COMA-CHIのファーストアルバム『Day Before Blue』を聴くと、理想と現実の間で悩みながら、サバイブしていたころを思い出す。彼女と初めて会ったのは、B-BOY PARKのMCバトルで女性MCとして初の準優勝を果たし、シングル「ミチバタ」でラッパーとして確固たる地位を築いていたころ。MCバトルやサイファーで叩き上げたフリースタイルのスキルに、我々ヘッズたちは魅了されていた。
あれから10年が経った現在、COMA-CHIは一児の母となった。夏の終わりの森戸海岸で久しぶりに再会した彼女にインタビューを申し込み、森戸神社のお祭りの日に、同じ場所で落ち合った。まずは、10年ぶりにバトルの舞台に挑んで話題となった『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)への出演について聞くと、同番組のオーガナイザーであるZEEBRAから、たび重なるオファーがあったのだと話してくれた。
「求められている声には、できる範囲で答えたいというのが根底にある」と決意した理由を述べる。「特にZEEBRAさんは、人生の恩人とも言える人。そんな人にこれだけ誘っていただいたのであれば、もうやるしかないなと。最近、駅前とかで通りすがりの男の子がラップしてたりするんだもん。こんな時代が来たんだな」
めまぐるしい変化が
起こった10年間
2009年に『Red Naked』でメジャーシーンへと躍り出た彼女は、その後の2年間で客演30本、アルバム3枚という制作量をこなす。
「常に来る仕事があって、それをこなすという日々。書いたラップの量がハンパじゃなかったね。とにかくいっぱいラップした、濃厚な2年だった」
メジャーでの経験によって、音楽や全体の視野が広がったという。
「たくさんのシェアがあるということに気付いた。インディでは全国のヒップホップの仲間と何かやる感じだったけど、メジャーではシェアする相手の顔、それがヒップホップ好きの人だけではなく、全国のいろんな人になった」
ファートアルバムと同年にセカンドアルバム『Love Me Please!』をリリースし、2010年の3枚目のアルバム『Beauty and Beast?』の頃には、葛藤を抱えはじめる。 「ファーストアルバム『Red Naked』は、衝動に任せて作れた部分があった。そのうち、会社の期待に応えたいという気持ちで、折り合いがつくように曲を作っていた部分も出てきて、私らしさが無くなってしまうような気がした。音楽に対する熱が冷めていくような感覚があって。もともと、自分に沸き出てくる衝動に突き動かされて創作活動をしてきたから、その熱がなくなったらCOMA-CHIじゃないのでは?って」
2011年になり、COMA-CHIは独立した。震災で世の中が一気に変わったときと、同じタイミングだった。そのとき、彼女は何を意識したのだろうか?
「ビジネス的な部分からは切り離して、衝動に従ってモノを作るという、自分の原点に戻るという選択。ブランディングとかはむしろ完全に無視して、本質の部分を出そうと」
独立して最初に手がけたのは、独特で強烈な世界観を持つアーティストのTOKIOがイラストを手がける絵本付きEP『太陽を呼ぶ少年』。バンドサウンドへとシフトし、プロデューサーにはROOT SOUL、45 a.k.a. Swing-O、Mabanua、伊原”Anikki”広志をむかえている。震災後の混沌とした世の中に放つ、メッセージ性とインパクトの強い作品となった。それまでは打ち込みがメインだったが、独立後にバンドサウンドをやるようになったのも、自然な流れだったという。
「ジャズやファンク、ディスコとか、昔の音をよく聴いていたかな。生楽器の持つ温かみに惹かれて。メジャーのころは配信時代だったこともあって、流行していたのが打ち込みの音ばかりで。それに辟易していたとき、ROOT SOULたちがめちゃくちゃいい音楽をやっていて、これだ!って思ったんだ」
独立後は伸び伸びと、内なる声を音楽で表現をし始めたように思う。さらに、2013年には出産を経験し母となった。女性にとって母になることは、「与える」という究極の力を持つことも意味する。10年間でたくさんの大きな通過点を経て、どのように変わったのだろうか。
「若いときは、認めてほしいとか、そういう気持ちを衝動にしていた部分もあったけど、今は喜んでほしいという気持ちの方が多い。あとは、純粋にこういう曲を作ってみたいという好奇心。すごく、ピュアな気持ちを動機として動けているような気がするんだ」
