伝説のサーファー・佐藤延男が語る「正しい生き方のススメ」

先日ある人に会いに、東京から遠路はるばる伊豆半島まで行ってきた。それも半島の南端にある町、下田市。熱帯植物が生い茂り、深い緑と透明な海に囲まれた自然豊かなところだ。

ひっそりと佇む古民家に住んでいるその人は、かつてプロウィンドサーファーとして世界中の波に乗り、ジャーナリストとして戦場に乗り込み、帰国後は東海大学の准教授として自然環境学を教えていた。そして今は静岡の山で木こりをしながら、日本自然環境保全協会の理事長としてさまざまな活動をしている。彼の名は佐藤延男、人々は彼のことを「伝説のサーファー」と呼ぶ。

3時間に及ぶインタビューで彼は、「便利な世の中を追求することで、人は人間としての豊かさを失いつつある」と現代を評した。果たして今都市で生活する私たちに足りないものはなんなのだろうか。愉快そうによく笑いながら、ときおり娘に諭すような口調で私に語りかけてくれた。

70年代のカリフォルニアのサーフ文化を肌で体感

ウィンドサーファー、教授、ジャーナリスト、サーフボードシェイパー、木こり。さまざまな肩書を持ちながら、63歳の今もサーフィンは日課。20代の頃から渡り歩いた世界でどんな景色を見て、どんな人生を歩んできたのだろうか。

「サーフィンをちゃんとはじめたのは中学3年生のころかな。1968年くらいでまだ周りに波乗りをしてる人がいない時代だったよ。大学では体育学を勉強してたんだよね。コーチングっていうんだけど、今でいうところのスポーツトレーナーかな、それの走りをやってた。そのあとハワイ大学に行ってマリンサイエンスを学んで。大学卒業後はカリフォルニアに行って波乗り漬けの日々だったね。当時の文化はカリフォルニアの西海岸が世界の中心で最先端だったから、とにかくアメリカに行かなきゃっていう思いだった。

26歳のときにサーフィンに関する本を出版することになって、朝日新聞の記者の人に本の作り方を教えてもらったの。それをきっかけにジャーナリストとして世界中をあちこち取材して回ってたんだよね。最終的には出版社の編集長もしたんだけど、それだとサーフィンの大会に出られない(笑)。だからフリージャーナリストとして独立してハワイに移住したの。レジャー誌を多く出してた学研と契約して、海外の情報を日本に送って生計を立ててたよ。ポル・ポト政権時代のカンボジアに行って戦場に入ったこともあるし、オーストラリアのエアーズロックがまだあまり知られてない時代に撮影しに行ったりもした。とにかくジャーナリストの仕事はお金になったんだよね」

―プロサーファーとしても活躍されてたんですよね?

「そうだね。ウィンドサーフィンのプロを36歳までして、引退して日本に帰国したんだ。帰国後すぐに大学からオファーがあって、東海大学の准教授としてスポーツ学と海洋学を教えてた。そこから60歳まで大学にいて、今は山に入って木こりをしながらサーフボードを作ったり、自然を守る活動をしてる。もちろん今も波がある日は毎日サーフィン三昧だけどね(笑)」

―なぜ海から山へ移られたんですか?

「海が今ホントにヒドいんだよね。日本だけじゃないんだけど。昔の人は山に炭焼き場っていうものを作って、焼いた炭を山に撒いてたの。炭は浄化作用をすごく持ってるんだけど、それが日本全国で行われてた。だけど今や99%の炭焼き場がなくなって、だれもそれをしなくなったんだよね。

山を間伐していればまだいいんだけど、人の手が入らなくなった山がどうなるかというと、まず光合成ができなくなる。落ち葉に雨が降って、そこに光が当たって光合成が起きて、バクテリアが生まれて腐葉土ができる。腐葉土にさらに雨が降ると、そこからカリウム、ナトリウム、カルシウムっていう栄養素が流れ出て、田んぼに流れたり動植物の栄養になったり、我々が取水したりして最後は海に流れる。

海にも海藻の森があるんだけど、海藻は山から流れてくる水の栄養で育ってるんだよね。でも山に人が入らなくなったことで、そのサイクルが失われて海が荒廃してきてるんだよ。そのサイクルを『大循環』っていうんだけど、大循環を取り戻すために今は山に入って、海や山がどれくらい荒廃してるのかを調べてるんだ」

