NYにいると、本当にいろいろなジャンルの方にお会いするのですが、個人的に尊敬してしまうのが、建築家。
やっぱり、複合的要素かつ、安全でなければならないという点でも、奥深さは計り知れないと思うんです。
今回は、1987年に登場したNIKE AIR MAX(エアーマックス)について。
オレゴン大学で建築士の学位を持つデザイナー、ティンカー・ハットフィールドが、「パリのポンピドゥーセンターの内部剥き出しデザインを見て閃いた」という伝説的モデルです。
彼はもともと建築を学びながら、陸上の選手としてナイキスポーツラボとの関わりがあったことから、ナイキに就職することになります。
彼が手がけたスニーカーは数知れませんが、AIR MAXは発売から30年が経過しても劣化することなく、さらに進化し続けているスニーカーです。AIR MAXが世界を驚かせたのは、ビジブルエアと呼ばれる、スニーカーのミッドソール部分に窓が開けられ、ソール内部のエアバッグを見ることができるという点です。
消費者が、一目で機能を確認できるというマーケティング観点でも革新的なモデルでした。
この窓部分にももちろん機能があり、衝撃により負荷がかかった時に変形するエアバッグ部分の逃げ道となっています。
しかしながら、クッション部分に厚みが出るため、ソールが全体的に重くなるという問題もありました。その問題点を解決したのが、2代目 AIR MAX。つま先部分にはファイロンフォーム、かかと部分のソールにはウレタンフォームと前後で素材を組み合わせ、インターロックシステムと呼ばれるテクノロジーで連結することで、初代よりも軽量化が実現しました。
その後、もっともっとと進化を遂げ、クッション部分の大きさはどんどん広くなっていきます。
1995年に発売された、AIR MAX 95モデルはさらに爆発的な人気で、「エアマックス狩り」なんて犯罪も取りざたされ、一足30万円以上で取引されていたとされるほど。
ティンカー・ハットフィールドは常に10年後のスニーカーを思い描き、日々開発をしているのだそうです。
そういえば。
ボストンの海ぎわで、凧上げ大会に遭遇しました。
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