僕らの気になるパイセンたち | 写真家・映画監督・画家 ラリー・クラーク


やりたいことはたくさんあるし、自分が好きなものもだいぶ分かってきたミレニアル世代の僕たち。でも理想の将来像となると、まだまだ知りたいことだらけだ。そこでSILLYでは、僕らから見てクールな生き方をしている先輩たちに、人生について聞いてみることにした。


今回登場するのは、先日開催された「TOKYO 100」で来日した写真家・映画監督のラリー・クラーク。1971年に写真集「Tulsa」でセンセーションを巻き起こし、1995年に初監督作『KIDS/キッズ』で世界中のキッズに忘れられない記憶を残した巨匠が、僕らに大切な人生哲学を教えてくれた。


―ここ日本でもたくさんのキッズが監督の作品からインスピレーションを受けています。人生の先輩として、SILLYの読者たちに大人になるまでにやっておくべきことを教えてください。


Larry Clark(以下、LC) 心からやりたいことをやるべきだ。人生でやりたいことが見つかったら…12, 3歳で見つかる人もいるだろうし、18歳で見つかる人もいるだろうし、28歳になるまで何になりたいのか分からない人もいるだろう。それがいくつだろうが、心に従い、やりたいことをやりなさい。


—将来について迷っているキッズに向けて、何かアドバイスはありますか?


LC 俺からのアドバイスは、“とにかくやってみろ”ということ。昔から時々、「本当は写真家になりたいけど、金を稼ぐのが難しいから今はコンピューターの何だかをやっているんです」とか言ってくるガキがいる。だから俺は言うんだ。「お前にそんな気はないはずだ。本当に写真家になりたければ、もうなっているはずだ」とね。「今のお前はコンピューターオペレーターをやっていて、幸せじゃないだろう?」と話すんだ。なりたかった写真家にならなかったことを、ずっと後悔し続けるからだよ。


とにかく自分のやりたいことをやれ。最近は多くのキッズが、誰でも21歳で億万長者になれると思っている。でもそんなわけはないんだ。金の心配はするな。心に従って本当にやりたいことをやれば、人は必ず幸せになれるんだ。




―監督にもお子さんがいらっしゃるんですよね?


LC 自分の子どもたちに伝えた最も大切なことは、“良き人であれ”ということ。人には敬意を持って接し、良き人であれ。そして、やりたいことは何だってできると言い聞かせた。娘には「やりたいことは何でもできるんだ、男の子がやっていることでも何でもね」と言って育てた。俺は娘にも息子と同じように接し、同じように育てたんだ。


今では息子は33歳、娘は30歳になり、自信を持って幸せに生きている。彼らが良き人であり、心からやりたいことを実現する上で、俺も少しは影響していることを願うよ。



―73歳になった今も精力的に創作活動をされていますが、今後も映画を作る予定はありますか?


LC 直近では「Marfa Girl 3」(※日本未上陸の「Marfa Girl」(2012) と、最近撮り終えた「Marfa Girl 2」の続編)を作るつもりだよ。その後ももっとたくさんの作品を撮る。俺は死ぬまで映画を作り続けて、働き続けるんだ。だって引退したところで何をするんだよ?


これまでに長編映画を10本制作し、数多くの短編も作った。10冊から12冊ほど写真集も出した。そして今では画家でもある。死ぬまで絵を描くつもりだ。映画も死ぬまで作る。写真も死ぬまで撮る。脚本も死ぬまで書く。俺は働き続けるよ。


―その原動力はどこから得ているのですか?


LC ただラッキーなだけだと思う。俺はずっとラッキーだったし、好奇心旺盛だった。それに54年間の作品を振り返ると、そこにはいつでも最高の人々がいた。俺が映画や写真集を作らない限り、誰も知りえなかったような少数派の人々だ。


重要なのは、できる限りリアルライフに忠実に描くこと。できるだけ真実に基づいて作品を作ること。俺はいつでもそうやっている。


―50歳でスケートボードを始めたという話は本当ですか?


LC 正確には47歳の時だ。理由は自伝的な映画を撮りたかったから。ずっと自伝的な写真を撮ってきて、写真でできることはやり尽くしたと感じていたんだ。かねてからフィルムメーカーになりたかった俺は、自分が知らない(当時の)新世代についての映画を撮りたくなった。


そして周りを見渡すと、視覚的に最も興味深いキッズはスケートボーダーたちだった。でも、彼らの後ろを走って追いかけて撮影するのは不可能だろう?それで47歳でスケートを始め、彼らに追いつけるほど速く滑れるようになった。


―自分で覚えたのですか?


LC ああ、誰も教えてくれないからな。他のキッズがスケートするのを見て覚えた。トリックはできなかったが、速く滑ることはできたんだ。彼らに追いつくためには速く滑らないとならなくて、俺はライカを抱えて滑りながら写真を撮っていた。


―すごいですね!


