時代が生んだ映像作家、dutch_tokyoが魅せる多様な世界

2000年代初頭、携帯電話が広く普及し、中学にあがればガラケーを持たせてもらえる子どもが激増した。少年少女たちは小さな画面にかじりつき、チャットやゲームアプリなどを楽しんだ。しかしある少年は当時出回っていたゲームをつまらないと感じ、それなら自分で作ってしまおうと独学でプログラミングを学び始めたという。そして自作のゲームを友達に配り歩き、自分たちだけのユートピアを創り上げてしまったのだ。その少年こそが、若手映像作家dutch_tokyoだ。

suchmosKANDYTOWNなどのミュージックビデオ(以下:MV)を手掛ける彼は、今の若手インディーシーンを代表するバンドのひとつ、yahyelのメンバーでもあり、ライブ時のVJを担当している。スモークやネオンを使用したエモーショナルなMVからサイケデリックなVJまで、ジャンルを縦横無尽に練り歩く彼の映像哲学とは? まだ走り出したばかりの青年が思い描く映像表現の形について聞いた。

すべてはYouTubeとgoogleが教えてくれた

先述のとおり、中学生のときにゲームを制作していた彼は、当時のアプリストアランキングでトップページに表示される20位以内に入ることを目標に掲げた。しかしそれを達成し、熱は尽きてしまったという。その後どのようにして映像作家を目指す流れになったのか。

「高校ではアメフト部に所属していて、休みが週1回しかなかったんです。その少ない休日のなかでどう疲れを癒すかを考えていたら音楽にハマりました。そこから『いい音楽をいい音で聴きたい』という欲に駆られて、休みのたびに秋葉原に通ってはアンプを作りはじめました。そのアンプで好きな曲を聴いて『今ライブ会場にいるわ~』っていう自己満足な遊びをずっとしてましたね。

高3のときに、僕がゲーム制作をしていたのを知ってた中学の同級生から『映像を作ってほしい』という電話がきたんです。『お前パソコン強いからいけるっしょ』って、全然違うんですけどね(笑)。僕もなぜか煽られた気がして、『できる』って言っちゃったんですよ(笑)。分からないことはYouTubeとgoogleで調べながら、映像制作を学びはじめました。それがすべてのはじまりです」

仲間を選んだ末の殴り込みフリーランス

「大学時代にはイベントのオープニング映像を作っていたんですが、それをきっかけに同世代で映像や音楽を作れる人と出会って、4人くらいのチームで小遣い稼ぎしてました。ただ僕が映像で生計を立てられるようになったのは1年半前くらいですね。

趣味とはいえ映像を世に出したりVJで人前に出たりすることで興奮を覚えて、映像に憑りつかれちゃったんです(笑)。大学の部活を引退してから『さすがに食わないとマズい』と思って、殴り込みフリーランスとして活動しはじめました」

制作会社に入らず、フリーランスとしての活動を選んだdutch氏。その大胆な決断に、若者の底なしの強さを見た気がした。映像業界の右も左もわからないまま独立することに不安はなかったのだろうか。

「大学時代からsuchmosやKANDYTOWNとは友人として遊んでいて、ちょうど彼らの音楽が評価されはじめたあたりに、僕にも映像監督の下につかないかという話がいくつかきていたんです。でも僕は生意気にも『ずっと一緒にやってきた彼らとの関係は切りたくない』と思って、それならひとりで頑張るしかないということでフリーランスを選びました」

そんな友人のひとり、KANDYTOWNのIO氏は、彼に映像作品を依頼した理由について、「自分のスキルに限界を感じたときにそこにいたのがdutchで、スキルはもちろん感覚や佇まいがリアルなCity boyだったから。俺たちが見せたいイメージをそのまま撮ってくれてるから安心できる」と答えている。そのイメージの共有は、友人としての親交が生み出したものなのだろう。

映像の存在意義は20%の付加価値

かくして映像業界に飛び込んだ彼は、VJ としてyahyelのメンバーとしても活動しているが、MV制作とVJに明確な違いはあるのだろうか。そして新しいMVが出るたびに、まったく違った顔を見せてくれる彼のイマジネーションはどこからやってくるのだろうか。

「VJに求められるのは舞台演出のようなもの。アーティストが100%の力を出したときに、全体を120%のパフォーマンスに持っていけるような付加価値があるものだと思ってます。特に僕はyahyelのメンバーでもあるので、100%自分の作風を出せるんですよ。

ただMVに関しては、どれだけ映像が良くても音の評価が悪ければ再生されないのが現実。だから自分の色を出すよりも、アーティストさんの人間性や、曲のメッセージ性に寄り添った表現を心がけてます。MV監督作は、アーティストによって色が全然違うし、共通する作家性みたいなものはないですね」

「僕には師匠がいないので、YouTubeだけが頼りでした。それが正解かどうかは分からないけど、企画から監督・カメラ・照明・小道具・編集して納品までリアルひとりなので、自分で考えるしかないんですよね。

