「第一はお金ですね。さんざんお金に困ったので、今度はお金を利用したい」
東京大学の医学部を目指す理由は、という質問に対して、浪人2年目だという在日タイ人のPくんは迷いのない口調でそう答えた。
2014年の法務省の統計によれば、在日タイ人は43,081人。1980年代より建設現場や農場、工場等など単純労働者として働く数が急増した。彼、Pくんの父親と母親もそういった世代にあたるタイ人だ。父親は不法滞在が明らかになったことで帰国。現在は在留カードを取得できた母親との二人暮らしだが、モデルガンを作る工場で非正規雇用として働いているため、月の収入は15~18万円と生活は厳しい。特別なスキルや学があるわけでもない外国人にとっては定期収入が得られる仕事を探すにも一苦労なのだ。
「小学生の頃、母と二人で暮らしてから、他の家庭と差がある、ちょっと違うというのがわかりました。今もよくタイで生活すればいいんじゃないか、と親戚に言われます」とPくんは話す。
医学部を目指しているということは、母親にしか話していない。
「これは自分の問題。誰にもとやかく言われたくないし、自分も言いたくない。今は放っておいてほしいというのが本音です」
Pくんが難易度が高い国立大学を目指す理由は学費の問題をクリアするため。そして医学部を出て医者になることは豊かな生活を手に入れるためというのが率直なところだ。
国籍はタイ、
アイデンティティーは日本
日本生まれ日本育ちのPくん、そのアイデンティティーは日本にある。
「あまり深く考えたことがないくらい日本に馴染んでいる。顔も言葉も日本人と変わらないし、名前とパスポートを出さない限りタイ人だと思われないです」
実際、淡々とした口調で話すPは同世代の日本の若者と変わるところがない。だが、まったくタイ人の家族たちと縁が切れたわけではない。お金を稼げる仕事に就ける可能性が高いのは医学部だけではない。その中であえて医学部を狙う理由をさらに尋ねてみると、このような答えが返ってきた。
「去年9月に祖母がタイで亡くなって、そばにいることもできず何もできなかったのも医学部に行こうと思ったきっかけです。母にはここまで育ててもらったので、あとは自分の責任。今までサポートしてもらったので、逆に母をサポートしたいと思っています」
「予備校に通えない」
というだけではないハンデ
とはいえ、彼が目指している道は険しい。年収が約200万程度の母親の収入では国立大学の医学部でも入学金や授業料を払っていくのは困難だ。そのためPくんが医学部に通うには学力基準や家計基準で授業料が免除になる制度の対象になることが必須条件になってくる。
勉強をする上でも予備校に通っている余裕はない。必然的に独学で試験勉強を続けていかなければならない。情報系の高校に通っていた頃の友人たちの多くは既に大学生になっている。浪人生2年目の彼にとっては、孤独な戦いを強いられることになる。受験や勉強方法の情報を得るのは、もっぱらネットと本屋での立ち読み。赤本は古本屋で買っているという。Pくんは予備校に通えない環境に悔しさを垣間見せた。
「結局は本人のやる気次第となっちゃいますが、環境が環境。予備校に通っていると、いろいろなサポートもあるし、人のつながりもある。独学だと情報が少なくなりがちです」
模擬試験ひとつ受けるのにもお金がかかる。「スネかじるなら叩き出す」と母親に言われて育ったPくんは、バイトをしながら勉強を続けている。最初は市場での時給1050円のバイト。朝2時に起きて仕事に向かい、繁忙期は12時まで働いた。これはさすがに朝起きるのが厳しく、今は昼間を勉強の時間に当てて夕方以降にスーパーで働いている。時給は平日900円と下がったが「体力的には比較的ラク」と話す。それでも、働きながら東大の医学部を目指すのは無謀な挑戦にも見える。
「現実を考えると厳しいですね。他の受験生はスタートから中学受験を経験していたりしている中、僕は普通の高校を出ているので差が大きいですし、勉強法を試行錯誤している時間も限りがある。まだこれが正解というものは掴めていないです。模試で結果がでれば一つ自信になるとは思います」
何事もお金がついてまわる
「タイ人として育ったのではなく日本人として育った」と断言し、帰化する意思があるというPだが、彼の家族を含めた在日タイ人の多くが単純労働者として働いていることもあり、資格やスキルがないため年収が上がらず、キャリアアップの道が閉ざされている例がほとんどだ。何事にもお金がついてまわる資本主義社会の日本に対する不信感はないのだろうか。そのように尋ねると、Pは少し考える素振りを見せてこのように答えた。
「ちょっと若者に厳しいかな、というのはありますね。『社会では通用しないぞ」という言葉があるじゃないですか。その『社会』って本当に必要なのかな、と。それって日本だけの社会だし、他の国の社会では別なんじゃないですか? 生き方が一つに集中しているというか、多様性がない。我慢比べの社会になっているという印象があります。決められた道を外れたら厳しい、という印象があります」
彼の場合、高校の頃は人工知能の研究者になることを夢見ていた。だが大学院に進むにしてもお金がかかる上に、修士・博士課程の中途で就職しようとしても、周りはすでに社会人になっていて遅れを取ることになり不利となる。だからこそ、ランクが上の大学の医学部というレールに乗ることを考えるようになったという。生まれながらに不法滞在という扱いを受け、ずっと日本で生活しているにも関わらず選挙権も得られない彼からしてみれば、他の国に比べて日本は進路の選択肢が乏しいように映る。
「アメリカでは働いてから大学に行くというのがメジャーだったり、世界を回ってから会社に行くという道もある。日本の場合は大学から企業へストレートで行った方がいいという認識ですが、僕はちょっと狭いかなと思いますね。僕は日本に産まれ育ったのが運命なので、日本で生きていくのが道だけど、勉強した上で海外に出たいという考えもあります。だけど、そこにもお金の話がつきまとうんですよね」
お金がなくても医学部に行ける
ということを証明したい
大学病院の医局の講師クラスで約700万円、開業医で1200~2000万円と言われる医師の年収。将来のキャリアについては「まだ受験勉強でいっぱいいっぱい。将来のことはあまり考えられない」というPくんだが、終始淡々とした口調で話す中で語気を強める場面があった。
「僕は証明したいんですよ。お金がなくても、予備校に行かなくても、頭を使って勉強すれば医学部に行けるんだ、ということを」
不法滞在のタイ人の両親から生まれ、父親と離れて母子家庭で育ち、スーパーで働きながら独学で東大の医学部に合格すべく受験勉強を続けているPが垣間見せた欲求。「大学に入ることがスタート」と語る彼にとって、それが達成されることで、生まれて初めて周囲の同じラインに立つことができたと感じることになるのかもしれない。
彼の境遇は、6人に1人が貧困状態にあるという日本人にとっても他人事で済まされない。国境がボーダレス化する中、海外でお金のない境遇であえぐ学生もいる。そういう中、独力で壁を突破しようとする若者をいかにサポートできるのか、社会全体で考える必要があるのではないだろうか。自分が海外に根を張ってイチから生活することを考えると、どんな光景が浮ぶだろう?
text : ふじいりょう(リベルタ) / Ryo Fujii
photographer : 榊 水麗 / Mirei Sakaki
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