プリクラとグラフィティがインスピレーション? 写真を遊び尽くす小林健太

eisaku sacai

💣 1993 editor/writer @sacaieisaku 💣

やばい写真を見た。全然写ってるものがハッキリ見えなくて、まるでドラッグでトリップしちゃったみたいに歪んだイメージの写真だ。



作者は1992年生まれの写真家、小林健太。

調べてみると先日初の写真集を出版して、国内外のアートシーンで大きな注目を集めるアップカミングなアーティストだということがわかった。『美術手帖』でもインタビューされていて、普段はアート文脈で語られることが多いけど、僕は門外漢だから素朴な疑問をぶつけてみたかった。

なんだか写真というより「グラフィティ」に近いような彼の作品。そこにはどんな魂胆が隠れているんだろうか? 「プリクラ」とか「ビデオゲーム」とか、作品作りとはあまり関係なさそうな、でも彼が生まれた90年代の空気をめいっぱいに吸い込んだワードを使いながら、彼は写真について語ってくれた。

小林健太 Kenta Cobayashi

1992年神奈川県生まれ。2015年東京造形大学卒業。MMGGZZNNプロジェクト主宰。主なグループ展に「trans-tokyo / trans-photo」「The Devil May Care」「hyper-materiality on photo」「New Japanese Photography」「The Exposed #7」など。キュレーションを手がけた展覧会には「PICTURE-PARTY 2」「MEGA MAX GIGA GREAT ZERO ZILLION NEBULA NOVA」 など。2016年にはG/P Garellyにて個展「#photo」を開催。自身初の写真集「EVERYTHING_1」を刊行。

島国日本に脈々と息づく

写真文化=プリクラ


—いきなりなんですが、なんでこんなに写真をグチャグチャにするんですか?

「分かりやすく言うと、やってることはプリクラの延長線にあるんだよね。プリクラが最初に出たのは1995年らしいんだけど、不思議なことにあまり輸出には成功していなくて。でも日本では、今でもガラパゴス的に独自のカルチャーを築き上げて進化し続けてる。そういう面から捉えると、実はプリクラって写真のかたちとしてすごく面白いなと思うんです」


—プリクラ(笑)?

「うん。最近だと、『Instagram』『Snapchat』『SNOW』とかが、プリクラに近いカルチャーだと思うんだけど。プリクラのいいところは、撮影ブースと編集ブースが一体になってるところだなって思う。

クラシックな世界では、『写真は編集・加工しないことが美徳だ』という価値観もあるなかで、プリクラは『編集したっていいじゃん』っていう価値観がデフォルトで備わってる。たとえ素顔とは違う風に顔が加工されたりデフォルメされたりして写っていても、怒る人はいないわけで。この『撮影と編集がセットになってる』ってことに面白さを感じるんだよね。そういう部分を自分の作品でも意図的に取り入れてる感覚かな」


—撮影ブースで撮ったあと、すぐに編集ブースでデコるみたいな?

「そうそう(笑)。昔の写真は、撮影という行為そのものにフォーカスされがちだったけど、Photoshopを使ってだれでも写真に手を加えられるような時代になったし、さらにいろんなアプリが出てきて、とくに意識せずに写真を編集できる時代になったかもしれない。だからこそ、編集という行為も、写真を形作る一部になっている気がして。

だから、プリクラみたいに撮影と編集がセットになった写真体験というのを考えたくて、編集の痕跡をあえて分かりやすくビジュアライズしてるんです。上からまったく別の色を塗ってるわけではなくて、もともと写真が持ってる色情報を使って描いてんだよね。そこが大事なポイント」

グラフィティと作家のアイデンティティ


—スプレーで描いたグラフィティにも見える荒々しい加工が印象的なのですが、なぜこうなったんですか?

Krinkっていうグラフィティライターがいるんだけど、彼はすごくクレバーで、よく垂れるインクを自分で作ってるんだよね。例えば、それを郵便ポストにぶっかけるんだけど、タギングはそれで終わり。それはつまり、自分の名前を描いたりするのではなく、自作のインクによってKrinkがやったって分かるような仕組みになっていて。タグであると同時にツールでもある。そういう作家性の示し方ってすごくクールだと思う」

—だれでもできそうとも思える手法が、結果的にオリジナリティのあるスタイルになってるのはたしかにすごい。過度に加工を行うというスタイルが、小林さんの作家性につながっているということですか?

「こうやって加工で写真に筆跡を加えるっていうスタイル自体、あまりやってる人がいなかったから、それだけで作家性を示せる状況でもあったんだけど、プロセスはすげー単純なんだよね。だから、そういう作家性の示し方に関しては、スタンダードな写真の在り方にも似たようなことを感じていて。そもそも写真の面白いところは、写真自体にも作家性があるはずだけど、どんなに有名な写真家の作品だったとしても、一枚だけ抜き取って見せられたら、だれが撮ったか判断するのは難しいっていうところだと思う(笑)」


—モノクロ写真だから『森山大道の写真かな?』って想像するしかない、みたいな感じですかね? 必ずしもその作家の写真とは判断できないという意味で。

「そうなんだよね。ある意味、作家性が曖昧な写真っていうメディアと、自分の筆致を組み合わせるっていうことが面白いと思って。筆跡自体も究極的には判断できるものじゃないから、曖昧なものと曖昧なものを組み合わせたらどうなるんだろうって」


—いじわるな質問をすると、加工自体はだれでも真似できちゃいますよね? 今後、小林健太フォロワーが出てくるとしたら、小林さんの作家性が揺らぎませんか?

