どうして自分ばかり……彼女は幼い頃、ずっとそんなことばかり思っていた。
「不仲な両親の離婚と、異父兄弟との軋轢のなかで育った私は、いつも損な役まわりばかりで家のなかでは存在を消すように息をひそめていました」
子どもは生まれ落ちる場所や家族を選べない。だからその状況を受け入れて生きていくしかないと思ってきたが、それは違っていた。どんな環境に生まれようと、その後の環境は自分で選び取ることができるのだ。生まれ育った小さなコミュニティの外に目を向け、異文化を感じたとき、彼女を閉じ込めていた小さな殻が壊れていった。
「そのとき初めて、私が私という人格に出会えたんです」
「生まれてこなければよかった」
そう感じていた幼少の頃
今回の主役は、現在大学3年生で20歳の女性。幼少時代から複雑な家庭環境で暮らしづらさを感じながら育ってきたというが、そんなふうに育ったことが想像つかないほど、今の彼女はとても明るくて、大学生活を笑顔で自信たっぷりにハキハキと話しはじめた。まだ残暑が厳しかった8月、六本木で待ち合わせた彼女は、強い日差しが黒々したまっすぐなショートヘアに跳ね返って、とても眩しかった。
彼女の父親と母親が結婚するとき、母親には長女、長男、次女の3人の連れ子がいて、一番上の姉は当時10歳になっていた。彼女の家庭は、最近耳にすることも多くなったステップファミリーだった。けれど、兄弟にとって不在が多い新しい父親との生活は、母親と兄弟3人のそれまでの暮らしにあまり変化はなかった。
それが劇的に変わったのは、4番目の子どもとなる彼女の誕生からだった。
人格否定、学校でのいじめ…
落ち着ける場所ばかり探していた
兄弟にとって歯向かえない大人の父親より、小さくて弱いが絶対的に守られる妹の存在は、母親との暮らしを揺るがす脅威であり、疎ましかったのだろう。
「だから、私は目の敵にされていたんです。物心ついてから、姉たちに言動すべてを否定され続けてきました。『その考えはおかしい』『だからダメなんだ』と。おかげで私も自己否定する性格になっていました。でもしばらくして、兄弟が父と血のつながりがないことを知って、すべてが繋がったんです。私がダメなんじゃない。姉たちは、嫌いな父の血が流れている理由だけで、私を嫌っていたんです」
それを知って間もなく、彼女の家庭は、両親が離婚し崩壊した。
「嫌なことって追い打ちをかけるんですよね。その頃学校ではいじめられるようになりました。クラス中に無視されたり、上履きを隠されたり、体操着がなくなったり。もともとひとりで過ごすのは慣れていたから、あまり気になりませんでした。でも、失くなった物が出てこないと親に言わないといけないので、それは困りましたね」
彼女は当時を振り返ってそういった。まるで「不運には慣れている」と言わんばかりの口調は淡々としていた。
「父親がいなくなると、母親は昼も夜も仕事で、あまり家にはいなくなりました」
それから子どもたちの生活は、一気に不安定なものになっていった。朝食はなくなり、その代わりに給食をたくさん食べた。夕食は総菜が用意されていたが、そこに母親の姿はない。兄弟が一緒に食事を摂ることもなく、ひとつ屋根の下で、みんながバラバラだった。そのうち、彼女は中学生になり、家出を繰り返した。
「そんな生活をしていれば、もちろん悪くなりますよね(笑)。夜遊びや家出、お酒を飲んだりタバコを吸ったり、毎日そんなことばかりしてました」
このままじゃ人生終わり。
それだけは分かっていた
「でも、心のどこかで無理をしていたんです。嫌だと思っていたんだと思います。それで高校進学を考え始めた頃、すっぱりと悪いことはやめて、受験勉強を始めました」
彼女は都立の高校に進学すると、そこで出会った友だちとこれから先の人生を変えるような出来事に出会った。
「高校2年のとき、友だちの誘いでNPO団体『ヤングアメリカンズ』のイベントに3日間参加したんです。高校生限定のイベントで、渋谷の会場には全国からたくさんの高校生が来ていました。私は知らない人たちとグループを作って、歌ったり踊ったり。最終日には、それぞれ友だちや家族を招待して、ステージで創作ダンスを踊ったんです」
