スニーカーのススメ|09 〜コンバース編〜

夏が来たかと思えば、冬が少し恋しい季節です。

前回はNIKEについて書きました。なので今回はNIKEの子会社でもある、CONVERSEについて。

ニルバーナのボーカル・カートコバーンやジェームス・ディーンがジャックパーセルを愛用していたことでも有名なのは、言うまでもないかもしれません。


2003年、CONVERSEはNIKEに360億円で全株式を譲渡し、ナイキ(NIKE)の100%子会社と成りました。当時は大きなニュースとして取り上げられたので、記憶にある人もいるかもしれませんが、何となくこの二つのブランドが繋がっているイメージ、薄くありませんか?

なぜなら、株式譲渡した後も、セールスや商品開発などは独自に続けられる経営方針を維持しているからなんです。何だかナイキの親心を感じてしまうのは私だけでしょうか。

アメリカ、マサチューセッツ州でゴムの会社を営んでいたマーキス・M・コンバースが、1908年にCONVERSEを設立しました。マサチューセッツ州の土地柄、雨など天気の悪い中でも仕事ができるような靴を製造したことがきっかけで、品質の良さからも評価を得て、1910年には従業員350人を抱える企業に成長しました。

しかし、雨や雪に適応したスニーカーを作っても、年間の売り上げが安定ませんでした。そこで年間通じて安定した売り上げを見込める、スポーツ用スニーカーを作ったらどうかと考案しました。

YMCAのネイスミス博士とともに、試行錯誤を繰り返して1917年に世界初のバスケットボール専用スニーカーを発表し、それが今でも変わらないスタイルを貫く『ALLSTAR(オールスター)』なのです。

シンプルなスタイルの中に完璧な機能を持ったALLSTARは、当時のスタープレイヤー、チャールズ・H・テイラーが現役時代を通じて愛用し続けた事でとても有名です。

チャールズ・H・テイラーは現役引退後もアドバイザーとして関わり続け、ALLSTARの進化に大きな功績を残しました。1946年からALLSTARのアンクルパッチに彼の名前が刻まれているのは、その功績を讃えたものなんです。

もう一つ。先に挙げたジャックパーセル、実はバトミントンシューズとして発表されました。

1932年から14年バドミントンのワールドチャンピオンとして輝いたジャック・パーセルが開発に参加し、1935年に発売されたのが、ジャックパーセル。

「ヒゲ」と呼ばれるつま先部分のラインはスマイルと言われ、シグネチャーデザインとして今も変わらないデザインが受け継がれています。

そういえば、NYのお金持ちがこぞって集まるハンプトンというエリアに行って。

わざわざブランコをしたのが最近の良い思い出です。


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