スニーカーのブランドの歴史について調べてみますと、いかに人間の生活に密着し支えてきたかがかがわかります。昔はスニーカーコレクションは男子のモノと思い込んでおりましたが、今ではその気持ちが理解出来るようなような気がします。
今回はPUMA(プーマ)について。
PUMAといえば、サッカー用品に強いイメージがある人もいるかもしれませんね。実はレーサー用シューズも手がけていて、F1レーサーの多くはPUMAを使用しているとか。
1920年、ドイツの靴職人の息子として生まれた、兄のルドルフ・ダスラーと弟のアドルフ・ダスラーの2人が、”ダスラー兄弟商会”という靴会社をスタートさせたのが始まりです。
兄のルドルフはセールスを担当し、弟のアドルフはプロダクションを担当。
それぞれのスポーツに合わせた専用のスニーカーを開発し、その実績から多くのアスリートからの評判を得て、世界中に広がることになります。1928年アムステルダムで開催されたオリンピックでは、アスリートの半数がダスラー製のシューズを着用していたそう。
その中でも一気に花を咲かせたのは、体育館履きなんです。
当時は紐靴が主流だった中、靴紐の代わりにゴムがついた革底の体育館用の靴が一気にブレイクしました。
その後順調に見えた”ダスラー兄弟商会”でしたが、第二次大戦後兄弟間での意見の食い違いから、会社を分けざるを得ない状況にまで陥ります。
兄のルドルフには多くのセールススタッフが付いて行き、ルドルフの「RU」とダスラーの「DA」を採って”RUDA”というブランドをスタートさせましたが、その一年後に社名をPUMAに変更し、より軽快なイメージを世界に示しました。
その一方、弟のアドルフはPUMAと川を挟んだ向かいにアトリエを構え、彼のニックネームだった「アディ」とダスラーの「ダス」を採って社名を”adidasアディダス”というブランドでスニーカーを制作し始めたのが、始まり。
なんと、人間味のあるストーリーでしょうか。今でも皆に愛される二大スニーカーブランドは兄弟喧嘩から生まれたんですね。
その後PUMAはBEASTIE BOYSや、プロスケーターのSCOTT BOURENが使用した事で、ダンサーやスケートボーダー、発売当時には名前すら無かったスニーカーが、いつの間にか「スエード」と呼ばれ、今でもベーシックスタイルを貫くモデルとして健在しています。
世界最速の男「Usain Bolt(ウサイン・ボルト)」の為に開発された、ランニング用スニーカーであるFAASシリーズも世界を驚かせました。
ちなみにFAASとはボルトの故郷ジャマイカで使用されている、パトワ語で「速い」という意味なんです。まさにボルトのために作られたことがわかります。
そうだ。
今までで一番もらって、センスの良かったお土産を思い出しました。
UMAのTシャツ。
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