ニューヨーカーが愛する地ビール、ブルックリンラガーが飲める店

原宿で用事を済ませ、自転車で代々木公園の間を抜け、本店通りを渋谷方面へと左に曲がった。

日は暮れたばかり。普段より少し早い時間に、取材という口実を持って店に行けることにワクワクしていた。「早く飲みたい」と、自分の乾いた喉を感じながら自転車のスピードを緩めると、タイミングよくマスターのリョウさんが店の奥から出てきた。

「どうもです。今日はいろいろと話を聞きたいんですけどいいですか? 実はお店の取材をしたくて」

「え、ああ、いいですよ。僕でよければ」

良かった。リョウさんのこのソフトタッチな応対こそが、このBARの居心地の良さに直結しているんだと思った。大抵のことには動じそうもないし、変なアクの強さとか強烈すぎるエゴもない、淡々としてるが安定の心地よさ。そんな人である。


「あ、お客さんまだ誰もいないんですね。写真も撮りたかったからちょうど良かった」

自転車にロックを掛け、店の奥を覗いた。

良い眺めだ。あらためて説明すると、この店は最近「奥渋(オクシブ)」という、渋谷の奥を意味するちょっとソワソワする名称で、注目されつつあるエリアにあるBAR「418 KAMIYAMA」だ。ズバリ、住所は渋谷区神山町4番18号。

僕はこの「418 KAMIYAMA」に4年くらい前から通っている。ただ、実際は週に2回行くこともあれば、3ヶ月くらいまったく行かないこともあったりする。そんな熱心ではない距離感だが、自分では勝手に常連だと思っている。


「とりあえずパイントもらっていいっすか。ブルックリンラガー」

「了解っす」

安定のいつもの感じだ。


ヤバイ、喉が鳴る。流し込みたい。

「はい、お待ち」

「あざっす。ゴクッ…ゴクッ……。いや〜美味い。落ち着いたっす」

実は上の写真は2杯目である。1杯目は撮影するのを忘れて思わず飲んでしまったのだ。

取材しなければ。


「リョウさん、この店って何年になります? あと経歴的なの教えてください」

「えっと、6年半かな。2009年の10月にオープンしたから。その前は高円寺の飲食店で働いてましたね。ざっくり言うとカフェというかそんなところで」

「もともとBARやりたかったんですか? あ、チーズバーガーください」

「実は、特にBARがやりたかった訳じゃないんですよ。なんとなくこのくらいのサイズの店をやりたくて物件を探してたらここが見つかって、たまたま“BAR向き”な形をしてたっていうくらいで。だから物件ありきですね。何件か探したけど、なかなか良い物件がなかったんですよ。そもそも神山町に出したかったわけでもなかったし」

「え? だって店名KAMIYAMAですよ? 一番探したのはどの辺だったんですか?」

「一番ていうのがないんですよ。代々木八幡から代々木上原界隈、祐天寺とか、あと千駄ヶ谷とか、渋谷に近いエリアだけど繁華街じゃないっていうことだけがポイントでしたね。店を出したのが東京に来て5年目くらいだったんですけど、ずっと中野に住んで高円寺のカフェで働いて。でもそのエリアもそれほど所縁のある場所って感じでもなかったし、極端に言うとどこでも良かったんですよ」

こだわりのありそうな店構えとは裏腹に、次々とゆる〜い返事が返ってくる。

「出身はどこでしたっけ?」

「出身は大阪なんですけど、高校は福岡に行って、20歳の時に大阪に戻って、その後ニューヨークに行ってそれから東京に来たって感じです」

「ニューヨークはどのくらいいたんですか?」

「25歳の時からブルックリンに3年くらい住んでましたね。それこそブルックリンラガーのブルワリーのすぐ近くだったんですよ。ただ値段が高いからバドワイザーばっかり飲んでましたけどね(笑)。バドワイザーなら1ドルもしないけど、ブルックリンラガーは3ドルくらいするんですよ」

