やりたいことはたくさんあるし、自分が好きなものもだいぶ分かってきたミレニアル世代の僕たち。でも理想の将来像となると、まだまだ知りたいことだらけだ。そこでSILLYでは、僕らから見てクールな生き方をしている先輩たちに、人生について聞いてみることにした。
第1弾に登場するのは、ANTIHERO SKATEBOARDSのファウンダーの一人で、ハイスピードとハイエアでスケートボード界を魅了してきた超人スケーター、ジョン・カーディエル。2003年に事故に遭い、一時は半身不随になるも奇跡的に復活したという彼が、その不屈の人生を語ってくれた。
─今回はSILLYに登場してくださってありがとうございます。何回目の来日ですか?
ジョン・カーディエル(以下J) こちらこそ、光栄だよ! 来日は15回目くらいかな。最初はプロのスノーボーダーとして来たんだ。
─バイオグラフィーを読んだら、ここまでかなりの旅だったそうですね。
J そうなんだよ(笑)。俺はプロのスノーボーダーとしてスタートしたんだ。それからスケートボードのプロになって、長年スケートをやっていたんだけど、オーストラリアで旅をしていた時に事故に遭って、一時は半身不随になった。でもそこから復活して、今は自転車に乗っている。いろんな自転車関係の会社と仕事をしているし、いまだにスケートの会社とも仕事しているよ。
─スノーボードとスケートボードはいつ始めたのですか?どちらでもプロになるってすごいことですよね。
J 小さい頃からいつもスケボーとBMXに乗っていたんだ。子どもの頃に初めて自転車を買ってもらうと、家からできるだけ遠くまで冒険に出たいと思うものだろう?スケートも大好きで、いろんなトリックを練習して、常にもっと上手くなりたいと思っていたよ。
そして10代の頃、山の近くに引っ越したことをきっかけにスノーボードを始めた。15歳くらいだったんだけど、すごい速さで上達したんだ。いろんなコンテストで優勝して、どんどん上手くなって、あっという間にプロになった。それと同時にスケートでもプロになったから、どちらか選ぶ必要があって。それでスケートボードを選んだんだ。
─男子にとって夢のような話ですね!
J ああ、クレイジーだよね。本当にクレイジーな人生だと思うよ(笑)
─2つのチャンスを前に、スケートボードを選んだ理由は?
J 友だちと一緒にいられるから。周りはみんなスケートをやっていたからね。スノーボードは俺だけがやっていることだったんだ。でもスケートボードでツアーに出ると、友だちと一緒だからもっと楽しかった。18歳でスケートのプロになったんだ。
─さらに今はDJとしても活躍しているんですよね。
J 普段は地元のカリフォルニア州サクラメントで毎週DJしている。あとは一緒に仕事をしているVANSのイベントで回すこともあるし、いろんな人からイベントに誘われてDJしているんだ。レゲエをメインにね。今回も渋谷のSOUND MUSEUM VISIONで行われる「KICK AND LOUD」というイベントに呼んでもらって来日した。
─SILLYの読者には20代も多いのですが、その頃は何に夢中でしたか?
J 俺は大人になる過程で、常に自分が何をしたいのか探していたんだ。とにかく自分自身を思いきり楽しむことにフォーカスしていた。スケートボードしながら思いきり毎日を楽しんで、旅をして、一つの場所にとどまる代わりに、新しい場所を探検しようとしていた。いつも冒険に出ようと考えていたよ。たとえば、1ヶ月にいくつのスケートパークを制覇できるかトライしたりね。
─楽しそう! 最高記録は?
J そうだな…42ヶ所かな。
─1ヶ月で? すごいですね!
J だろ? めちゃくちゃ楽しかったよ(笑)。
─日本のスケートパークにも行きましたか?
J いっぱい行ったよ。日本中のパークにね。それぞれ魅力があるし、高く飛びたいとか、ストリートスケートしたいとか、その日のムードによって最高のパークは変わるんだ。
─20代の頃を振り返って、最高の思い出は?
J 飲んだ翌朝に二日酔いじゃなかった日々(爆笑)
─(笑)
J それが最高とは言わないけどさ(笑)。でも昔は二日酔いになんてならなかったのに、あるとき目が覚めたらクソみたいな気分で、「いつの間にこういうことになったんだよ!?」って思ったよ(笑)
─共感できる人は多そうですね(笑)。
J 若い頃の最高の記憶は、自分自身や自由を思いきり楽しんでいたことかな。人生ではゴールを達成したいと思うものだけど、実はゴールを目指しているときの自由こそが、何よりも最高だと思うんだ。一度ゴールに到達すると、全ての自由を失うんだよ!
