っぽくしたくないというのも同じことですよね。

「そうかもしれない。2ちゃんねるの『異世界スレ』って知ってますか? わたしはそれが大好きなんだけど、そこに書かれてるのは、急にお腹が痛くなってコンビニに入った途端、看板とか値段の文字が知らない言葉になっていて、会話も通じなくなっちゃったみたいな話なんです。そういう話が実際に体験した事実として書かれているのが面白くて。写真でそういう異世界に近づこうとしている部分はあるかもしれないです」


—現実にあるかもってくらいのレベルで語られるのが面白いですね。

「そうそう。あと、だれも気づかないくらいのものなんですけど……現実とは少しだけ離れてるような違和感を写真でも出したいと思って、実は後処理をたくさんしています。ドアノブとか、床の汚れとか、伝えたい感覚と関係ないものはPhotoshopで消しちゃってます」


—絵コンテから後処理まで、実際はかなり作り込んでるんですね。

「やっぱり自分の実感したことを写真にするためには、ありのままを写すだけではちょっと弱いと思う。むしろ、後処理で少しだけ違和感を入れ込んだ方が、自然な光景に見えてくるんです。もしかしたら、現実から少し離れた非日常を表現することが、自分にとっては嘘のない写真を撮るということになるのかもしれないです」


—そういう写真と現実の間に生まれる微妙な差が、なんとも言えないユーモアを醸し出しているような気がします。ちなみに、次はどんな写真を撮ろうと思ってるんですか?

「『1_WALL』の審査会で、『ただただ』でモデルをしてもらった子しかうまく撮れないんじゃないかという心配をされたので、今はモデルを変えて撮影をしています。高校の帰りによく寄っていた巨大なリサイクルショップで撮ってるんだけど、ここがすごくて。呪われてそうな古い木箱とかが置いてあったりするんです。誰が買うんだってものばかりで。なんかお店の外の世界とは少し違う空気が流れていて好きなんですよね」


—またちょっと異世界の方に近づいてるような……。今後の活動の予定は?

「来年の1月31日からガーディアンガーデンで個展を開催します。今は、その準備段階ですね。あとは、勤めている会社を辞める予定です。でも、『写真で食べていくぞ』っていう感じでもなくて。中心にしたいのは写真だけど、あくまでも楽しみながら撮っていきたいと思ってます」



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