「え、じゃあ自分で店を始めるなら絶対にブルックリンラガーを扱いたいとか、そういう熱い思いがあったわけじゃないんですか?」

「無いっすね。しかも、このお店を出した頃はまだブルックリンラガーのドラフトは日本になくて、半年くらいした頃にブルーノートが引っ張ってきたんですよ」

完全にブルックリンラガー押しの店だと思っていただけにこれは驚きだ。


「最初に扱ってたのはバスペールエールのドラフトっすね。新宿にあるブルックリンパーラーって店があるの知ってます? あそこって母体はブルーノートなんですよ。そのブルックリンパーラーでブルックリンラガーの生を輸入しようかと模索していたらしいんですけど、コスト面で合わなかったみたいで、それで日本でライセンス生産出来るところを探して木内酒造さんが手がけるようになったんです。最初はブルックリンパーラーに卸すためだけに独占で生産していたようなんですけど、僕がその噂を聞いて木内酒造さんに連絡したら『いいですよ』ってことで入れてもらえ始めたんです。ところが、半年くらいたって、雑誌とかでお店の紹介がされるような機会も増えてきて『ブルックリンラガーの生が飲める店』って記事が出たりして、それでブルーノートにバレたらしく…」

「ダメだったんですか?」

「本当はダメだったみたいです(笑)。それで3か月くらい納品をストップされて。でも今まで扱ってたしってことで交渉したらなんとか了承してくれて再開しました。あまりメディアとかで大きな声で言わないでくださいねって。でも今はもう他にも卸しているみたいだし、問屋の流通にも乗ってるみたいなんですけどね。あの時止められたのはなんだったんだ?って(笑)」

「その3ヶ月止められてる間は何を出してたんですか?」

「バスペールエールです」

「やっぱり(笑)」

「はい、チーズバーガー」

「おお、写真撮らなきゃ。あ、お店で最初に出したフードメニューって何ですか?」

「最初はホットドッグを出してたんですよ。ホットドッグにビールっていうのを店のウリにしようと企んでたんです。ただ、いかんせん評判が悪いというか『ハンバーガー無いの?』って言われることが多くて(笑)。ハンバーガーの方が引きが強いなって(笑)」

ここで少しだけ一押しメニューを紹介すると、上が小さいハンバーガーことスライダー。酒を飲んだらそんなに量が食べれないなんて方にオススメ。あとは、ナチョス人気も非常に高い。マジで美味い。コールスローやチキン&チップスもよく頼む。


最近はブルックリンラガーだけでなく、フクロウのロゴで知られるHITACHINO NEST BEERもドラフトで飲める。これまたビール好きを唸らすセレクトだ。


そしてフォークやスプーンはリョウさんのお気に入りだというTRUSCOの工具箱に入っている。

「そういえばブルックリンでは一人暮らししてたんでしたっけ? 家賃高くないですか?」

「当時はまだ安かったんですよ。2駅くらい外すと現実的な値段というか。でもめちゃくちゃ広くて100畳くらいあったんですよね」

「100畳!?」

「あれ、言い過ぎかな、80畳くらいかな。でも10メートル四方以上あったから100平米以上はあったと思いますよ。家賃は900ドルだから当時で10万円くらい。安いですよね」

「かなり安いですね。ブルックリンでは何やってたんですか?」

「日本食レストランでバイトしてましたね。そういうところしか雇ってもらえなくて。学生ビザだし税金納められないし。モグリで働くしかないというか、同じ日本人という絆だけで働かせてもらってましたね。メキシコとか南米の連中と一緒にチキンの照り焼きとか作ってましたよ。メキシコの人はチキンを捌くのがすごく上手いんですよ。シャッシャッシャって」


チキンの話を聞いているのだが、なぜかさっきのホットドッグが頭をよぎりソーセージグリルを追加した。

「ブルックリンのエピソードなんかないですか?」

「エピソードですか? かっこいい話はないですけどね(笑)。そういえば、一応最初はルームシェアをしてたんですよ、現地で知り合った日本人の友達と、イギリスと日本のハーフのイカれたオバちゃんと、よく分からないチャイニーズのおっさんと僕の4人。ただ、みんなそれぞれが大家とやりとりして各部屋に鍵もかかるようになっていたからルームメイトのことはあんまり知らなかったんです。そんな中、唯一の日本人の友達はビザを持ってなくて不法滞在だったんですよ。そしたらある日、朝5時くらいに玄関のドアがドンドンドンってノックされて、『なんだ』と思って目が覚めたんですけど、怖いから気付かないふりして寝てたんです。そしたらイギリス人のオバちゃんが出て行って『NYPDだ』と。しばらくして、ついに僕の部屋の前に来てノックされて『出てこい』と。まあ僕はやましいことはなかったから出ていったら『こいつはいるか?』って入国管理の人とかも来てて。ただ写真を見るとチャイニーズの奴だったんですよ。結局そうこうしているうちにチャイニーズの部屋が見つかって引っ張り出されて連行されてましたね。あれ、この話のオチなんだったっけな(笑)。ああ、そうだ。向こうって捕まえる時に容疑者が自害しないように靴ヒモを抜くらしいんですよ。それを思い出したんだ。そういう連行される準備みたいなことをトイレに連れて行かれてやってましたね」