―海と山って密接な関係にあるんですね。

「そうなのよ。海が荒廃することで、生態系のバランスも崩れるんだよ。海藻が育つと、貝が海藻を食べて、貝をタコが食べる。タコを魚が食べて、魚を大きな魚が食べるっていう捕食連鎖があるんだけど、それが崩れることで海が砂漠化するの。日本の沿岸含め世界中が今どんどん砂漠化してるんだよね」

―世界中の海を見てきたからこそわかることですよね。

「そう、でもそういう環境問題って企業でも大学でも教えないでしょ? だから地域から地道に変えていくしかないんだよね」

―都会で生活してると自然がどうなっているかが目に見えないから環境問題を意識しないっていう。

「かつては自然とともに人は生きてたから、山や海を手入れすることが生活に密着した作業だったんだよね。でも生活様式が変わって、インターネットが出てきて、その便利さに皆が乗っかって、そういう土着的な暮らしを置き去りにしていっちゃったんだよな。でも良くも悪くも結果が出るまで人間って気が付かないじゃん。結果は出るんだよ、あと何十年かしたら。でもそのときじゃ遅いのよ。取り戻せなくなる前に動かなきゃいけない」

「たとえばアメリカとかヨーロッパとか、スウェーデンは特にだけど、なにが良くてなにが悪いのかがハッキリした教育をしてるのよ。ハワイだってそう。でも日本はお国柄か良し悪しを濁した教育をするでしょ。世界は生き方を考える時代になってきてるのにね」

―便利さだけを求めて自然破壊が進めば、人が生きること自体難しくなるということですよね。

「そうそう。たとえば伊豆だったら、どうすれば地域が良くなって、若者がちゃんと老人の面倒を見ながら住めるのかっていう形をつくるべき。田舎に住みたいっていう若者は結構いるんだよ。でも仕事がないから住めない。山の仕事とか、そういう地方での仕事をもっと増やさなきゃいけないよね。そうすれば健全な生活ができると思うんだ」

その日は車で伊豆半島をぐるっと回って散策した。80年代後半から90年代中盤までリゾート地として栄えた伊豆半島には、バブルの匂いが色濃く残っていた。そして人々の姿が消えた場所には錆びついた廃墟が点在していた。当時の時代の空気が残されているような光景は、少し不気味だった。勝手に開拓し、月日が経ちその場所を捨て去るような人間の勝手さに山が腹を立てているようにも思えた。しかしそれでも佐藤氏は、伊豆の海と山を見て、日本のどこよりも美しいと感じると話していた。

遊びは学問で、学問は遊び。そのことを若い子は全然わかってないよ

東海大学で20年以上にわたり教壇に立ち若者の変化を見てきた佐藤氏は、最近の若者を見て元気がない子が多いと語る。そして自身が海外の大学に通った経験や、行く先々で出会う人との関わりのなかで、日本における大学の姿勢や、大人が子どもの未来を考えていないことに異論を唱える。


―大学ではスポーツ学と海洋学を教えられていたとのことですが。

「サーフィンを教えるっていうよりも、自然科学を教えるためにサーフィンをやってた。自然科学を身に付けるには、自然のなかで自然と戯れるのが1番いい。たとえば海を知りたければ、サーフィンは軍隊でいうところの陸軍で、ほふく前進を海でしてるようなものだからね(笑)。いろいろなことがよくわかるわけ。だから3泊4日でサーフィンの集中授業を講義も含めて海でして、それで1単位出すみたいなことをしてたよ」

―いい学びですね(笑)。

「たとえばさ、今の子は家でゲームしたりインターネットをしてばかりで外に出て遊ばないじゃん。この辺に住んでる子どもですら"海に遊びに行こう"っていう生活文化がない。だから俺とかが毎日サーフボード持って歩いてると、『あの人たち大丈夫かな、毎日海で遊んでるけど』みたいなこと言われるのよ(笑)。たしかに毎日海で遊んでるんだけどね(笑)。たぶんそれは『遊ぶ』っていうことの意味がわからないんだろうね。だから生きる価値が違うわけよ」

「波乗りすると潮の満ち引きがわかるし、たとえば潮が引いてないと見れないところが全部見れるわけだ。『うわぁ、こんなところにこんな魚がいる、もう手づかみじゃん(笑)』みたいなさ。そうするとそれは学問になるのよ。子どもたちは『じゃあ明日は何時に海に来たらいいんだろう』って潮汐を調べるじゃない。すると満月と新月がわかるし、満月の闇夜に海に出ると、伊勢海老が出まくっちゃって買い物袋じゃ足りないくらいいっぱい獲れるのよ。今でもそうよ。でもみんなそれを知らないから行かないんだよ」

