Apocalypse the galaxy 03

2004年
ぼくの人生が変わった年。

僕は結婚をして3年半務めた会社も辞めフリーでデザイナーをやっていた。

rammellzeeを知った駆け出しの頃に比べていろんな知り合いも増えたし、

やりたかったCDジャケットの仕事や、アナログジャケットのデザインもやった。

ただ、あの頃自分が憧れていたtomatoにはなれなかった。


そんな生活の中でもrammellzeeのdigは日課のように続けていた。

Yくんを含めたラメ友(ラメルジー友達)と情報交換しながら情報収集をつづけていた、

そんなある日、rammellzeeのアルバムがなんと日本のレーベルから発売される情報が流れてきた。

それだけでも大事件なのに、さらに単独ツアーが決定!!!
それだけでも天変地異なのに、なんとそのツアーTシャツのデザインの依頼が僕に!
まさにビックバン!

きっかけはKさんだった。

Kさん「丹波くんrammellzee好きだったよね?今度日本ツアーやるんだけど、Tシャツのデザインやんない?」
僕「やらせてください!!!!!!!!!!!!」

即答はあたりまえすぎる、人が産まれたら死ぬぐらいの当たり前さだった。

早速、レーベルのD氏、コーディネーターのIさんを紹介してもらい、MTGが始まった。

細かいことは覚えていないけど、これまで身につけたデザイナーの技術をつぎ込んだような気がする。

ただかっこよく、rammellzeeの格好良さを表現できるようにデザインをした
・・・・つもり、、、、

正直結果はどうかはわからない、いいデザインだったどうかもわからない。

いや、客観的にみてもすごいデザインではない、ごくごく普通のデザインだ。

でも今まで10年くらいデザイナーとして仕事をしたどんな仕事より充実感を感じた。



この時僕はやっと気付いた。

僕はCDジャケットやアナログのデザインがやりたかったわけではなかったみたいだ。

tomatoになりたかったのは、好きだったtomoto、underworldのジャケットやPVをつくりたかっただけなんだ。

今まで作ってきたデザインのアーティストのことは別に嫌いだったわけではない、
でも、rammellzeeのように心酔したアーティストは他にはいない、

おそらく今後も現れないと思う。

今までデザインの仕事をしていた時のモヤモヤが晴れていくのがよくわかった。

これを機に僕のなかでの、仕事と物作りの違いがはっきりしていく。


そんなことより、2004年7月2日
その日は訪れた、場所は今は無き西麻布YELLOW

妻と友人で入場し、D氏、Kさんに挨拶をして、Iさんに会う。

そして、Iさんが僕をrammellzeeを紹介してくれた。


いた! でかい! rammellzeeだ!

うれしすぎてあんまり覚えてない、断片的にしか覚えてない。

だから、断片的に書く。

I「Tシャツのデザインをした丹波くんだよ〜」

R「うわっはっは〜、ありがとー」

俺「今何を書いているんですか?」

R「ライブで使う呪文だよ」

俺「何てかいているんですか?」

R「アズホール!!うわっはっは〜」

I「丹波くん9月に子供が生まれるから、子供の名前TAGでかいてほしいんだって」

R「うわっはっは〜、おめでとう!! いいよ〜」

俺「それをタトゥーにして入れようと思ってるんです」

R「なに? なんなら今ここで俺様の爪で刻んでやろうか? うわっはっは〜」

妻「お腹なでてもらっていいっすか?」

R:妻の腹をナデナデ

多分こんな感じ。つうかこれくらいしか覚えてない。

LIVEも正直覚えていない。

本人に会えた喜び、TAGをかいて貰えるという喜び、

Tシャツを着てくれている喜び。

いろいろうれしすぎてその日は終わった。


つづく

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