─なるほど…深いですね。当時のジョンさんにとって、最大のインスピレーションは何でしたか?
J 新しいこと。新しい挑戦。それらを探すこと。いつも好奇心いっぱいだった。新しい環境や新しい音楽、新たな刺激を求めて、自分自身を築いていったんだ。
─インスピレーションとなった人物はいますか?
J ボブ・マーリーかな。あとはピーター・トッシュとか。
─おすすめのトラックは?
J そうだな…いっぱいあり過ぎるよ!
─じゃあ、地球最後の日に聴きたい曲は?
J 地球最後の日!?…ピーター・トッシュの「Equal Rights」!
─人生の先輩として、失敗を乗り越える上でのアドバイスはありますか?
J 俺は人生で壁にぶつかったら、いつも音楽を聴くことにしている。あとは自分が楽しめることや、自分をハッピーにしてくれることを探して、自分自身を思いきり疲れさせるんだ。
─肉体的に?
J そう。できるだけ遠くまで自転車をこいだり、目いっぱいスケートしたりするんだ。一日中、死ぬほど疲れるまで。俺はそうすることで最高の気分になれる。良い休息を得られたときにこそ、達成感を得られるからね。
─30代、40代に向けてやっておくべきことってありますか?
J 自分の情熱を探し続けること。そして、何が自分をハッピーにしてくれるかを知ること。もし落ち込むような時期が来たら、そこから自分を掘り出して、ハッピーになれることに目を向けるんだ。音楽とか、スポーツとか、自分をハッピーにしてくれることに集中するんだよ。
─事故に遭って、一時は2度と歩けないと言われたそうですが、そこから復活する上での1番の原動力は何だったと思いますか?
J 負けを認めなくないという気持ち。前進し続けたかったんだ。俺は絶対に止まりたくないし、医者たちが何を言おうが、どうだって良かった。今もまだ満足はしていなくて、自分自身を満足させるためにトライし続けなければならないと思っている。俺のモチベーションは自分自身の中にあるんだ。常に進化したいと思っているからね。たとえば今日だって、朝起きて、より強くなるために何かしたいと考えていた。たとえ難しい状況でも前進し続けたいんだよ。
─スノーボードやスケートボード、そして音楽で世界中を旅してきたとのことですが、中でもお気に入りの場所はありますか?
J 俺にとっては場所ではなくムードの問題なんだ。誰かと良いコミュニケーションができたり、良い雰囲気だったりといったことだね。たとえば今、この瞬間もとても良い感じだよ!「ハッピーになるためにハワイに行かなきゃ!」とかではないんだ。それがどこであれ、良い感じのところが俺の大好きな場所になる。常にそういった環境を探している。
─40代になった今、最大のモチベーションは?
J 今でも常に新しい場所に行きたいと思っている。最近は都市からは離れて、自然を体験したいんだ。自然がオファーしてくれるものを知りたい。温泉とか山の中でのキャンプとか、そこで自転車に乗ったりね。そういったことがモチベーションになるんだ。
─では、今の最大のインスピレーションは?
J 音楽。あとは、俺と同じような最悪の状況を生き抜いた人たち。
─ジョンさんの人生のモットーを教えてください。
J Keep going(前進し続けろ)。俺はスローダウンしたりストップしたりしないようにしている。
─今後の予定は?
J これからも人生を生き続けるよ(笑)。どんなことがやって来ても受け入れるつもりだ。
ジョン・カーディエル:
1973年、カリフォルニア州サンノゼ出身。7歳でスケートボードを始め、10代半ばでプロスノーボーダーとしてデビュー。その後、再びスケートボードに夢中になり、プロスケーターとして活動を始める。1995年には親友のスケートボーダー、ジュリアン・ストレンジャーが立ち上げたANTIHERO SKATEBOARDSの一員となり、ハードコアなスケートスタイルでスケートボード界にその名をとどろかせる。2003年、オーストラリアでのツアー中に不慮のアクシデントに見舞われ、一時はスケートボード活動を絶たれるも、ポシティブな姿勢でピストバイクのライダーに。現在はANTIHERO、CHROME、VANS、Independent、Spitfireなどからサポートを受け、ピストバイク、ダウンヒルバイクなどの自転車を中心にライダーとして活躍しているほか、DJとしても世界中を飛び回っている。
photographer : 佐藤哲郎 / TETSURO SATO(最後の写真除く)
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