「不法滞在の友達じゃなかったんですね。その人は大丈夫だったんですか?」

「パスポート見られたら終わりだったんですけど結局バレなかったですね。『お前もチャイニーズか?』って聞いてくるから『ジャパニーズ、ジャパニーズ』って一緒に日本人ブランドを打ち出して(笑)。その友達も通ったことのあるニューヨークの学校の名前とか出して世間話ではぐらかしてましたね。でも多分そのチャイニーズは不法滞在というかもっとヤバい事をやってたんじゃないですかね。結局捕まった理由も分からずじまいなんですよ。大家ももしかしたら連行されただけですぐ戻ってくるかもしれないからって部屋はキープしてたんですけど、3ヶ月待っても戻ってこなかったから他の人に部屋を貸してましたね。刑務所にいるのか国に返されたのかも僕らは知らないままですね」

「あ、もう一個思い出した。さっき話した一人暮らしの広い家の時も警察が来たんですよ。『こいつはいるか?』って黒人の写真を見せられたんです。いや住んでるのは僕一人だと。で一応部屋を見て回って、『ああ、ここだ』ってなんか納得してて。聞くとその黒人がここで首を吊って自殺したんだって言うんですよ。そんな事をわざわざ言いにきたのかよって。え~って。だから家賃安かったのかもしれませんね。広くて快適で良いな〜って思ってたんですけど。エピソードってそんなことばっかりですね。まあ日本ではあまり経験出来ない事ばかりですけどね」


既にパイントは3杯目に進み、少し酔ってきた。ふと見渡すと店内にはお客さんが2組ほどいた。これから混んできそうだ。お店はカウンターが4席と、テーブル席が大小3つ。席数で言うと全部で20弱という広さだ。この神山町というエリアは隣の富ヶ谷なども含めてデザイン事務所や編集部なども多く、そこに集まるカメラマンやアパレル関係などの業界の人も多い。リョウさんにもそういう繋がりがあるのか、この「418 KAMIYAMA」の内装も落ち着いた感じでとても心地よい。完全に酔っ払う前に聞いておこう。

「高円寺のHIGH-LIGHTっていうアンティーク屋さんと、その人の紹介でR.O ELECTRICIAN WORKSって電気屋さんと、Fullstoneていう内装屋さんの3人にお任せしました。僕は乗らないんですけど、みんなハーレーダビッドソン繋がりの人たちですね。図面も無しで作業して、毎日夕方になって、明日どうしましょって感じで進めたんです」


バーカウンターの後ろの壁には、その3者のお墨付きかのようにロゴが3つ並んでいた。

「そしてロゴデザインをみんなの紹介でNUTS ART WORKSさんにお願いすることになったんです」


NUTS ART WORKSといえば、サインペインター界のパイオニアとも言われる人じゃないか。数々のショップのサインやグラフィックを手掛けている大御所だ。


「もちろん是非お願いしますってなりましたね。店の屋号を伝えてサインに関してはお任せしますって。でも実は一回だけやり直しをお願いしたんですよ。最初はもうちょっとポップで可愛い感じに仕上がったんですけど、6年前の自分はもうちょっと渋い方が良かったんですよね。それが今のロゴです」

おお、最後にやはり拘りが見えてきた。実は隠しているだけでもっとあるんじゃないのか。聞いたことあるぞ。カッコいい男は自分からは多くを語らないと。


「あとは6年やってきて、小物やラグとかそういうのは完全に僕の趣味で増えてきましたね。いろんなところに行って見つけたら買うっていうのを繰り返してます。まあ一言で言うとアメリカですね。しかも西じゃなくて東。やっぱりニューヨークの影響が大きいのかもしれませんね」

居心地が良い。これはまさに気取らないデイリーウェア的な心地良さだ。

そして、3杯目の残りを喉に流し込み、これで最後にしようと4杯目のパイントを頼んだ。明日も頑張ろう。

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