LC 俺にとって最高に楽しいのはヒルボム(※hill bomb=坂を全速力で滑り降りること)だった。でも急すぎる坂でやってしまって、肩を骨折しちまった。その日はあの素晴らしいスケーターのマーク・ゴンザレスと一緒にスケートしていたんだ。


俺はボムりたい坂を見つけたのだが、マークですら怖がって「やめておけ」と言われた。でも、俺はヴァリウム(精神安定剤)とビールを数本飲んでファックトアップした状態で、スケボーに飛び乗ってめちゃくちゃ急な坂をボムってしまったんだ。


ところが俺はトラックを締めるのを忘れていた。ものすごいスピードが出ちまって、グラグラし出した時に、「ファック!トラック締めるの忘れた」と気づいたんだ。強打して燃え尽きることは目に見えていたよ。でも俺は賢いから、「ラリー、何が起ころうが頭は上げておけ」と自分に言い聞かせたんだ。


そして俺はスーパーマンのように空を飛び、頭は上げていたから肩だけ強打して、手の皮はズルむけになり、肉がむき出しで血まみれになった。でも頭は上げていたんだぜ。とはいえ、50にもなると肩の痛みが消えるまでに1年かかった。でも他のスケーターたちからは、かなりの支持とリスペクトを得たよ。その勇気と愚かさを称賛されたんだ。


―医者に「スケボーしていてコケました」と言ったんですか?


LC …ああ、言ったさ。「イカれてる」と言われたよ。それに去年、手術をして金属とプラスチックのひざを入れたから、医者から「もうスケートはできませんよ」と言われてしまった。


―スケートが恋しいですか?


LC ああ、恋しいよ。ものすごく自由を感じられるからね。どれだけ最悪な気分で、クソみたいな世界に押しつぶされそうな時でも、スケートボードに乗って滑り始めれば5分ですべての心配が消える。ニューヨークでは街中を滑れるし、渋滞も関係ない。50にもなってこんなにも楽しめるとは、クレイジーな出来事だった。まあ代償を支払ったわけだけどね。ひざもやっちまったし、全身傷だらけだ。


でも、スケートのおかげで『KIDS/キッズ』(1995) が生まれた。スケートを覚えて、大人たちは入れてもらえない世界についての映画を作ろうと決めて良かったよ。俺はスケーターたちと長い時間を過ごし、自分の作品や活動を見せて彼らにリスペクトしてもらい、信用されたんだ。3年も経つと、他のスケーターたちと同じように接してくれた。35歳も年上だったのにな。




—『KIDS/キッズ』は監督にとって、どのような作品ですか?


LC あの作品ができたことは、特別に光栄なことだった。あの映画を作らなければ知ることさえ許されないような世界を、まるで盗聴しているかのような作品にしたかったんだ。前例のない映画を作りたかった。劇中の登場人物と同じ年齢のキッズを役者として使うことにもこだわった。あの映画に出てくる人は、みんな演技未経験だったよ。大人も子どももね。


どちらにしてもスターになる運命だったクロエ・セヴィニーはクラブキッドで、ニューヨーク中のクラブに通っていることで有名だった。ロザリオ・ドーソンはアベニューBと13丁目の角でストゥープ(家の前の階段)に座っているところを、俺とハーモニー(・コリン/『KIDS/キッズ』の脚本を担当)が発見したんだ。彼女の声が聴こえてきて、「おい、今のはルビー(ドーソンの役名)に違いない」と言ったよ。そして目を向けると14歳のロザリオがいて、ものすごくゴージャスな娘だった。とにかくあの映画が作れて良かったよ。

—人生で大切にしているモットーはありますか?


LC 人生の秘訣は、常に忙しくして、前進し続けること。それにつきる。覚えておくべきことはそれだけだ。後ろを振り返るな。昨日は取り消された小切手で、明日は約束手形だ。俺たちにあるのは今日だけさ。だったら精一杯生きるべきだ。


ラリー・クラーク:

1943年、タルサ(オクラホマ州)に生まれる。ニューヨークとロサンゼルスに拠点を置く。1995年に初めてのフィーチャーフィルム『KIDS/キッズ』をカンヌ映画祭にて発表し、大きな評価を得る。その後、『アナザー・デイ・イン・パラダイス』(1998)、『BULLY ブリー』(2001)、『ケン・パーク』(2002)、『ワサップ!』(2005)をリリースする。2012年11月にはフィーチャーフィルム「Marfa Girl」(日本未公開)を自身のウェブサイトからリリース。第7回ローマ映画祭にてゴールデン・マルクス・ アウレリウス賞を受賞した。近年の作品に「The Smell of Us」(2014)がある。

写真家として、クラークの作品はメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、サンフランシスコ近代美術館、ピナコテーク・デア・モデルネなど、世界各都市のメジャーな美術館に収められている。主な個展に2012年に「ラリー・クラーク」ブランツ写真美術館(オーデンセ/デンマーク)、「ラリー・クラーク」COベルリン(ベルリン/ドイツ)、2010年に「ラリー・クラーク:Kiss the Past Hello」パリ市立近代美術館(パリ/フランス)、2009年に「ラリー・クラーク レトロスペクティブ」ウジャドゥスキー城現代美術センター(ワルシャワ/ポーランド)がある。

Gallery Target公式サイトより)


photography : 照沼 健太 / Kenta Terunuma(AMP) 

coordinator : Yasuda Pierre(BENJAMINTYO)

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