「得体の知れないDOPEさに身震いを感じた」。そんな感覚に陥ったのはいつぶりだろう。己の視角から取り込まれるKANTOのアートワークに、脳内だけでなく身体全体にドーパミンが分泌されているのを感じた。それがKANTOの作品との初めての出会いだった。
自分がKANTOというアーティストの存在を知ったのは、2〜3年前の話。大都市東京をサヴァイブするドイツ人のホーミー・BENJIから「友達がやってるエキシビジョンが半蔵門であって、そこでスピンするから来ないか」といわれたのがすべてのはじまりだった。
半蔵門という辺境の地になぜアートスペースなのかという疑問は残りつつも、その場に居合わせた悪いパイセン・ANDYとタクシーに乗り込み会場に向かった。大体アートエキシビジョンのオープニングレセプションなんて、”アート好き”を自負するフリービア目当てのハゲタカ野郎ばかりだ。しかし、会場である半蔵門にまでわざわざ足を運ぶオサレピーポーなんていない。そこが逆に良かったのかもしれない。
『AMAZE』と題された個展の会場となったANAGRAは決して大きいスペースではないが、無垢の木を使いながら限られた空間にセンス良く飾られたアートワークの数々に一瞬で引き込まれる自分がいた。ANAGRAの無機質な空間を飾る人間の腕や動物たちは、迷路を思わせるラインとカーブで構成されている。ストリート感を持ちながらも、職人技にも似たラインワークの緻密さは簡単に描けるものではないのは明白だった。
インタビュアーという仕事柄「あなたのアートスタイルとは?」という問いを多くのアーティストに投げかけてきたが、今まで遭遇したことがなかった未知の画風に、その答えを強烈に求める自分がいた。
「迷路のMAZE、驚きのAMAZEを組み合わせた造語。もともとタイトルをつけるとかはなくて、友だちと酒を飲みながら生まれた言葉が自分のスタイルとなっていった」という本人の回答に妙に合点がいき、自分の脳内ではIPPONグランプリの10点満点が強烈に再現されたのはココだけの話(特にくうちゃんが出た回)。
先にも述べたように、KANTOのDOPEさは程よいストリート感にあると思う。建築家である父の影響もあり、イギリスにて建築を本格的に学んだという真っ当なバックボーンがありながらも、「廃墟に友だちと潜り込みグラフティーに触れた」というコメントにもある通り、KANTOの持つストリート感はグラフティに起因している。そこがストリートにいるヘッズやラッパーたちからのリアルな支持につながっているのだろう。
しかしストリートでのプロップスを得ながらも、「煮詰まったときは、美術の教師である母親に意見を求める」というギャップはしっかり萌えポイントも抑えているのではないだろうか。
シーンに精通する日本語ラップヘッズならば、B.D.氏の3作目となる『BALANCE』のアルバムカバーの”ヤバさ”はご存知の通りだろう。B.D.氏の音楽が持つ揺るがなきDOPEさを、線と陰影を複雑に組み合わせて構成された11本の腕が踊るカバーがさらに引き上げていることは言わずもがな。
「すべてB.D.さんの腕を元に描いた」と本人は語るが、生真面目な日本人とドイツ人というミックスだからこそできる技なのだろうかとも思ったり。ちなみにシングルカットされた『KAZE』には本人もサラッと出演しているとか。
そもそもB.D.氏のアートワークを手がけるきっかけは、日本語ラップが誇る超絶DOPE MC"緑の5本指"ことNIPPS氏との出会いから始まったという。
「デミさん(NIPPS氏の愛称)が、自分のアートワークをアルバムジャケットに起用してくれた。そこからTETRAD THE GANG OF FOURのアートワークを手がけたのがきっかけで、B.D.さんのアルバムジャケットの話が始まった。デミさんは包容力のある人だし、なんかいいスタンスで付き合えているというか」と語るKANTO。さらに、この話も日本語ラップヘッズには懐かしいだろうが、NIPPS氏のブランドであるNUTS & BONESのTシャツデザインなども手がけていたとか。
インタビューではなくKANTOと個人的にチルをする時間があったのだが、好きな日本語ラッパーには今は亡きトウカイテイオーことTOKONA-Xを挙げるあたりや、NIPPS氏との繋がりなど、KANTOのDOPEさを改めて感じずにはいられなかった。
同い年ということで自分が勝手に親しみを覚えているだけかもしれないが、KANTOの魅力は本人も気づかない壮大さにあると思う。中目黒生まれ茨城育ちで日本語ラップを愛しているし、母国語は日本語。しかしながら英語、ドイツ語を流暢に操り、最近ではスペイン語も話せるようになっている。さらに最近の活動では、なんでもメキシコで現地でアーティスト活動する友人と建築とアートを融合させたワークショップをこれまでに3 回開催しているらしい。
このワークショップ『AAVS Las Pozas』はメキシコシティーや世界中の学生たちを巻き込んだ大掛かりなプロジェクトとなったが、もともとの始まりは「一緒に学校に通った奴らは会社に勤められるような人間じゃないし、自分らで何かスタートしないと次のステップにいけないと思った。しかも、それが”仕事”だったらなおさらいいなって」とのこと。シンプルな動機ながら、ストリートアートという限られたシーンだけでなく社会貢献や教育などを含めたプロジェクトを形にしてしまうのは、KANTOの懐の深さがあってのことかもしれない。
東京出身ながら、世界各地でボーダーレスに活躍するKANTO。そんな彼を自分はこれかも「東京で一番DOPEな奴」として挙げ続ける。
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