「どこかでその状況を待っているような部分はある気がする。そうなったときにようやく、世間からの認識や見られ方が『写真=撮影と編集をセットで考えられて当然』という風に進んでいくんじゃないかな。それは、自分の作家性とはまた別の話なのかもしれないけど。そうなったら、次のスタイルを落ち着いて考えられるのかもしれないよね」

写真は誰のもの?
遊びを通して写真本来の姿を取り戻す


—グラフィティの話にこじつけると、グラフィティってある人から見ればヴァンダリズム(景観破壊)と捉えられることもあって。逆にアーティスト側からすると、壁にレイヤーを一枚足しただけで、壁としての役割はなにも変わってないじゃないかという意見もある。小林さん的には写真を壊す、役割を変えるみたいな意識はありますか?

「グラフィティの話を先にすると、『じゃあ壁に貼ってある広告に対しては何も思わないのか? 』って応答したライターもいて。土地とか、なにかを『占領』されることに対して、それを取り戻そうとするアクションは、写真に対して自分が思う部分とリンクしていて。

難しいところではあるんだけど、そもそも『いい写真』ってなんだろう? っていう疑問がずっとある。それはさっき言ったみたいに曖昧なものなんだけど、でも確実にある『良い写真』に写真が持ってかれすぎてる、つまり占領されてるのに似た気持ちを感じることがあって。そこから一度、自分の手に写真を取り戻したいっていうのがたぶん写真を扱おうと思った最初の衝動なんだよね。 人によっては写真をいたぶっているように見えるかもしれないけど、自分にとっては純粋に、写真というメディアで遊んでいたいというポジティブな触れ合いのつもり(笑)」


—写真自体の役割を変えようとは思っていない?

「写真とはまったく別の概念を提示したいわけではなくて、どんなに形が変わったとしても、これも写真だということを提示して、世の中にまた放流させていきたい。これはテクノロジー全般に対して思っていることだけど、だれのものでもない、宙ぶらりんでアンビバレントな状態が面白いと思ってるから、写真もそうなればいいな」

お絵描きソフトで培った
“GUIネイティブ”の身体感覚


—テクノロジーの話が出ましたが、過去のインタビューで『自分たちの世代は、デジタルネイティブではなく、”GUIネイティブ”だ』という話をしていましたよね。

GUI(グラフィック・ユーザー・インターフェース)に小さい頃から触れてきているから、例えば、携帯電話の説明書を見なくても感覚で操作方法が分かってしまうっていう。なんだかとても納得したのですが、そういう感覚はどこで培われたんですか?

「ゲームかな。クリックブックっていうジャンルのゲームがあって、触れる絵本っていう感じのものなんだけど。いろんな要素があって、それをクリックすると、音が出たり動いたりするっていうゲームを小さい頃にやってたんだよね。あとは、お絵描きソフトの『Kid Pix』もやってた。祖父と父がアップルユーザーで、生まれた時にはもうマッキントッシュが家にあって。そうじゃない人も、世代的に生まれた時からGUIが普及してたのはでかいと思う」

—生まれたときにはすでにそういう環境があったんですね。

「このふたつのゲームって明確なゴールがなくて、ボタンを押すと音が出るから楽しいっていう純粋な喜びで遊んでたんだよね。そのときの感覚を、編集するときに呼び戻したいという思いがあって。それをわかりやすくプレゼンテーションしたいと思ったのが『SOUND & VISION』なんです。

テクノロジーって基本的にツールでしかないから、何かを達成するための目的が必ずある。けど、そこで目的をあえて見失えば、ツール自体と触れ合うことができるのかなって」


—なるほど。幼い頃からテクノロジーに触れてきた世代だからこそ培われた遊びの感覚を作品に反映させてたんですね。これからはどのように活動される予定ですか?

「海外でいくつか展示の予定があるのと、同世代のアーティストたちとのコラボレーションをいろいろと計画しているところです。2冊目の写真集も出版準備をしてます。1冊目の写真集を出したあと海外からも声がかかるようになって、本の流通の速度感も実感できました! 」


—写真家として長期的な目標はありますか?

「日本的な感覚やアプローチについてもっと考えていきたい。まだめっちゃ浅いっすけど、禅とかヤバいなってなってて。『杉本博司展』の物販で売っていた鈴木大拙の本に食らって(笑)。日本の美術に通底する感覚をリサーチしていきたいなと。グループ展《新しいルーブ・ゴールドマン・マシーン》に展示している映像作品も発展させていけたらいいなと思いますね」


<展覧会概要>

「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」

迎 英里子, PUGMENT, 小林 健太, 大崎 晴地

キュレーション:飯岡 陸

会期:2016年10月1日(土)〜2016年10月23日(日)12:00-19:00(日曜日は17:00まで)月・火・祝日休

会場:KAYOKOYUKI(東京都豊島区駒込2-14-2)

TEL:03-6873-6306


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