―知ってたら行きますもんね。

「そうでしょ。懐中電灯持って伊勢海老を手づかみだよ(笑)。そうやって遊ぶことが学問なんだよ。そこからはじまるわけじゃない」

―家のなかで好きなことだけを調べて、自分が生きていく上で不便のない方法を選んで生きているだけで、狭いところで生きているんだと実感します。

「学校教育ってさ、教育委員会と文部科学省が決めるでしょ。でもさ、日本全国で同じ教科書じゃなくていいと思うんだよね。20%同じ教科書を作っておいて、あとは地域に任せなさいよとかさ、そういう大胆な教育発想がないと、北海道と沖縄で同じ教科書を使って、右から右へ流れる教育が何十年も続いていいと思う? 」

―不自然ですね。

「不自然だよなぁ。結局面倒くさいんだろうね(笑)。不思議で仕方ないんだよ、ホントに。大学だってさ、学生と話してるときは最高だよ。だけど……大学のなんていうの、職員とかと話してると、『つまんねーから早く辞めよ』って感じ(笑)。夢もない人ばっかりでさ、こんなところにいたって全然楽しくないわってね。俺はあちこちで遊んできて、帰国してオファーが来たから面白そうだな、と思って引き受けたんだけど、やっぱり面白くなかったね」

「俺なんかは大学でも仕事をしてきたけど、仕事をはじめるきっかけはやっぱり自分の好きなことなんだよ。仕事っていう意識じゃなくて、それをするために生きるっていう。それはやっぱり日本人に足りないことだと思うよ。俺さ、就活してる人って可哀相で仕方ないんだよ。どんな仕事をするのかわかってないのに就職してさ」

―悲惨ですよね。100社落ちましたみたいな話もありますし。

「若者の芽を潰してるようなもんじゃん。もっとナチュラルな時間を過ごすと、人間のいい面がもっと出てくると思うよ。日本人が作ったシステムのなかで、どうしてもそこを通らなきゃいけないっていう風潮があるじゃない。それがちょっとマズいなって。大学では『生徒にいい就職先を』って言ってるけど、それは大学の都合でしょ?って思うよ。そうじゃなくて子どもたちにいい就職をさせるにはどうしたらいいかを考えたほうがいいですよって。だから教授会なんかに出るたびにそこにいる教授たちに俺はバンバン楯突いていくよね。『こいつらなに考えてんだ』って(笑)。子どものことなんてひとつも考えてないし、自分の出世のことしか考えてないじゃんって思ったりもする」

―就職率が上がれば、大学のイメージが対外的にもよくなりますからね。

「そうそう。でも違うだろ!?って。でもさ、ほとんどがそういう学校じゃない。ヒドいよね」

―でも佐藤さんに出会えた学生たちは最高に運が良いですね。

「いやぁもう最高だよ(笑)。夏になると俺のところに泊まりにくる生徒もいてね。そしたらある子はあまりにも伊豆が好きになっちゃって、すぐそこの役所に勤めちゃったり(笑)。都会から田舎に住みたいって言って訪ねてくる子は結構多くて、そういう子たちに俺が山の仕事とかを紹介してあげたりもするよ。日本人って元気がない男の子が多いんだよね。でも心のなかにビジョンがある人だったら、なんでもできるんだよ。海や山で生きるための知識やプログラムは俺たちの世代が持ってるからね、それを引き継いでいくだけだよ」

―都会に住んでる若い子で、田舎に行って何かしてみたいっていう子がいたら、佐藤さんをご紹介したいですね。

「俺が全部バックアップしてあげるよ。全然OKだよ(笑)」

あっという間に時間が過ぎ、ふと私は自分が育った環境を思い返してみた。ここまで人や自然に寄り添い、周囲のことを考える大人がどれくらいいただろうかと。都会の中心に立ち周りを見渡してみても、こんなに全力で遊び人生を謳歌してる人は見たことがない。

ここには書ききれなくて悔しいが、彼が世界中で成し遂げてきたことや経験談は笑いが止まらないほどユーモアに満ちていて飽きがこない。聞くところによると、突然お宅訪問してもなんら問題ないらしいので、携帯の画面越しに好奇心をそそられた君や、都会での生活に少し疲れた君、人生に迷っている君は「佐藤延男 サーフィン」などで少しググってみるといいかもしれない。

生きることを知り尽くしたカッコいい大人は、若者の未来を明るくするために今日も波に乗り地球と向き合っているだろう。

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