人の話を聞いたり作品を見て感動したりしても、それを僕がやれるわけじゃないし、今の自分に何ができるかを考えないと意味がない。制作時はとにかく引きこもって、いかに自分の力で沸き立つものだけで心地いい作品にするかを考える。自分との闘いです」

yahyelに関する作品は、特に世界観が強く打ち出されており印象深い。yahyelのメンバーである篠田ミル氏に、dutch_tokyoがVJとして参加する意義を聞いたところ、以下のような答えが返ってきた。

「yahyelのテーマが、国籍不詳・ジェンダー不詳ということにあるので、ライブ中であろうと演奏者の身体に注目がいきすぎてはいけない。

ライブにおける視覚情報は、演奏者の身体と密接不可分な関係だと思うのですが、音を抽象化して視覚情報化している彼のVJが介在することで、そこの分離が可能になっていると思います。yahyelメンバーの身体はいらないけど、彼のVJは必要なんです(笑)」

100%の自分を出せるyahyelという存在

コメントを受けて、dutch氏はこう言う。

「たしかに音のイメージを視覚化してる部分はありますね。yahyelが僕のなかでもストレートな表現になっている理由は、バンドメンバーだからだと思うんです。曲ができていく過程をすべて見ているので、僕が思い描いていることがそのまま出ている感じはあります。

yahyelのみんなが僕のことを必要不可欠だと言ってくれることはすごくありがたいし、僕もそう思っています。やりたいことが100%出せる場としても必要不可欠なんです」

即興で音楽を作るようにライブハウスを演出するdutch氏のVJは、ライブごとに色を変えるため、客は常に新しい世界を見せられることになる。

「yahyelのライブの場合、1曲に対して100個くらいの素材を用意します。それをサンプラーに入れて、音に合わせてパッドを叩いて映像を出力してるんです。会場の空気に合わせてアドリブで映像を変えたいし、バンドのグルーヴが生まれていく瞬間を感じることで映像がどんどん良くなっていくから。VJを楽器的に捉えて、その場の感覚でセッションしてる感じです。ふだん引きこもっているぶん、ライブでは別の人間になれるし最高です。ほぼなにも覚えてないんですけどね(笑)」

私が初めてdutch氏に会ったとき、とても物静かそうな印象を持ったのだが、インタビューのなかでライブVJの話をする彼はとても楽しそうで、つられて微笑んでしまうほどだった。

そんなyahyel のライブを見て、彼に映像をオファーしたアーティストもいる。

アンビエントR&Bシンガー、向井太一氏は「音と映像がすごくカッコよくて、初めてyahyelのライブを見た日に音源を買いました。知り合いにdutchさんを紹介してもらったのですが、話してみると、年齢が近かったり彼の物事への考え方が好きだったりということもあり、MV制作の際に真っ先に名前が挙がりました」という。

映像をもっと身近に感じてほしい

dutch_tokyoは、今後音楽映像以外にも活動を広げていくようで、既にファッションムービーのプロジェクトやショートムービーの制作をしているという。若手フリーランスとして猛進を続け、さまざまな映像に触れるなかで「映像コンテンツが向かうべき未来」についてどのように思っているのだろう。

「映像は、写真や音楽よりも身近にあるようで、実はまだない。ポップさが全然ない。たとえばすごいCMを見ても、一般の人は『すげ~』で止まってその先がない。一歩踏み込んで調べても制作会社くらいしか出てこないし。でも僕は『どこぞの変態野郎がこれを作ってるんだ』ってことが知りたいし、そこがもっと前に出るべきだと思う。今は映像と人が分離されすぎているので、『こんな人間がこんな映像を作ってる』という部分を伝えるべき」

「だれかが表に立つことで映像の世界がもっとメジャーになれば、癒しを求めて音楽を聴くように映像も気軽に見てもらえるんじゃないかな、と。だから、僕は今とにかくテレビに出たい。そこで適当なことをぺらぺら喋って『あいつ何者なの』って思われて、僕のことを調べたら『こんなすごい映像作ってるやつらしいよ』って繋がる環境。僕という人間と映像作品が、ちゃんとリンクする環境を作りたいですね。

だれが作っていて、どんな意味があるのかを知ってもらうために、音楽だけじゃなくて映像っていう広いくくりのなかで仕事も表現も手を出していきたいです」

インタビューを終え雑談をしていたとき、カメラマンの関氏が「独学に限界は感じないのか」と質問する声が聞こえた。するとdutch氏が「僕がした選択にはなにも後悔はないです。そのときにやるべきこと、やりたいこと、今しかできないことを選んだだけなので」と話していた姿が目に焼き付いている。リーマンショック以降の混沌とした時代を生きてきた青年だからこそ、芯を持って強く生きられるのだと、日本の未来が明るく思えた瞬間だった。

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