幼い頃から自らを否定し続け、存在を消してきた。そんな彼女が仲間を作り、自分の存在をアピールしても咎められない場所に初めて出会った。それはとても刺激的で、体中がしびれるような感覚と同時に、頑なだった何かが溶けていくような感覚があった。
その後、彼女は奨学金制度を利用して大学へ進学した。
「大学の国際交流の研修で、初めての海外、ラオスへ行きました。私はそこで出会った女の子に『ここでの生活は大変じゃない?』と尋ねました。すると女の子は『お母さんと一緒に働けてうれしい』と答えるんです」
少女のその笑顔には淀みがなく、とてもキラキラして見えたという。
「私は自分の小さな価値観で、ここに暮らす人たちを不幸だと勝手に決めつけ、下に見てしまっていました」
それに気づいたとき、ハッとしたという。
「幸か不幸かを決めるのは、他人の物差しではなく自分自身。そう思うと、今の私は自信をもって『幸せ』って言える? こんな私より、この女の子の方がずっと幸せじゃない?と、いろんな疑問が降りかかってきました」
初めての海外旅行で、固定概念を壊されることに快感を覚えた。今まで見ていたことは、もしかしたら世の中のほんの一部でしかないのかもしれない。「もっと見たい」「もっと知りたい」という思いをかきたてられるようになり、それから彼女は、できるだけその地の生活が見える、ディープなところを尋ねて歩いた。
「市場では芋虫も食べました。ここで暮らす人にとって当たり前のことは、私もやってみたかったんです」
その後も彼女は、凝り固まっていた自身の枠をひとつずつ取り払っていくかのように、この2年間でタイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、カンボジア、フィリピン、台湾、ニュージーランドを巡り、その土地の人々の暮らしに触れてきた。
「まだまだ、もっといろいろな国や地域に行ってみたいんです。来年は100日かけて100万円で世界一周をしようと計画しています」
人を変えるのではく、
まず自分が変わるということ
親の離婚、ステップファミリーとの衝突、いじめ、親に放置された思春期、非行を経て、今がある。
「以前は家族を置いて出ていった父親、父親と別れてパートで働き詰めになってる母親、私のことを否定しながら自分は高校を中退したり、定職にも就かなかったりする兄弟を、内心バカにしていました。でもそれ以上に、自分も否定していた。だから負けたくない思いで、それらを反面教師にしてきたんです」
それは小さな枠にとらわれた、ネガティブな思いが今までの原動力だった。けれど今は、そんな思いはどうでもよくなっていったという。
「どうでもいいんです、親も兄弟も。世界に出ていろいろな人たちを知ったら、そんなちっぽけなことどうでもよくなってきました。私は大学で学びながら、今仲間たちと好きなことができている。今後はこの経験を生かせる仕事に就き、奨学金も返していこうと。そんなふうに将来を考えられるようになったら、私のなかで『家族』の存在が小さくなっていきました。家族を『嫌い』とちゃんと認められたら、逆に今はあまり嫌いじゃなくなってきたんです(笑)」
これからも彼女は世界中を巡り、感じた多様性、自由であることの意味を、同じような境遇に置かれた自分よりもっと下の世代へ伝えていきたいという。
「自分の価値観が変わるときって、すっごく気持ちのいいものなんだよ!と伝えてあげたいんです」
自分の殻を自分で壊すことはなかなか簡単にできることではない。それが大人になればなおさらだ。彼女は価値観を壊すという成功体験から、その快感を追い求め、まだ知らないことへ意識的に飛び込もうとしているように見える。
思い切って環境を変えること……それは同時に、今の環境を捨てる覚悟も持ち合わせている彼女に、若さだけで片付けられない潔さを感じた。
text : 赤荻 瑞穂(リベルタ) / Mizuho Akaogi
photographer : 延原優樹 / Yuki Nobuhara
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