大きな山々を乗り越えてきた少女が大人になり、彼女の音楽に共鳴する現代の少女や、今でも葛藤を続ける大人たちに対して「大丈夫だよ」と励ましているような気さえする。
「そういう曲を作っているわけじゃないけれど、ポジティブな気持ちを持ってもらえるような存在ではありたい。活動する様を見て、勇気や元気を与えられたらいいな。MCバトルに出たときも、そういう気持ちで出た。こんな人もいるんだなって。悩みを持っていたりする人たちに、刺激を与えられるような存在になれたらいいのかな」
ヒップホップに対する再燃と
ベスト盤のリリース
ヒップホップに対する思いが再燃している彼女だが、きっかけはケンドリック・ラマーだったそうだ。
「ここ最近のラップは、ファッションとしてはクールだったけど、音楽としてあまり胸を打たれる感覚がなかった。そういうのがアリな人もいると思うけど、私にとって音楽は胸を打つものであって。その、音楽っていいなという気持ちを、ヒップホップで久しぶりに感じさせてくれたのがケンドリック・ラマーの『To Pimp a Butterfly』だった」
10周年というタイミングで、好きな音楽に再会し、動き出す。それが、今のCOMA-CHIから湧き出てくる衝動だ。
「実際に動き出したことによって、喜んでくれる人たちがいることにも気付いた。それは、自分では分からなかった部分で。バトルに挑戦したあとも、久々に見てうれしかった、と言ってもらえたから。自分がラップやることで喜んでくれる人がいることに気が付けたことによって、もっとヒップホップをやっていきたいなと思いはじめているのかも」
ストリートから全国まで、いろんな顔に向けて音楽を届けてきたが、今のCOMA-CHIが音楽をシェアしている相手は、どんな人たちなんだろう?
「今は、超狭いかもしれないけど、実際にライブに来てくれたり、SNSで直接声をかけてくれるようなファン。どんな形であれ、ファンでいてくれる人かな。ジャンルがどうとかではなくて、心からの衝動や感動を表現して、どんな人間にもきっと届くようにやろうと思っている。国籍も年齢も問わないし、おじいさんだっていいし、赤ちゃんだっていい。ヒップホップという言語でありながら、魂の音を作りたいという感じ」
2011年以降の彼女は、まさに魂から音を作るという行為を続けている。その行為がヒップホップを媒介するのは、やはり昔からのファンとしてはうれしいだろう。「欲しい人がどういうモノを欲しいのか、考えながら取り組みたい」と語るCOMA-CHIは、一度は子育てだけに専念することも考えたという。
「でも、子供が大きくなったときに、母親がずっとやり続けている姿を見て”何かひとつのことを続けよう”って思ってもらえる方がいいと思った。ベスト盤を出したのは、私はやり続けるっていう意思表示なんだよね」
10月5日にリリースされるベスト盤『C-10 ~Selected 2006-2016~』を聴くと、この10年間で本当に広く深い音楽や体験を吸収しながら、ひとつひとつの作品にアウトプットしてきたことが分かる。また、本作はデジタル配信をしないという決断も潔い。11月28日には渋谷 duo MUSIC EXCHANGEにて10周年を記念したライブも行うが、そもそもベスト盤を作ったきっかけは、ライブ会場にあったという。
「私ごときがベスト盤?って思ってた。でも、昔の曲や配信限定の曲、アルバムに入っていない曲もライブでやっているので、”どのアルバムを買えばいいですか?”って聞かれることが多くて。そういうときに、ライブ会場でこれを買えば、全部入っていますよって言えるし、その方が親切かなって思ったんだよね。ライブを観て、その余韻で家でも聴きたいという人たちへの手土産にできたらなと」
今年の6月にリリースした最新シングル「so hard, so strong」を含む全15曲を収録した『C-10 ~Selected 2006-2016~』は、このように「ニーズに応え続けたい」という思いを形にしたモノなのだ。
彼女の濃厚な10年間は、10周年の特設サイトに綴った「COMA-CHI 10th History」にて、より詳しく知ることができるだろう。そして、彼女の歌と言葉、そして生き様からは、必ず勇気がもらえるはずだ。何を隠そう、私自身が「心の声は恐怖からじゃなくてワクワクからくるんだよ」というCOMA-CHIの言葉にハッとし、今日も前向きな気分で生きている。
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